2006年02月13日(月)
2、落日のこの美しさはなんのため夕暮れ不思議の入り口くぐる
東京 井上良子
結局は生き残った方が勝ち、かなあポール・マッカートニーのライブの快楽(けらく)
新座 齋藤 寛
私め高所恐怖症。ヒルズには上がれませんが落ちもしません。
東京 小沼常子
氷点下十二度の朝氷たる野沢漬にて熱き粥食む。
茅野 三井次郎
格別のこともなけれど鯛を焼く単身赴任の寒き寒き夜
奈良 森 秀人
慎ましい母娘二人の正月にお嫁に行くよと娘の告げし
大阪 井口紀代子
新蕎麦を待ちつつ交わす新(あら)走り蕎麦にうるさき信濃人はや
長野 唐沢 丘人
いちがつのそら一月のああ風よ利根堤にて術後を歩む
取手 長瀬 道子
2月12日の日経朝刊、歌壇より転載。
2006年03月04日(土) 掲載
高校の時、3学期の終わりになっても日本史はまだ江戸時代で、先生は明治以降は時間がないから自分で読んでくれと言いました。
縄文弥生、安土桃山、イイクニ作る頼朝公は1192年鎌倉幕府成立!どうでもいいとは言わないけれど、日清日露戦争のことも太平洋戦争で負けたことも自分で教科書読め?
あるとき高校生になった子供たちに聞いたら、わたしたちも同じと言いました。やはり近代現代史は時間がなくて飛ばすか自分で読んでくれだったそうです。
何とかの陰謀と云う説は大嫌いな辛好もそのとき思いました。これはどこからかそういう指示が出ていると。
やはり一国が他国にやられると言うのは大変なことだと。自国の近現代史を知らない国民が作る国は誰も独立国と思わない。
日本に併合されていた時代の朝鮮人が、当然朝鮮の近現代史を学校で習う事がなかったように。
人類が人類に核兵器を初めて落として、たった2発、コンマ5秒で一般市民21万人を大虐殺、B29の焼夷弾爆撃で全国の都市でこれまた非戦闘員の家族を次々焼き殺していったこと、
そこにたどり着く前に教科書を終わらせる・・。そんな指示があった?今も在る?
まさか・・。
いいことも悪いこともまず事実を知ることから始まると思います。愛国心もそれがベースにあっての愛国心だと。
以下はそんなことも思いださせる一文でした。
雑誌「ちくま3月号」から。
2006年03月24日(金)
新聞業界の談合・メディア#7
(画像は礼文島のクロユリ。画像クリックで拡大。)
☆新聞業界は、社員ではない請負の勧誘部隊を使って「洗剤」などの景品をエサに長年顧客を奪いあっています。主婦の殆どは、これまでに脅迫まがいのしつこい勧誘に悩まされた経験を持っていると思います。
こんなやり方で自社の製品を売って平気だ、という「新聞発行企業」の神経がわかりません。会社勤めではずっと営業部門で製品を販売してきた私から見ると、彼らには自社製品に誇りや愛情がないとも思えます。
☆その新聞業界はこのところ一致団結して新聞の「特殊指定」」(値引き販売禁止(クリック)を継続維持しようとキャンペーンを張っています。
特殊指定の見直しは昨年の公正取引委員会が口火をきりました。
♪「新聞の取引規制見直し検討 公取委、海運や教科書も。
公正取引委員会は'05・11月2日、独禁法が一般的に違反行為としている「不公正な取引方法」とせず、宅配制度などの流通システムを維持するため割引販売などを禁止した新聞業の「特殊指定」について存廃も含め見直しを検討すると発表した。
これに対し、日本新聞協会は「現行規定の維持を強く求める」などと見直しに反対する声明を出した。」
☆新聞は道路や橋梁の談合問題を取り上げ、公正取引委員会の発表記事を盛んに紙面に掲載し、談合廃止を訴えています。
ところが「特殊指定維持」(値引き販売を禁止しても公正取引法に触れないですむ)については、公取が廃止する動きに対して業界を挙げて反対運動に出ています。
まだ事の可否について私の判断は固まりませんが、「宅配制度維持」を楯にとり、新聞の値段を販売店の判断で値引き出来ない制度を維持しようと言うのがもう一つ納得できません。数多く売れるスーパーやコンビニでは、やりたくても値引販売が現状では出来ないのです。
私から見るとこの「特殊指定」は一種の業界談合です。
“正義”の味方の新聞業界が、自らの利益維持のために自分達だけが持つ武器を使って「世論操作」に走っているような気がします。
公正取引委員会が何故動いたのかをよく考えてみれば、新聞業界がいまやっている厚顔無恥なキャンペーンは出来ないと思うのですが。本当に自民党も民主党も学者も関連業界も全て巻き込んで大掛かりな運動をしているのに驚きます。
2006年03月25日(土)
司法行政立法の上にマスコミ?・メデイア#8
(画像は礼文島のイワベンケイ。画像クリックで拡大。)
ブログに頂いたあるコメントに返事をしましたが、この記事はそれをベースにして内容を付け加えました。
☆日本国の制度では、「行政」は内閣とその傘下の組織が行います。ちなみに検察庁は内閣の中の法務省に所属し、警察庁は総務省の傘下になります。
「立法」は国会で、「司法」は最高裁判所が管轄し、三権が分立しています。
