阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

神戸市立成徳小学校と野坂昭如

2009年02月06日 | 神戸あちこち
神戸市灘区にあるJR六甲道駅から歩いて5分ほどの距離に、成徳小学校があります。小説家の野坂昭如は昭和5年に鎌倉で生まれましたが、生後一年で生母を失い、母の妹が嫁いでいた神戸の張満谷(ハリマヤ)家に養子にもらわれました。彼はこの小学校に、張満谷昭如として6年間通い、卒業後、いま市立葺合高校の場所にあった市立一中に入りました。そして神戸大空襲にあい養父を失いました。その頃の体験は東神戸や夙川などを舞台にした「火垂るの墓」に色濃く描写されています。野坂は先年脳梗塞で倒れる前までは毎年、神戸に来て六甲道駅周辺を歩いていました。

野坂昭如が神戸でそんな育ちをしたことを知らない昭和30年代後半から、私は「平凡パンチ」などに掲載される彼の文章や小説が好きになり、出版される彼の本は欠かさず購入してきました。一時は、彼ともう1人好きな「庄野潤三」の、新刊で買いそこなった本を探して、三ノ宮や梅田の古本屋に通ったこともあります。

これまで場所はおおよそ知っていましたが、行ったことがなかった成徳小学校の前を通りかかり嬉しくなって写真を撮りました。このあたりの街区は64年前の米軍の無差別焼夷弾絨毯爆撃で壊滅し、また14年前の神戸明石大震災で倒壊した六甲道駅などのように大きな被害を受けました。ノサカが小学生の6年間を過ごした頃の建物は何一つ残っていないと思います。しかしノサカは彼を今も「ハリマン」と呼ぶ級友たちとこのあたりを毎年歩いたという、私にとっては貴重な場所です。
コメント (2)
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