阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

動画で見る寸又峡     寸又峡シリーズ その5/完

2012年12月04日 | 神弓会

 快晴の初日




雨の二日目 


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寸又峡でアプト式電車とSLに乗る   寸又峡シリーズ その4

2012年12月03日 | 神弓会

寸又峡旅行の二日目は前日と打って変わって終日かなりの雨にたたられました。この旅の目玉は紅葉と温泉とアプト式電車とSL乗車。




後半は激しい雨と風になりましたが、千頭の食堂の2階でヤマメ丼と揚げ餃子の昼食を摂ったあと、千頭駅からSLに乗車して新金谷、金谷に移動。
無事に予定の全てを体験し、来年の再会を約して風雨吹きすさぶ金谷駅頭で、東海道線の西と東に別れました。綜合幹事の豊田市在住Hさんご苦労様でした。

それにつけてもここに掲載したパンフレットは選挙のポスターや資料と同じで全て外注で作成できますが、肝腎の大井川鉄道の経営者に、もてなしの気持ちがないのがミエミエだったのが残念でした。やはり最後は『人』です。「二本異心の怪」になってしまったある政党さんも同じことなのかしらん??

 アルバムの写真は全20枚。変換速度は砂時計で調整。画面は拡大アイコンクリックで大きくなります。

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朝5時半起床 寸又峡の吊り橋を渡る   寸又峡シリーズその3

2012年12月01日 | 神弓会

早朝5時半に起床して、六時前にロビーに下りて玄関から外に出ると、小雨が降っていました。まだ真っ暗な中、傘をさして「夢の吊り橋」まで行って帰ると一時間半の行程と聞いています。集まった4人は悩みましたが決行することになりました。

歩き出すとしばらくは街灯がありましたが、それ以降は漆黒の闇の中を歩きました。

画像修正ソフトを使ったのでそれなりに判別できます。





飛龍橋を渡る頃に少し空が明るみだしました。



吊り橋に下りるまでに急な階段がエンドレスに続き、膝ががくがくしましたが何とか吊り橋の袂に辿り着きました。
途中で濡れ落ち葉に足を取られ階段から滑り落ち、あやうく後頭部を階段に強打するところでしたが何とか踏み止まりました。
毎日やっている足腰膝のストレッチのお蔭かも知れません。

寸又川に出来たチンダル湖の言葉に言い表せない水の色にしばし見とれました。湖は大間ダム建設で出来た人口湖
のようです。

橋は高さ8m、長さ90mで固有の揺れのサイクルがあって、これを飲みこむとスムースに歩くことが出来ました。
 一人で渡る今回のような状況では、出来るだけ湖面を見ずに、視線を遠くに置いて渡るのがコツのようです。

雨脚が激しくなる中、あたりの風景を楽しむ余裕はあまりなく必死で宿に7時20分に戻りました。



7時半からの朝食に間に合いました。朝食も前夜の夕食に似た年配者用?のちょーヘルシーメニューでした。

宿泊した部屋から見た周辺。



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金谷から千頭経由寸又峡温泉へ    寸又峡シリーズ その2

2012年11月29日 | 神弓会

金谷発13:33発の電車は大井川に沿って千頭(せんず)に向かって走ります。かなりの上流にもかかわらずさすがに大井川の川幅は広いので驚きました。

驚きついでに大井川鉄道の電車の窓ガラスが、創業以来拭いたことがないほどの汚れにはもっと驚きました。

電力会社と同じく競争のない独占公共事業体の地方電鉄。しかもローコスト経営でその名を轟かせる名鉄グループ傘下の大井川鉄道。車両のクリーニング代はハナから予算に計上されていないようです。こんな車両を走らせて観光業をやるとは客を舐めているとしか思えません。おそらく社長以下の経営者たちは電鉄事業の現場に一回も出たことがないと断定します(苦笑)。(一部きれいなガラスがあったのは不思議です・・)
 18名の怒りを乗せて電車は千頭まで走りました。

翌日乗る蒸気機関車とも行き違いました。

千頭には14:48に到着しました。千頭から寸又峡温泉まではバスを利用する幹事の計画でした。

バスは両サイドの紅葉を見ながら細いくねくねした急な坂道をぐんぐん上ります。





昭和43年2月にカービン銃をもって「金嬉老」が立て籠った[ふじみや旅館]は少し前に廃業していますが、今も看板と建物は残っていました。私も寸又峡と言う地名を覚えたのは「金嬉老事件」が当時大々的に新聞テレビで報道されたからです。事件は今では、日本で最初の“劇場型犯罪”と言われているそうです。静岡県や神奈川方面からの車で道路は大渋滞を起こしていて、当地では人気の観光スポットと知りました。旅館『光山荘』についたのは少し暗くなる頃でした。