しかしそれを運営しているのは当然ながらその三つ共に人間です。最近はその三つの権力の上に、いわゆる「世論」と称するものを作り上げる、世間を操作するマスコミ権力があるとも言われています。
☆その一例が堀江氏の一連の報道振りです。ホリエモンは今の所、法的には容疑者であって、未だ法治国家日本の裁判を受けて有罪が確定した訳ではありません。つまり彼は私と同じ一日本国民でもあります。
しかし彼は実際には既に、市中引き回しの刑を受けたも同然の扱つかいをされたと思います。
江戸時代の町人はお咎めを受けると奉行所のお白州で裁きを受けましたが、現代はマスコミお白州の判決が先に出て、検察も裁判所もそれに追随していると言うか、あるいはその筋が意図的に調査内容を漏らして事前にマスコミに空気を作らせていくという仕組みのような気がします。
「世にときめいた」人がつまずいて水に落ちると、自分は安全圏にいると思えば世間の皆々で石を投げる。その音頭取りを大手マスコミが先頭でやるのは、彼らの根っ子に「あの自社製品の売り方に出ている卑しさ」があるのかも。
報道を「ナリワイ」とする企業やそこに勤務する人間には、自分らは人の噂でメシを食っているという謙虚さがないとまずいんではないでしょうか。
2006年04月14日(金)
御頭祭(おんとうさい)その2・気になる#19
「神長官守矢資料館のしおり」から。
書いたのは守矢家の当主です。
■洩矢神からの生命のつらなり
諏訪盆地には「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもう一つの国譲神話が言い伝えられています。そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神絵詞」などに記されています。
それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、出雲系の稲作民族を率いた建御名方命がこの盆地に侵入しました時、この地に以前から暮らしていた洩矢神を長とする先住民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神(岡谷市三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸区橋原)が、天竜川を挟んで対岸に祭られており、藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、洩矢大明神の祠は、現在、守矢家の氏神様の祠ということになっています。
一子相伝で先々代の守矢実久まで口伝えされ、実久が始めて文字化した「神長守矢氏系譜」によりますと、この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられ、私でもって七十八代の生命のつらなりとなっております。今でも洩矢神の息づかいが聞こえてくるようにさえ思われます。
口碑によりますと、そのころ、稲作以前の諏訪盆地には、洩矢の長者の他に、蟹河原の長者、佐久良の長者、須賀の長者、五十集の長者、武居の長者、武居会美酒、武居大友主などが住んでいたそうです。
さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。このようにして諏訪の地は中央とつながり稲作以後の新しい時代を生きていくことになりましたが、しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。このことは諏訪大社の体制をみればよく解ります。建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、洩矢神の子孫の守矢氏が神長(のち神長官ともいう)という筆頭神官の位に就いたのです。
大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての神降ろしの力や、呪術によって神の声を聴いたり神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。
こうして、諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制が固まりました。こうした信仰と政治の一体化した諏訪祭政体は古代、中世と続きました。
■ミシャグチ様のこと
諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営まれます。家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、ここではミシャグチ神とします。そして、一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む神殿、そして冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の御射山(現・諏訪郡富士見町)で行われました。
そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上げや、ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。
大祝の分身である童児は、内県(旧諏訪郡一帯)、外県(旧伊那郡一帯)、大県(信州一円の神氏系の代表)からそれぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で一定期間の籠りをした後に前宮での神事に参加しました。
■一子口伝の秘法の終わり
このように守矢家は諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきたのですが、明治維新によって大きな変化をこうむりました。明治五年、世襲の神官の制が廃止され、神長という職は消えます。また、明治六年には家宝であった鹿骨製の御宝印や御頭お占法用具そして鏡、太刀などが諏訪大社上社に移されました。しかし神長がミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈伎鈴は家に残されました。
そうした激変の時期に神長であった七十六代の守矢実久は、神長の祭祀が消えることを惜しみ、七十七代の真幸にその一部を伝えました。
私は更に次のように伝え聞いております。
明治の解職に至るまで神長の神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、一子相伝により「くちうつし」で伝承されました。
その内容は、
○ミシャグチ神祭祀法
○冬季に竪穴の御室で行われる神事の秘法
○御頭祭の時に行われる御符札の秘法
など年内神事七十五度の秘法をはじめ、
○大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法
○祈祷殿で行う蟇目の神事法
○家伝の諏訪薬なる製造法
○守矢神長の系譜
などでした。神事の細目は「年中神事次第旧記」などに記されていますが、具体的な神事の方法につきましては、一子相伝で伝わったのです。
しかし、それも明治の一大変動により七十六代実久でもって永遠に絶えました。祖父の七十七代真幸は、ミシャグチ神頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝をうけたそうですが、それも七十七代で終焉を迎えました。今となっては惜しまれるばかりです。
御頭祭(おんとうさい)その1・気になる#1
「御頭祭」と云う祀りを知りました。
日本列島に住む日本人は皆が元々「農耕民族」で、「単一民族」と言われていますが、この祀りを知ると、そのような認識は明治以降の概念と言って良いのではないかと思うようになりました。
☆ユーラシア大陸の西に位置するブリテン諸島にはアングロ人やサクソン人が移住する前から、それらの島国にケルト族が住み着いていたように、ユーラシア大陸の東に位置する日本列島にも大陸から稲作を持ち込んだ人達が移住する前から住み着いていた人たちがいました。
彼らは木の実や果物、猪や鹿、熊などを狩猟して長い期間列島に暮らしていました。いわば、狩猟を主として生活していた狩猟民族と言われる人達です。
世界の狩猟民族は獲物を天からの聖なる頂き物とみなし、獲物を仕留めたあとはその感謝の気持ちを天に伝え、また次なる獲物をお願いするための祭祀をなんらかの形で続けてきました。
☆ここにご紹介する「御頭祭」はその一つのようです。
毎年4月15日に3000年ほど続いてきたのではないかと言われている「御頭祭」と云う祀りが諏訪湖のほとり、八ヶ岳の麓にある社で行われます。
その祀りの資料館があります。
それは「神長官守矢資料館」と言います。
この資料館は写真の通りとてもユニークな形をしています。壁は内外とも特別調合の壁土で、縄文土器を思わせ、また、屋根には鉄平石が使われています。
館内に入ると右側壁面にイノシシと鹿の剥製が飾ってあり、まず圧倒されます。
資料館の館内には諏訪大社の祭祀をつかさどってきた守矢家に伝わる古文書、毎年4月に行われる「御頭祭(おんとうさい)」の江戸時代でのお供え、飾り付けを復元して展示しています。
守矢家は縄文文化が栄えていた古代において、「洩矢(もりや)の神」と呼ばれ、諏訪大社の祭祀を司ってきました。洩矢の祭祀の中心的なお祭りは「御頭祭(おんとうさい)」といい、いろいろな食べ物、物品が供えられました。供え物の中には75頭の鹿、鮒(ふな)、雉、ウサギなども供えられました。日本に仏教が入って、このお祭りは殺生の戒めから廃れますが、鷹狩をしていた関係から江戸時代まで続きます。この資料館では、江戸時代のお祭りの様子をスケッチした当時の民俗研究家菅江真澄の絵に基づき、飾り付けを復元展示しています。
この資料館の設計は資料館が建てられた地に生まれ、守矢家先代に「照信」という名前をつけてもらった建築史家の藤森照信さんです。
藤森さんは茅野の実家の敷地に「高過庵」と云うこの茶室を建てたことでも知られています。
