【まくら】
この噺の無頼となる鶯谷の北にある根岸は、江戸時代の人たちにとってお洒落な別荘地であった。
しかし軽井沢のように人が多い観光地ではなく、むしろ知識人、文人だけが好んで暮らした。高級だが贅沢ではなく、質素だが精神性が高い。
「根岸の里の侘び住まい」という言葉がそれを現わしている。
酒井抱一、亀田鵬斎、寺門静軒と言えば、江戸時代ではたいへんな画家、著述家だ。明治になってからは正岡子規が暮らしていた。
俳句そのもののような土地、と言われた由縁である。
根岸は寛永寺の東北裏で、金杉村と寺に囲まれた農地であった。
巨大な御行の松と水路と鶯があるのみ。
大人にとっては素晴らしい環境だが、日本橋近くに育った若い盛りの娘にとっては非常に寂しい場所だったろう。
狐狸が住み着いていたであろうし、幽閉の如き暮らしのなかで、幻想に迷いこんでも不思議ではなかった。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
日本橋石町に「栄屋」さんと言う大きな生薬屋さんがあった。
そこの一人娘の”お若”さんは、十七で栄屋小町と言われるほどの大変な美人であった。
お嬢さんが一中節を習いたいと言うので、頭・ 勝五郎に相談すると元武士で師匠の”菅野伊之助”を紹介された。
またこの伊之助がキムタクを混ぜた様ないい男であった。
女将の心配通り二人の中は親密になっていったので、手切れ金25両を渡して別れさせたが、お嬢さんは得心がいかなかった。
気晴らしにと高根晋斎叔父さんの剣道場のある根岸御行の松近くに移されたが、毎日寝たり起きたりの生活をしていた。
1年後のある晩、伊之助が訪ねてきた。
今までの無沙汰をわびながら部屋に招き入れて・・・、それから毎晩旧交を温めていた。
そのうちお嬢さんのお腹に変化が出た。
無骨な剣術の先生でもこれは分かった。
会いに来た伊之助を確認して、翌日 勝五郎を呼びだし、伊之助を処分してこいと言い捨てる。
頭は伊之助の住まい両国まで走って 行って、裏切りを問いつめるが、「夕べは頭と吉原でいっしょだった」。
聞いて根岸まで取って帰して、話をすると「茶屋に下がると見せて、籠でこちらに来たのでは?」。
頭、 また立腹して、 両国に戻ってきた。
問い詰めると「昨晩は一睡もしないで、頭と話をしていたではないですか」。
納得して根岸へ駆け戻った。
先生じっと考えていたが、今晩も来るであろうから一緒に見届けよう。と酒肴を振る舞って時間を待ったが、頭は昼間の走りでバタンキュウ。
いつもの様に伊之助が部屋に入った。頭を起こし中を覗かせると、昨日は違うが、今日は伊之助だという。
種子島に火種を詰めて引き金を引くと命中、伊之助は絶命した。
死骸を改めると 伊之助ではなく大ダヌキであった。
お若さんがあまりにも伊之助を慕うものだから狸が化けて毎夜通って来ていた。
お若さんは月満ちて産んだのは双子の狸で、絶命して葬り 、塚を建てた。
根岸御行の松のほとり、「因果塚」の由来でした。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
不明
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『髪は烏の濡羽色(かみはからすのぬればいろ)』
【語句豆辞典】
【御行の松(おぎょうのまつ】
台東区根岸4-9-5西蔵院境外仏堂不動堂境内にある。江戸期から「江戸の大松」と人々に親しまれ、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれた名松。現在の松は三代目。
【一中節(いっちゅうぶし)】
浄瑠璃の流派の一。
【狸塚】
上記「御行の松」の石碑の左側に、最近創られた、狸の置物二体と「狸塚」の石碑。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・三代目 古今亭志ん朝
・六代目 三遊亭圓生
【落語豆知識】
【与太郎】どこか抜けている男。落語世界のアイドル
