
【原文】
風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言ことの葉ごとに忘れぬものから、我が世の外ほかになりゆくならひこそ、亡なき人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
されば、白き糸いとの染そまんことを悲かなしび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院ほりかはのゐんの百首の歌の中に、
昔見し妹いもが墻根かきねは荒れにけり茅つ花ばなまじりの菫すみれのみして
されば、白き糸いとの染そまんことを悲かなしび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院ほりかはのゐんの百首の歌の中に、
昔見し妹いもが墻根かきねは荒れにけり茅つ花ばなまじりの菫すみれのみして
さびしきけしき、さる事侍りけん。
【現代語訳】
恋の花片が風の吹き去る前に、ひらひらと散っていく。懐かしい初恋の一ページをめくれば、ドキドキして聞いた言葉の一つ一つが、今になっても忘れられない。サヨナラだけが人生だけど、人の心移りは、死に別れより淋しいものだ。
だから、白い糸を見ると「黄ばんでしまう」と悲しんで、一本道を見れば、別れ道を連想して絶望する人もいたのだろう。昔、歌人が百首づつ、堀川天皇に進呈した和歌に、
恋人の垣根はいつか荒れ果てて野草の中ですみれ咲くだけ
という歌があった。
好きだった人を思い出し、荒廃した景色を見ながら放心する姿が目に浮かぶ。
だから、白い糸を見ると「黄ばんでしまう」と悲しんで、一本道を見れば、別れ道を連想して絶望する人もいたのだろう。昔、歌人が百首づつ、堀川天皇に進呈した和歌に、
恋人の垣根はいつか荒れ果てて野草の中ですみれ咲くだけ
という歌があった。
好きだった人を思い出し、荒廃した景色を見ながら放心する姿が目に浮かぶ。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。