(まことに個人的なことながら、彼の祖父と阿智胡地亭の祖母は兄と妹でもあり、双方に狩猟民族の血があるかもしれません)
2006年04月26日(水)
建築確認制度のまやかし・抜書き#52
「耐震強度偽装事件」と言われているが、本質は「耐震強度偽装見逃し事件」だと思います。これまで時間をかけても立件の証拠がつかめないため、合同調査本部はメンツ上からも別件逮捕に踏み切らざるを得なくなったようです。
今度の事件のため、長年申請書類をノーチエックで通してきたことが表沙汰になり、建築確認申請制度そのものの無意味さを皆が知ることになりました。そして国土交通省の責任が問われることを避ける方法を模索してきたけれど、あまりに時間がかかり過ぎました。
それでも明治以来の「官の無謬性」を守るために国土交通省はこれからも必死で、法匪の智慧を出してくるでしょう。
この件にかんし、かなり的を得た発言をしていると思われるジャーナリストの発言がありましたので引用します。
「ヒューザーや木村建設などが共謀して姉歯容疑者に偽装させたとの当初の構図がなかなか立証できず、捜査当局が苦肉の策として探し出したのが今回の逮捕容疑だと思う。
偽装とは別の容疑での逮捕とはいえ、これは批判されるべきだ。
耐震強度偽装問題の本質は建築確認制度の破綻。
構造計算のコンピューター化などで審査不能になっていたことだ。そういう事態を招き、放置してきた国の責任こそ問われるべきではないのか。
ジャーナリスト 魚住昭氏の話」
民間の審査機関が審査できるよう法の改正がなされて以来、それらの審査機関は多くの建設関係の役人OBの天下り先として重宝されてきましきた。と言うかそのために民間委託の制度に法改正がなされたとも言われています。
ここにメスを入れるように働きかけるのが、国民が選んだ議員の役目であり、議会の機能のはずです。
引用は4月26日付日経夕刊3版20面から。
2006年05月24日(水)
お上を恐れぬ不届き者!・気になる事柄#34
5月17日、耐震強度偽装見逃し事件で合同捜査本部がヒューザー社長小嶋進容疑者(52)を逮捕しました。
☆容疑は神奈川県藤沢市のマンション「グランドステージ藤沢」をめぐり、耐震強度の偽装を知りながら購入代金をだまし取ったと言う詐欺容疑です。
東京地裁は5月19日、28日まで10日間の拘置を認める決定をしました。
それに対し小嶋進容疑者の弁護人は5月22日、東京地裁の拘置決定を不服として準抗告しています。
☆逮捕容疑は「購入代金を騙し取ったと言う詐欺行為」なのですが、耐震強度偽装見逃しと言う事件の本質からは外れているような気がします。
各地の自治体からOBが沢山天下りした民間検査組織や自治体の建築部門が、これまでフリーパスで認可してきた確認行為のエエカゲンサを誰も追及しない。
それがなおざりにされているのにマスコミは一言もそのあたりを記事にしません。自治体や確認業務をする会社が当たり前に確認申請検査業務をしてさえいれば、マンションの購入者やビジネスホテルのオーナーはこんなエライ目にあわずにすんだのですが。
そのお上の責任から目を背けさせるために、阪神や新潟の地震災害では一切認めなかった、個人補償を今回はお役人様は素早く認めて下さいました。
今回の耐震強度偽装見逃し事件の被害者の方々はまだ恵まれた方やと思います。天災の被害者はほっておいて、お役人様がやるべきことを放置した為におきた人災の被害者は、救ってもらえましたから。
☆ところで小嶋進さんが、なんでやられたかの一番の理由は既に何回か書きましたが、小嶋さんの「監督官庁を訴える」と言う、お上を畏れぬ不遜な?行動に根っ子があると思います。
それはこれです。
「ヒューザー、都など提訴 18自治体139億円」
耐震強度偽装問題で、マンション販売会社ヒューザー(東京都大田区)は1月30日、自治体などが建築確認や検査で、偽造された構造計算書を見過ごした結果、偽装物件を販売し損害を受けたとして、東京都や横浜市など18の自治体に約139億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
提訴後に記者会見した小嶋進社長(52)は、ヒューザーの純資産は約7億4800万円であると明らかにした。近く衆院国土交通委員会へ報告する。
訴えられたのは、東京都や横浜市のほかに東京都足立区、千葉県船橋市など首都圏の自治体。」共同通信の記事から引用。
こんなことは国土交通省や地方自治体だけでなく「お役人様の世界全てへの反逆行為」であり、民間人風情がやってはいけないのでは?彼は虎の尾を踏んでしまったのかも。
☆彼を有罪にして、自治体への損害賠償訴訟を取り下げさせなければ、国としての立場もメンツもありませんし、裁判になれば「建築確認制度」のいい加減さがお陽さんの下にさらされてしまいます。敗訴はないでしょうが、もしそんなことになったら「官の無謬性」に傷がつきます。
☆さて、お父さんが農協組合長だった、
宮城県立古川高校出身の容疑者、小嶋進さん!
