
【原文】
元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧馬を弾じ給ひけるに、座に著ききて、先づ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり。御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の参る程によく干ひて、事故なかりけり。
いかなる意趣かありけん。物見ける衣被きの、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
いかなる意趣かありけん。物見ける衣被きの、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
【現代語訳】
後醍醐天皇の時代、平安京のコンサートホールで演奏会が開催されたのは、宮中に秘蔵されていた琵琶の名器、玄上が盗難にあった頃だった。名手、菊亭兼季が、もう一つの名器、牧馬を弾くことになった。席に座り手探りでチューニングをしていると、支柱を一本落としてしまった。菊亭は、ポケットに米を練った糊を忍ばせておいたので、修理した。準備が完了して供え物が飾り終わる頃には、よく乾いていて、演奏に差し支えはなかった。
だが、何か恨みでもあったのだろうか? 観客席から覆面女が乱入して、支柱を取り外して、元に戻して置いたという。
だが、何か恨みでもあったのだろうか? 観客席から覆面女が乱入して、支柱を取り外して、元に戻して置いたという。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。