温泉風呂は道路を隔てた対面に別棟になっていました。

宴会の席には宿の女将が歓迎の御挨拶を。

  
(シリーズ その3に続く)

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金谷から大井川電鉄に乗り寸又峡へ     寸又峡シリーズ その1

2012年11月27日 | 神弓会

静岡県の寸又峡の紅葉を見る一泊二日の旅行は快晴の朝の鹿島立ちでした。新大阪からJRの「ジパング倶楽部」を利用してひかりに乗り、浜松へ。浜松で東海道線の興津行に乗り換え金谷で下車。金谷からは大井川鉄道が出ています。もう長く、JRを使う旅行は乗車券と特急券が3割引きになるジパング倶楽部に加入して、新幹線はひかりかこだまにしか乗ったことはありません(のぞみは割引対象から外れて実費)。しかもいつもガラガラの自由席にしか乗らず、指定席券との差額で缶ビールを楽しんでいます。私を含む一電車遅れた4人も無事金谷駅で合流し、関西・中京組14人、関東組4人の年に一度の交流会がスタートしました。18人の共通点はむかし全員が弓を引いていた(弓道)という一点です。











この1050円の駅弁『大井川ふるさと弁当」にはヤマメの甘露煮も入っていて、丁寧な造りでおいしく、金谷駅の売店で買った
地酒のカップ酒とよくマッチしました。最近の駅弁の中では私のランクでナンバーワンでした。

大井川鉄道のHPから画像借用。


 

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三宮、京町筋にある「インドレストランのゲイロード・Gay Lord (陽気な王様)」での昼食会

2012年06月20日 | 神弓会

弓道部OBの有志6人が集まり、三宮で昼食会をしました。場所は神戸市立博物館↓

の京町筋の対面のビルの地階にある「ゲイロード」です。「ゲイロード」は阪神大震災の前は国際会館の近くにあり、広い面積の店でした。
震災後しばらくして北野で開店し、現在の場所に移ってから6年だそうです。




 
震災前の店を知っている人間には、こじんまりした店になったように思いましたが、ほぼ満席で現在は適切な店構えなんでしょう。
ここを時々利用する先輩が個室を予約して下さっていたので、落ち着いてゆっくり会話を楽しむことが出来ました。
神戸市立博物館には時々来るので、これからこの店に寄ることが多くなりそうです。ナンもタンドゥール料理も、
2種類のカレーもおいしく頂きました。最近のインド料理チエーン店は、辛さを指定できることをウリにしていますが、
インドのカレーは南部以外はそう辛くはなく、むしろスパイスの組み合わせを変えて旨みを何種類も出しています。
 おそらくこの店はインド人コックがいるか、そういうスパイスを活用している店だと思います。

このランチ懇親会はこれから半年に一度くらいやろうという話ですので、次回はどんな海外料理を食べるのか楽しみです。


◎「阿智胡地亭便り#52 コウベローカル噺④インド料理を・・ 2004.02.24記」から一部引用。

毎年、初詣のあとインド料理店に行くことにしているが、今年は出かけようと思った日が寒かったりして行っていなかった。
先日結構暖かい日があって、思い立って昼に「ゲイロード」に出かけた。

震災前に三宮の神戸市役所近くにあった「Gay lord(陽気な殿様)」は、当時ロンドンやパリにもチエーン店があって、長身のインド人給仕頭が黒服に身を固め、広い店を笑顔で仕切っていた。ボーイも皆インド人で、店の雰囲気は高級レストラン風だった。

その店が震災後中山手通りに移転したのは知っていたが、移転先には行ったことがなかった。

昭和55年ごろ、ボンベイ(ムンバイ)港湾局の施設部長を日本に呼んで四国の工場や神戸港に案内したことがある。彼は、ベジタリアンの中でも厳密な方の菜食主義者で、東京のレストランで彼のために特注した焼き飯を、「この焼き飯の前に肉を使った料理に使われたフライパンが、そのまま使われているようだ。米飯に肉の臭いがするから食べられない」と言ったりして、食事では大汗をかいた。

「ゲイロード」にはさすがにベジタリアンメニューが普通にあって、案内したこちらもも施設部長もホットした。彼は驚くほど沢山食べた記憶がある。成田到着から何日も、腹を減らしていたのかと、少し気の毒だった。・・以下略。