日本を背負っていると自負する優秀なお役人様を相手に(裏金つくりにも精を出す輩も結構いるようですが)アナタはどこまで頑張りますか? 当方、何も出来ませんが、推移だけはずっと見ていますよ。
◎ちなみに小嶋社長の訴訟は
「ヒューザーが18自治体を訴訟したことに対し、中田宏横浜市市長は「盗っ人たけだけしい。コペルニクス的ばか者だ」と発言、北側一雄国土交通大臣も「筋違いだ」「はき違えていると思う」と発言したが、最高裁判例では民間の指定確認検査機関が建築確認を行った場合でも、自治体が責任を負うとしており、ヒューザーの破産管財人もこの訴訟を継続している」
そうです。
2006年06月06日(火)
新聞の品格・気になる事柄#35
昨夜の某新聞社編集室にて。
キャップ
「おい、村上のこんな冷静な表情の写真なんか持ってきて、オマエは何を考えているんだ。もっと悪人ズラのショットがあるだろう」
構成担当者
「はい、あるにはあるんですが、あまりひどいショットばかりで・・」
キャップ
「どれ見せてみろ。おおっ!!いいのがあるある。読者に村上は悪党だということを見せつけないといけないんだ。この顔をしかめたこのアングルがいい。よし、この悪相のショットでいけ!」
今朝の朝刊を見て、昨夜の在京大手新聞社、通信社の各編集室の締切間際の会話が聞こえたような気がしました。
村上世彰証券取引法違反容疑者は、確かに男前でも品があるほうでもないけど、ここまでやるか新聞さん。
談合価格で新聞を配達する特権を今回もまた維持して、流す記事はお上の発表記事ばかり。使う写真もどこも同じような物ばかり。
「国家の品格」が最も表れるのは時の「メディア」だ。
今回もまた、水に落ちた犬に石を投げるだけの「瓦版屋」の本性が、出てしまいましたね。
そんな新聞を取ってる阿智胡地亭はもっとアホやけど。
2006年06月15日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
売れない落語家の 阿智胡地亭辛好 が今日も今日とて、楽屋横の隠居部屋に上がりこみ、席亭のご隠居と毒にも薬にもならない話で盛り上がっております。
辛好:ご隠居さん、スイスの会社が作ったエレベーター事故でひとじにがあって、なんやその会社が責任逃れみたいなことして新聞やテレビによう叩かれてますなあ。
隠居:そらそうや、世界でも2番目のシェアーを持つ130年からの歴史がある会社やけど、事故に対する初動対応は下手やったなあ。おそらく日本法人としては、何ごともスイスのご本社のご意向を伺ってからやないと、外には物言うたらアカン決めに社内的になってるんやで。まあ、日本のシンドラー社の社長言うても、本社から言えばせいぜい部長クラスが派遣されてるんやと思うわ。日本の大手もアメリカや欧州や中国の現地会社は同じようなもんらしいからな。
辛好:それにしても新聞で見たけど、官庁関係の入札では日本メーカーより2割くらい安い落札額で注文さらってるらしい。やっぱり安かろう悪かろうに間違いないわ、ご隠居さん。
隠居:確かにそういう一面はあるかもしらん。そやけどワシにはも一つわからんとこもあるんや。会社いうのは損しては続かんから,会社が続いている言うのは、必ず利益があるんや。利益があるからこそはるばる欧州のスイスの会社が、極東の島国で商いやりはるんや。2割安の値段レベルでも商売いけるんかも知らんで。
辛好:いや、やっぱり、危ない機械売るこんな会社は、征伐して日本でアキナイやれんようにお上に頑張ってもらわんと。
隠居:そら、ちゃんと原因をはっきりさせて再発せんように直してもらわんといかんけど、この会社が日本で商いやってくれてるお陰でエエことが一つあるんや。
辛好:そんなもん、ありまっかいな!テンゴ言うたらどもならんな、いくら年寄りや言うても。
隠居:おいおいえらい過激なこと言うやないか、それ以上言うたら出入り禁止やぞ。
あのな、日本ではこの業界は常陸、投資場、蜜微視ちゅうような大手が殆どおさえとって、もう長い間値段が高止まりしてる機械やねん。もしお前が足の悪いお婆ちゃんのために、家でエレベーターつけよ思て見積もり取ってみ、そら軽四1台買えるくらいの数字が出てくるわ。
それから保守整備不良は国民の生命にかかわるちゅう誰も反論でけん理屈でお上に働きかけて、定期点検の法令つくらせよった。年間定期点検が義務付けられてるから、一台エレベーター入れたら、必ずメンテ契約せないかん仕組みや。
車の定検と同じや。この席亭にもエレベ-ター2台あるから契約するねんやが、この見積もりは、これまでは不思議なことに相見積もり取っても値段どこもかわらへん。こないだから漸く法令が緩和されて、専門メーカーの子会社やのうても保守点検できるようになって漸く値段が動きだしたんや。その代わり整備会社もまだ玉石混合やけどな。淘汰が進むまでしばらくかかるやろな。
