
【原文】
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二ふたつづゝ焼ききて食ひける事、年久しくなりぬ。
或る時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比にものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦し給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召ししつるらに候」と言ひて、失せにけり。
深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。
或る時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比にものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦し給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召ししつるらに候」と言ひて、失せにけり。
深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。
【現代語訳】
九州に、何とかと言う兵隊の元締めがいた。彼は、「大根を万病の薬である」と信じて疑わず、毎朝二本ずつ焼いて食べることを長年の習慣にしてきた。
ある日、警備の留守を見計らうように敵が館を襲撃し、彼を包囲してしまった。すると、どうしたことか、見知らぬ兵隊が二人現れて、捨て身の体勢で戦い、敵を撃退してくれた。とても不思議に思って「お見かけしないお顔ですが、このように戦って頂きまして、一体どちらさんですか?」と尋ねると「あなたがいつも信じて疑わず毎朝、食べていた大根でございます」とだけ答えて去っていった。
どんなことでも深く信じてさえいれば、こんなラッキーなことがあるのかも知れない。
ある日、警備の留守を見計らうように敵が館を襲撃し、彼を包囲してしまった。すると、どうしたことか、見知らぬ兵隊が二人現れて、捨て身の体勢で戦い、敵を撃退してくれた。とても不思議に思って「お見かけしないお顔ですが、このように戦って頂きまして、一体どちらさんですか?」と尋ねると「あなたがいつも信じて疑わず毎朝、食べていた大根でございます」とだけ答えて去っていった。
どんなことでも深く信じてさえいれば、こんなラッキーなことがあるのかも知れない。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。