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乗鞍岳スノーシュー・トレッキング

2012年01月19日 | 神弓会

弓道部の時の同期の友人Hさんからは2年前も、冬の上高地スノートレッキングの便りをもらいました。こちら
 今年は冬の乗鞍岳に仲間と行ってきたそうです。
 『1月7日~9日に乗鞍岳へスノーシュートレッキングに行ってきました。毎年この時期には、上高地に行っておりましたが
今年は乗鞍の滝巡りに変更しました。沢渡にあるペンションに宿泊して、三本滝、善五郎ノ滝の氷瀑を巡るスノーシュートレッキングです。
二つの滝ともに素晴らしい氷瀑で青空のもと素晴らしいトレッキングでした。最終日の9日に上高地に行く予定でしたが、
朝から吹雪で止めました。沢渡あたりから上、上高地にかけてはすごい雪でしたが、松本は快晴でした。写真を送りますのでご覧ください。』
○トップの画像は乗鞍剣ヶ峰
○三本滝1

○三本滝2

○三本滝手前の吊り橋

○善五郎ノ滝1

○善五郎ノ滝2

○善五郎ノ滝3

○東大ヒュッテ前

○同ヒュッテ前の白樺林

○九日の雪景色

いやぁ美しい白い天地ですね。素敵な仲間と雪のトレッキングを思う存分楽しんだようですね。
 そしてまた、我がルーツの地「信州」を愛して頂き感謝です。
 

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2007年7月知多半島の旅

2011年12月05日 | 神弓会

弓道部OB会ー神弓会に初めて参加したのは2007年でした。
名古屋万博のオープンに備えて運用を開始した名古屋空港を見学して、常滑の町を歩きました。
夜は篠島の民宿に一泊しました。(2007年7月に掲載したシリーズをアルバム化)
2007年7月知多半島の旅

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松坂の「和田金」の“すき焼き”はさすがだった!!  鳥羽伊勢松坂シリーズその7/完

2011年12月04日 | 神弓会

松坂の駅から「和田金」まで近道をいったせいか、あるいは月曜日の午後ということもあってか人通りが少なく、
町はおもいのほか寂れて見えた。松坂は往時、伊勢商人を輩出した街で三井財閥もここからスタートした。
 好きな映画監督の小津安二郎は東京深川生まれだが、10歳の時から10年間父の出身地である松坂で育った。
 
前回松坂に来たのは赤目四十八滝を歩いて、松坂まで足を伸ばし、本降りの中を本居宣長の鈴屋を訪ねた時で、
20年ほど前になる。その時は「和田金」は休みで止む無く「牛銀」に寄った。「牛銀」もおいしかった。
 自分の記憶にある「和田金」は、木造の店で、下足番がいて畳の広間は膝送りで客が座っていくと言うような店だった。
それは「3丁目の夕日の時代」昭和30年代のことだった。当時四日市に住んでいて家族でお伊勢参りをした。
その帰途、父が奮発して松坂ですき焼きを食べさせてくれた。
 あまりに当時の店の記憶と違うので、仲居さんに聞くと24年前に前の道(旧伊勢街道)が7m拡幅になったので止む無く高層のビルになったそうだ。
伊勢からバスで宇治山田へ出て、宇治山田からは松坂まで近鉄に乗った。宇治山田駅は国の登録有形文化財に指定されており、今年の三月には開業80周年を迎えた。










 

 



 
小さな但馬牛から霜ふりの牛に育てる酪農家や、ベテランの仲居さんたちなど多くの人に働く場を作っている松坂の「松阪肉ビジネス」。
いいお値段(すき焼き8400円/人)なので私はもう行くことはないだろうが、これからも余所から人を呼べる産業として松阪市内の
松坂肉を食べさせる他の多くの店と共に栄えて欲しい。

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南鳥羽の民宿は牡蠣ずくしだった。 鳥羽伊勢松坂シリーズその6

2011年12月03日 | 神弓会

泊まった民宿は六人ほどの家族でやっているようだった。部屋の窓から見ると養殖の牡蠣の籠を
船から揚げる小さなウインチ装置があった。裏の畑(海)で栽培した食材で料理を提供する・・効率のいい経営だ。


 


焼牡蠣を期待したが、じっくり焼き加減を見る手間暇が惜しいのだろう、代わりに蒸し牡蠣がたっぷり出た。
 
最後にカキフライもたっぷり出たが撮影タイムを過ぎていた。

朝食には昨夜の舟盛にあった伊勢エビの味噌汁が出た。

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おはらい町通りは古い家並みの景観がいい  鳥羽伊勢松坂シリーズその5