辛好:そうですのん、そらおいしいカラクリですなあ。どこにも頭のエエ奴はおるもんや。
隠居:おいおいお前が感心してたらどもならんがな。あのな、お客さんのチケット代にそんな費用がみんな乗ってるんやで。
こんどの事故で陰で喜んでいるのが、いままで長いことご互い仲良うしてきた日本のエレベーターメーカーやな。なんせ各社のエレベーター部門は点検保守の収入も入るから何十年と赤字になったことがないおいしい業界や。
事故起こした会社が2割も安い値段で公共関係の入札を落するんで値段下がりだして、民間でもゼネコンに叩かれて頭痛かったけど、キョウビの新聞見てたら日本人は皆、シンドラーの値段は不当廉売やと思う方向になってるわな。このまま、もしかしてスイスへ撤退でもしてくれたら最高やと大手の会社は思てるな。
そうならんでもしばらく大人しゆうしてくれたら、これまでどおりの仲間内で和やかな競争せん商売に又戻れるチャンスやと思てるわ。
辛好:そらそうかも知らんけど、やっぱりスイスの会社は日本人を舐めてるようなきーがしてならんけど。
隠居:確かにそれはそうやな、シンドラー社は慌てて危機管理のコンサルタント会社雇とうたらしうて、突如態度が一変して、幹部が頭下げだしたわな。イスラエルのタンカーが日本の漁船を沈没させたときと同じで、最初は世界の共通ルールで頭下げた方が負けやから理屈でツッパっとったけど、日本人は他の国とちごて情緒に訴えるのが一番と言うこと教えられたんや。
日本のマスコミは毛の薄い頭のテッペンがいくつも並んだ写真撮って、紙面に載せると矛を収める言うのを教えてもらおたんやわ。
辛好:ご隠居、それは日本のマスコミが日本の読者をバカにしてるのを、うまいこと外人に利用されてるんとちゃいますか?
まあ、隠居が言いはるんは、新聞が書く記事を額面どおりに見んと、マナコ開いてあちゃこっちゃからも見んといかんちゅうことですな。
隠居:おお、お前もワシの話を聞くようになってから、ちょっとくらい世間がわかってきたがな。
辛好:なんや知らん、今日はいつもと違ごて、下ろしたり上げたりでんな。
隠居:そらお前、エレベーターは日本語で昇降機ちゅうくらいのもんやからな。
お後がよろしいようで。
2006年07月11日(火)
辞世の句を書き換えた大本営・たまにぶつぶつ#37
第2次大戦末期に硫黄島の守備隊長だった栗林忠道中将は、2万人余りの将兵を率いて、圧倒的な戦力、火力、物量を持つ米軍を相手に一ヶ月以上徹底抗戦しました。
栗林中将が自決したとき、次のような辞世の句があったことが大本営から国民に発表されました。
「国の為 重きつとめを 果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ口惜し」
戦後この辞世の句は、本来は
「国の為 重きつとめを 果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」
であったのを、大本営が末尾を「口惜し」に改変したことが判明しました。
第37回大宅壮一ノンフィクション賞に決まった「散るぞ悲しき」の作者である
梯久美子(カケハシクミコ)さんは次のように言います。
「死にゆく部下を『悲しい』ととらえた栗林さんの思いが十分に伝わってこなかったなら、私が書いてもいいのかなと考えた」
「辞世の句の書き換えにも表れているように、国の指導者が美しい言葉や勇ましい言葉を使う時代は危ない。美学に酔ってミスリードされないように、警戒する必要があるのでは」
・・7月8日付日経朝刊40面ー新世代の戦争文学胎動ーから構成。
2006年07月21日(金)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
売れない落語家の 阿智胡地亭辛好 が今日も今日とて、楽屋横の隠居部屋に上がりこみ、席亭のご隠居と毒にも薬にもならない話で盛り上がっております。
辛好:先代の天皇はんが「私が靖国神社を参拝しなくなった理由」をお話になったちゅう富田メモが出てきたようですな。
それにしても、この今のタイミングで、しかも日本経済新聞のスクープちゅうカタチで出たのはおもろいでんな。
隠居:ほう、オマエさんでもそんな風に考えるか。富田元宮内庁長官の遺族からそのことが明らかになったと書いてあるが、
そんな手帳があってその中にそういう記載があることは、昔から知る人ぞ知るやったはずやわな。それが今なんで公表されたかはなんか意味があると思うわな。
いずれにせよ、この記事を新聞のトップ一面に掲載するには、新聞社の役員間でも相当な激論があったやろうちゅうのは想像できるな。
辛好:そらまたなんでです?これは一大スクープやさかい、ごちゃごちゃ言うことなく載せたんちゃいますの?
