たまたま生まれた伊勢の国四日市は親の当時の勤務地だった。四日市にも諏訪神社があった。
四日市の諏訪神社のサイトから引用:
「鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっております。
建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)を主祭神とし、四日市・浜田の総産土神として崇敬を集め、地域の歴史とともに歩んでまいりました。
また江戸時代以後、四日市は東海道五十三次の宿駅として賑わい、社頭が東海道に面していたこともあって、多くの旅人も道中に参拝したといわれております。
そして終の棲家になりそうな旧武蔵の国の当地にも諏訪神社がある。
ネットから引用:「平井諏訪神社は、1716年~1735年の享保年間に創建された神社。燈明寺の惠祐法印が、信州の諏訪大社の分霊を迎えお祀りしたと伝えられています。」
50年ほど前に父親が本籍地を諏訪市から神戸市に移したが、それまで生まれてからずっと本籍地が信州諏訪だった自分には面白い偶然だ。
2019年1月2日掲載「初詣は諏訪神社」
穏やかな良い日和でした。公園で遊んだ後諏訪神社に初詣に出かけました。
やはり江戸時代に信州諏訪から勧請された諏訪神社がある三重県の四日市市で生まれ、終の棲家になる昨年引っ越した町にも
諏訪から勧請された諏訪神社の分社があるのは何となく不思議です。これは「有り難い」ことなのかも知れません。
この5人にも諏訪人の血は流れていますが、彼らにはまだその意識は殆どありません(笑)。
朝はおせちでスタート
諏訪神社
祭神は建御名方命で信濃国一ノ宮諏訪大社の分社である。創建年月は明かでないが享保年間に燈明寺の恵祐法印が生国である
信州の諏訪大明神の神霊を当所に祀ったのが始めであるという。その後天保十四年十一月本殿を改築したが、この建物にはすぐれた彫刻があり
現在は境内の北隅にある稲荷神社の社殿になっている。明治五年村社に列し、下平井村の四所神社(春日明神)を合祀した。壮麗な今の社殿は
昭和四十四年八月に落成した。境内に富士塚があり、乃木希典揮毫の明治三十七八年戦役記念碑がある。(「江戸川区史」より)