日本男道記

ある日本男子の生き様

開経偈(かいきょうげ)

2008年11月21日 | お経を読む・理解する
開経偈(かいきょうげ)とは
「開経」は、、すべての経典を読む前にお唱えするもの。
「偈」は、インドの梵語(サンスクリット語のガーターの漢語訳で「詩」「歌」などの意味がある。一行の文の語数が決まっており、「開経偈」の場合一行七語で、一定のリズムで唄のように読むことができるお経を「偈」という。



原文
無上甚深微妙法(むーじょうじんじんみみょうのほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がーこんけんもんとくじゅーじー)
願解如来真実義(がんげーにょーらいしんじつぎー)

読み下し文
無上甚深微妙の法は、
百千万劫にも逢い遇ううこと難し、
我れ今、見聞し受持することを得たり、
願わくは如来真実の義を解したてまつらん。

現代語訳
あまりにも深く妙なる教えは、無限の時をへてもめぐりあうことはむずかしい。
今、わたくしはお経を見、仏の教えを聞き、拝受することができました。
どうか仏の真実の教えを理解させてください。

「無上」とは、この上もない最高のということ。
「甚深」とは、甚だ深いということで、浅薄なものではない。
「微妙」とは、いうにいわれず、説くに説かれず、何ともいえず不可思議な。
従って、「無上甚深微妙の法」は、これより以上の法門はなく、またこれにすぐる教えはないということ。
「劫」とは、とは、はかりしれない長時間。落語の寿限無(じゅげむ)に出てくる人の長い名前、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」。この「五劫の擦り切れ」は1つの辺が数キロメートルの四角い岩を、天から舞い降りた天女が柔らかい布で、サラットなでる。これを百年に1回のペースで繰り返し、やがて石がすり減ってなくなってもまだ一劫は終わらない途方もない長い時間。それが百千万集まった歳月の中で、たった一回しか遭遇することのできない今の瞬間に、仏の教えを聞くことが出来るのだから、ここ好機を逃さず、しっかりと聞かねばならない。



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