隠居:せっかく、珍しくええ切り口から入ってきたとおもたのに、やっぱりな~んも考えてないなあ、オマエさんは。
ええか、こないだ経済界は経済同友会を先兵にして、政府自民党に首相の靖国参拝を中止するよう意見具申したんや
それに対して自民党幹部から、「愛国心のカケラもないガリガリの金儲けしか考ん野郎どもが何抜かす」みたいな大反撃をくろうたんや。要は政府自民党は経済界の言い分には聞く耳もたんちゅうのがはっきりした訳や。
そんなことも背景にあって、このままでは一方向に傾きすぎるさかいバランスを取らんと、貿易立国日本の経済活動に支障が出るという懸念が経済界にかなり強なってるはずや。
しかし記事掲載については、オマエさんが言うたように、問題は、元ネタが個人のメモやちゅうことと、掲載のタイミングや。そら、トップ記事のスクープ扱いがすんなり内部決定したとはとてもおもえんで。
新聞社にも内部には右から左、言論人から営業部門までいろいろおって1枚岩ではないはずや。
これを載せるちゅうことはある意味、コイズミはんを見捨てて、しかも次の後継者にもあるメッセージを出すことやわな。
つまりは靖国問題に対して旗色を鮮明にするわけや。それをやると踏み切ったんは新聞社だけの判断やないでこれは。
辛好:ワタエのダチの「陰謀好き」のデンパチやったらすぐに言いまっせ。「これは、アメリカの陰謀や、アメリカがバックで糸引いとるで」て。
隠居:いや意外とそうかも知れんで。こないだのコイズミはんの訪米の時、プレスリー詣でまでさせてやって「コイズミの首相任期中の(アメリカ一辺倒の協力)へのお礼は終わり。これ以上、中韓と日本の関係が悪化すると、これからますます拡大する中近東、イスラエル・レバノン問題に注力したいアメリカにとって不利益やから、まず日中韓の喉に刺さった靖国問題ちゅうホネを抜いたろ」とアメリカが思うたかもしれん。いくら財界の広報紙と言われる日経でも、日経の考えだけでこの記事はよう載せんやろからなあ。
そう言うても、これはどこにも証拠のない話やけどな。
まあしかし、結果としては、日本の民間産業界というか経済界が、外交ルートでは出来へんさかい、日経と言う新聞を使って、中韓2国に対しこんな考えを昭和天皇は持っていた、小泉さんの考えは必ずしも日本を代表するものではないよと言うことを伝えたのは間違いないやろ。
辛好:「陛下が参拝を取りやめるのは陛下の心の自由、私は私の心の自由で参拝をやめるつもりはない」とコイズミさんが言いはったらしいけど、わしら庶民からすると、コイズミはんて、天皇さんと自分を同じ位置においてるみたいで、なんやこの発言なじめまへんなあ。
隠居:いや、亡くなられても日本人の心象には昭和天皇はんの存在はいまだに大きいなあとワシもおもたわ。
あの記事読んだ後からコイズミさんには悪いけどが、コイズミはんがなんぼモノ言うても、エエシの我がままお坊っちゃんが駄々こねてるようにしか聞こえんようになってしもたもんな。
遠い昔から日本では「錦の御旗」に立ち向かうと逆賊・逆臣やと言われたもんやが、さすがに平成の御世やからそんなことにはならんやろけど。
ところでアメリカの陰謀はさておいて、一国の首相を一夜明けたら突然ピエロみたいな状態にするやなんて冗談にしては結構キツイ冗談やで、今回のこの一連の動きは。
辛好:いや、コイズミはんはコイズミはんらしうゅに、心の自由は誰にでもあると最後までガンバリはると思いまっせ。
そら、お役目ご苦労さんと他国に首相がピエロにされて終わるようでは、情けないもん。
隠居:ところで話が長ごなったが、今回の茶話はこれでオチも
お笑いもなしで、「しょうことなし」に終わるんかいな。
辛好:そら本筋が 「証拠のない」話しやから仕方おまへんワ。
お後がよろしいようで。
2006年09月11日(月)
映画「蟻の兵隊」・映画#44
昭和20年8月15日、ポツダム宣言を受け入れ国際連盟に属する連合国に降伏した帝国陸軍。しかしそれ以降も中国に残り、昭和24年まで共産軍と戦った日本軍がいた・・。
奥村和一さんはその日本軍の兵の一人だった。
中国山西省で澄田第一軍司令官(元日銀総裁 澄田 智 氏の御尊父)の軍命により2600人の将兵が残留し戦闘を4年間続けた。その間550人が戦死した。
そしてその残った将兵たちは、彼らを山西省に置いて偽名で中国を脱出した澄田中将の国会証言(彼らは命令でなく各自が自ら希望して中国に残ったのです)により軍籍離脱の扱いを受け、今も軍人恩給を受けることはない。
残留将兵は昭和24年に中国の捕虜となり、抑留され昭和30年にようやく帰国した。そして自分たちが自分の意思で中国に残ったと扱われていることを知った。その時奥村さんは30歳になっていた。
