阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

 83年前の今日 12月8日 日本はアメリカとイギリスを相手に戦争開始を宣言した。  米英両国に対する宣戦の詔書 昭和16年12月8日      

2024年12月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事
今から83年前の今日、日本はアメリカとイギリスに国家として宣戦布告しました。遠い昔のことでもあり、わずか83年前のことでもある。

◎八軒家南斎さんの「12月8日 日本が、あの戦争を始めた日」の結びの文章を引用します。

「あの戦争をどう考えるのか。それぞれの立場信条によって、あの戦争をめぐって議論は尽きないが、
 
かつて巻き込まれたぼくは、正しい戦争なんかないと思う。

ぼくは、右でも左でもなく、「平和」などという高尚な理念ではなく、ただ、日々の平穏無事を願うのだ。

正義や大義というガスを吸わせて、人々を酔わせ、戦意を高揚させたあげく、あのように、
 
たくさんの人々を死への道連れにしてはいけないと思う。
 
どこかに祀られようが、記念碑を建てられようが、どこかの島や密林で朽ち忘れ去られようが、戦没者300万人という数字はあまりに重い。
 
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 宣戦の詔書

天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚(こうそ)ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。

 朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦いを宣ス。

 朕ガ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ、朕ガ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ、朕ガ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ、

億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算(いさん)ナカラムコトヲ期セヨ。

 抑々(そもそも)東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕(ひけん)ナル皇祖考(こうそこう)、

丕承(ひしょう)ナル皇考(こうこう)ノ作述(さくじゅつ)セル遠猷(えんゆう)ニシテ、朕ガ拳々(けんけん)措(お)カザル所。

 而(しこう)シテ列国トノ交誼(こうぎ)ヲ篤(あつ)クシ、万邦共栄ノ楽(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ、之亦(これまた)帝国ガ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ。

 今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル。洵(まこと)ニ已(や)ムヲ得ザルモノアリ。豈(あに)朕ガ志ナラムヤ。

 中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セズ、濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱(かくらん)シ、

遂(つい)ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執(と)ルニ至ラシメ、茲(ここ)ニ四年有余(ゆうよ)ヲ経(へ)タリ。

 幸(さいわい)ニ国民政府更新スルアリ。帝国ハ之(これ)ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ビ相(あい)提携スルニ至レルモ、重慶ニ残存スル政権ハ、

米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)ダ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらた)メズ。

 米英両国ハ、残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱(からん)ヲ助長シ、平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(たくまし)ウセムトス。

 剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ、帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝国ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ与ヘ、

遂ニ経済断交ヲ敢(あえ)テシ、帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。

 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ、隠忍久シキニ弥(わた)リタルモ、彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク、

徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ、此ノ間(かん)却(かえ)ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。

 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ、帝国ノ存立、亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕(ひん)セリ。

 事既(ことすで)ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然(けつぜん)起(た)ッテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ。

 皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)ノ神霊、上(かみ)ニ在リ。

 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ、祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ、速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ、

東亜永遠ノ平和ヲ確立シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

  御 名 御 璽

           昭和十六年十二月八日 

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