2011年12月02日 | 神弓会

あちらこちらの古い木造建築物を解体して移設した建物が並ぶ。
「おはらい町通り」は昔の“参宮街道”だ。












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伊勢 おかげ横丁  鳥羽伊勢松坂シリーズその4

2011年12月01日 | 神弓会

帰宅して相方に話したら10数年前にお伊勢参りをした時に、「おかげ横丁」を歩いたよと言われてしまった。
全く覚えていなかったがネットで検索すると「おかげ横丁は、第61回神宮式年遷宮の年、1993年(平成5年)7月16日に、
伊勢神宮内宮門前町「おはらい町」の中ほどで、お伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持を持って開業しました。 」
とあって、なるほど出来てから既に18年経っている。その時伊勢うどんを食べたそうだが??

横丁は善男善女で賑わっていたが、出来るだけ画面に入らないように撮影してみた。










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伊勢の聖域   秋の「神宮」境内  鳥羽伊勢松坂シリーズその3

2011年11月30日 | 神弓会

伊勢神宮は俗称で、正式名称は「神宮」と言う。秋の伊勢神宮は参拝の人で賑わっていた。









内宮の一般参詣者が参拝するスペースは相変わらず狭くて混雑していた。深い尊崇の念を持ってしばし頭(こうべ)を垂れた。
ただいつものように拍手(かしわで)は遠慮させてもらった。諏訪大社の氏子としては両者の歴史的な成り立ちからして
拍手を控えることにしている。諏訪大社の祭神は大国主命の二男である建御名方命(たけみなかたのみこと)で
大和朝廷軍の出雲進出の結果、出雲を脱出して日本海沿いに越の国に逃げ最終的に諏訪の地に落ち着いた。
土地の神との戦いのあと、両者は手を結び聖と政の役割を分担しながら諏訪大社として今日まで存続している。










Wikipediaから:
〇伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」である。
他の神宮と区別する場合には「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて俗に「お伊勢さん」とも言う。

神階が授与されたことのない神社の一つで、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。
明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。

伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在し、一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮と外宮は離れた場所にあるため、観光の場合は時間の都合上、内宮のみ参拝することもあるが、本来はまず外宮を参拝してから、内宮に参拝するのが正しい方法とされている。元来皇室の氏神であることから皇室・朝廷の権威と強い結びつきがある。広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。

〇諏訪大社
祭神 上社
建御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)
下社 上社の2柱の他に
御兄八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)

本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。

記紀神話が伝えるところでは、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の次男である建御名方命が、国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。

八幡や住吉など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、纏めて「諏訪大明神」として扱われる事が殆どで他に「お諏訪様」、「諏訪大神」などと呼ばれている。

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鳥羽湾周遊時の話題の中に、自然にTsunamiのことも 鳥羽伊勢松坂シリーズその2

2011年11月29日 | 神弓会

曇り空の下、なぎさ号で鳥羽湾をまわりました。海鵜が船にとまっていました。





伊良湖と鳥羽のあいだにはフェリーが走っていますが、伊勢まで高速が伸びて以降利用率が落ちて、廃止の話も出ているとか。




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伊勢の土産  鳥羽伊勢松坂シリーズその1

2011年11月29日 | 神弓会

数人以外は全員が古稀以上の年齢である弓道部のOB会“神弓会”には恒例の一年一回の旅行があります。
今年は17人が参加して、鳥羽に現地集合し27日は鳥羽湾めぐりの後、南鳥羽の民宿に泊まり、翌日は伊勢神宮にお参りして
松坂ですき焼きを食べて帰りました。私は四日市の中学のクラス会のあと相方と行って以来、伊勢は10年ぶり以上でした。
 家への土産は定番の赤福と、

おかげ横丁にあった「貝新」のしぐれ。四日市の蔵町にあった桑名の貝新の支店でにあった村上時雨店で中学生の頃に貝新の味時雨の味を知っていらい、
どこにいても「貝新」時雨の文字が目に入ると必ず買ってしまいます。

鶴橋でJRから近鉄電車に乗り換えましたが、近鉄の特急を使わず急行で往復し、切符はチケット店で近鉄の株主優待券を
2枚買ってあったので往復で1250円×2=2500円の交通費でした。神戸から鶴橋までの440円×2=880円加算して往復交通費総額3380円。
(株主優待券でなく駅で買う通常運賃で、かつ特急を利用すると片道3890円。但し特急を利用すると所要時間は30分短縮になる)

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