この噺の無頼となる鶯谷の北にある根岸は、江戸時代の人たちにとってお洒落な別荘地であった。
しかし軽井沢のように人が多い観光地ではなく、むしろ知識人、文人だけが好んで暮らした。高級だが贅沢ではなく、質素だが精神性が高い。
「根岸の里の侘び住まい」という言葉がそれを現わしている。
酒井抱一、亀田鵬斎、寺門静軒と言えば、江戸時代ではたいへんな画家、著述家だ。明治になってからは正岡子規が暮らしていた。
俳句そのもののような土地、と言われた由縁である。
根岸は寛永寺の東北裏で、金杉村と寺に囲まれた農地であった。
巨大な御行の松と水路と鶯があるのみ。
大人にとっては素晴らしい環境だが、日本橋近くに育った若い盛りの娘にとっては非常に寂しい場所だったろう。
狐狸が住み着いていたであろうし、幽閉の如き暮らしのなかで、幻想に迷いこんでも不思議ではなかった。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
日本橋石町に「栄屋」さんと言う大きな生薬屋さんがあった。
そこの一人娘の”お若”さんは、十七で栄屋小町と言われるほどの大変な美人であった。
お嬢さんが一中節を習いたいと言うので、頭・ 勝五郎に相談すると元武士で師匠の”菅野伊之助”を紹介された。
またこの伊之助がキムタクを混ぜた様ないい男であった。
女将の心配通り二人の中は親密になっていったので、手切れ金25両を渡して別れさせたが、お嬢さんは得心がいかなかった。
気晴らしにと高根晋斎叔父さんの剣道場のある根岸御行の松近くに移されたが、毎日寝たり起きたりの生活をしていた。
1年後のある晩、伊之助が訪ねてきた。
今までの無沙汰をわびながら部屋に招き入れて・・・、それから毎晩旧交を温めていた。
そのうちお嬢さんのお腹に変化が出た。
無骨な剣術の先生でもこれは分かった。
会いに来た伊之助を確認して、翌日 勝五郎を呼びだし、伊之助を処分してこいと言い捨てる。
頭は伊之助の住まい両国まで走って 行って、裏切りを問いつめるが、「夕べは頭と吉原でいっしょだった」。
聞いて根岸まで取って帰して、話をすると「茶屋に下がると見せて、籠でこちらに来たのでは?」。
頭、 また立腹して、 両国に戻ってきた。
問い詰めると「昨晩は一睡もしないで、頭と話をしていたではないですか」。
納得して根岸へ駆け戻った。
先生じっと考えていたが、今晩も来るであろうから一緒に見届けよう。と酒肴を振る舞って時間を待ったが、頭は昼間の走りでバタンキュウ。
いつもの様に伊之助が部屋に入った。頭を起こし中を覗かせると、昨日は違うが、今日は伊之助だという。
種子島に火種を詰めて引き金を引くと命中、伊之助は絶命した。
死骸を改めると 伊之助ではなく大ダヌキであった。
お若さんがあまりにも伊之助を慕うものだから狸が化けて毎夜通って来ていた。
お若さんは月満ちて産んだのは双子の狸で、絶命して葬り 、塚を建てた。
根岸御行の松のほとり、「因果塚」の由来でした。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
不明
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『髪は烏の濡羽色(かみはからすのぬればいろ)』
【語句豆辞典】
【御行の松(おぎょうのまつ】
台東区根岸4-9-5西蔵院境外仏堂不動堂境内にある。江戸期から「江戸の大松」と人々に親しまれ、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれた名松。現在の松は三代目。
【一中節(いっちゅうぶし)】
浄瑠璃の流派の一。
【狸塚】
上記「御行の松」の石碑の左側に、最近創られた、狸の置物二体と「狸塚」の石碑。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・三代目 古今亭志ん朝
・六代目 三遊亭圓生
【落語豆知識】
【与太郎】どこか抜けている男。落語世界のアイドル