奥村和一を含む彼らは、国家に対し「軍の命令」により残留したことを認めるように訴訟を起したが、長い長い裁判の末、最高裁は上告を棄却した。その判決書には当該裁判長は転勤と言う物理的な理由で署名していないが、そんなことが認められていることもこの映画で初めて知った。
彼らはこれで日本国から、自由意志で中国に残った民間人だと公に認定された。(この裁判の経過を辿ると、国策捜査があるくらいなら、国策判決も充分ありえるように思えてしまう。抽象用語の国ではなく、そういう判断をし、司法にそういう指示をする人間たちがいるのかもしれない、おそらく彼らが国なのだろう)
この映画は80歳の奥村和一の、事実認定を求める日常行動と中国での調査活動を撮影したドキュメンタリー映画である。
帰国して50年間、奥さんにも話さなかった初年兵教育の仕上げ課程での中国人銃剣刺殺の場に立つ奥村和一。
誰がどうという事でなく、普通の人間が人を殺す事で自分が生き延び、それを国がシステムとしてやらせる状況があったと・・・思いました。
黒澤映画の「七人の侍」の宮口精二にどこか雰囲気が似ている奥村和一さん、貴方の昭和20年8月15日以降の行動は日本国としてはなかったことに認定されました。国家としてポツダム宣言を受諾しているにもかかわらず、それ以降も帝国陸軍の軍命が存続したとは認める事は出来ないと言う事のようです。
しかしこの映画を見る限りは、陸大出の職業軍人である一人の軍司令官の戦犯容疑を国がかばう為に、2600人の一般将兵の人生と彼らへの国家補償を平然と消したように見える。
靖国神社の社頭でスピーチして参詣客からタレントのような拍手を浴びた「残置諜者・小野田元少尉」と貴方の短いやりとり。その中で奥村さんの言葉に激昂して思わず出てしまった小野田さんの醜悪な顔つきと、貴方の涼しげな眼の対比で人間の裸の姿が見えました。
これを語らずには昭和23年に「天皇陛下万歳」と中国山西省で戦死した戦友に申し訳なくて死ぬに死ねないと言う奥村和一さん、こんな持続力のある信念を持つ日本人が、自分の同時代に生きているのかと思いましたよ。
余談ですが、奥村和一さんと共に行動している80歳を越える元将兵のなかに、40数年前に習ったことがある「百々 和」先生がおられて、スクリーンに登場されたのには驚きました。教室で講義を受けただけなので百々先生がそんな体験をされた人だとは全く知りませんでした。
☆「蟻の兵隊」の公式HPはこちらです。上映映画館や期間の情報もあります。
☆関連HPの記事はこちらです。
☆神戸新聞の監督インタビューはこちらです。
ネットから引用⇒ 蒸気霧【じょうきぎり】。
俗称 川霧/湖沼霧/けあらし等
ひとくちに霧(fog)と言っても、発生要因によって
いくつかの種類に分類されています。
ここで紹介する蒸気霧(steam fog)はそのひとつで、
相対的に温かい水面の上に、
冷たい空気が流れ込んできたときに発生します。
イメージとしては、ホットコーヒーの上にできる湯気と
同じメカニズムと考えると分かりやすいと思います。
実際の自然界では、河川や湖沼の水面上に
まるで湯気が立ちのぼるような形で発生します。
Shot by YN
同こども食堂は、茅野市ちのの「かふぇ天香」で週1日開かれている。県内で感染者が判明したのを受けて一度活動を自粛したが、休校による自宅待機で孤立する可能性のある子どもが増えると懸念されることから、子どもの精神衛生面も考慮し、熟慮を重ねた上で通常通り開く決断をしたという。
通常通りとはいえ、積極的な参加呼び掛けはせず、集まりたい人たちが自由に集い、テーブルを囲んで食事を楽しむスタイルで開催。それでもこども食堂が開店すると、楽しみにしている親子らが続々と集まってくる。
参加した小学生に話を聞くと、大半は日中、自宅にいてゲームをし、動画サイトを見たり勉強したりして過ごし、外に出る機会は少ないという。時に暇を持て余すこともあるようで、「仲良しの友達に会えなくてさみしい」「早く学校に行きたい」「外で思いっきり遊びたい」などの声が聞かれた。母親からは「外に出たくてうずうずしているのが分かる」「少しでもストレスを解消してあげたい」という声が漏れていた。
同会議のメンバーは「こども食堂を開くことに対してさまざまな意見があることは承知しているが、こういうつらく暗い時期だからこそ、交流してストレスを解消できる場を求める人の助けになれれば」と話している。
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