日本男道記

ある日本男子の生き様

川崎(六郷渡舟)

2009年11月08日 | 広重東海道五十三次
3.川崎(六郷渡舟)
 品川から十粁で川崎の宿に達する。絵はこの宿に入る手前の六郷川の渡しが描かれている。漸く東海道もここへきて野趣豊かとなる。前景は六郷川、今、渡し舟が旅人を乗せて対岸へ向かっている。対岸は川崎宿、右手に遠く富士山が見える。川の藍と遠景の濃い色彩が画面を引き立てている。この絵では、渡し舟と対岸に舟を待つ人物が描かれているが、この描写が見事である。一点のすき間もない簡略な、それでいて雰囲気をかもし出す筆致は広重独特のものである。竿をつっぱった船頭の描写が特に巧みである。画題は「六郷渡舟」である。六郷川は、多摩川の下流の別称で、多摩川が荏原六郷を流れる時にこの名となる。もと東海道にはここに橋があったが、武田信玄の率いる甲州勢が攻めよせた時、北条方がここの橋を焼き落として甲州勢をせき止めた。その後、徳川家康の時代に橋は復元されたが、元禄年間の洪水に流失し、以後は橋渡しになったという。現在はこの川が東京都と神奈川県との境となっている。この渡しを描いた作では、鳥居清長に有名な美人画の傑作がある。
 
絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2009/11/08)

2009年11月08日 | Daily Vocabulary
8386.respectively(それぞれに)
The bars and the line indicate product sales and the percentage of marketing budget allocated to technical marketing respectively.
8387.pie chart(円グラフ)
This pie chart shows our market share.
8388.rule out(排除する、除外する)
Have you ruled out other factors?
8389.tough(大変だ)
It is tough to climb Mt.Fuji.
8390.versatility(汎用性)
We need to consider versatility when choosing office spase.
今日の英語ニュースを聞こう!NHK WORLD Daily News
 
剣山登山の帰路立ち寄った讃岐うどんの有名店のひとつ山下うどん。

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