阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

月下美人の花芽が新しく二つ伸びてきた。

2021年09月23日 | 花・草・木・生き物

一カ月ほど前に出た二つの花芽は残念ながら小さいままで落ちてしまったが 今回の花芽は成長しそうだ。

 元の鉢の月下美人から伸びた枝を何本も切ってそれを挿し木し、新しく作った月下美人の鉢から出た花芽

50年ほど前からある元々の鉢の月下美人から伸びた花芽

錦糸町のダイソーで100円で買った「ステレオスペルマム」も元気にのびのびと大きく育っている

30年近く前、5㎝ほどの高さの時に大阪淀屋橋の花屋で買ったガジュマルも葉をのばして成長を続けています。

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神戸ミントビル 工事中 2006年2月5日撮影  ポートライナーでポートアイランドへ   Kobeノスタルジックシーン シリーズから

2021年09月23日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

JR三ノ宮駅から ポートライナーで ポートアイランドへ向かう。

 

神戸新聞会館(神戸ミントビル)Wikipediaから

竣工から被災まで[編集]

1956年、それまで兵庫区新開地にあった神戸新聞、デイリースポーツの本社機能を中心に、日本国有鉄道(国鉄、現・西日本旅客鉄道(JR西日本))三ノ宮駅の目前の場所ということで、商業施設・映画館も兼ね備えた総合ビルディングとして建築され、地元の市民からも親しまれた。設計者は村野藤吾[1]。北側の壁面には、富士山が描かれた山一證券の巨大広告があり、「神戸の富士」と言われ名物になっていたほか、三宮交差点からも見える西側の壁面には電光掲示板を備え、1行文字を流すことでニュースを伝えるという新聞社屋ならではのサービスもあった。

なお、三ノ宮駅の目前の場所に本社機能を構えた背景には、モータリゼーション以前であった竣工当時は、記事輸送・新聞配送とも鉄道に大きく依存していたことが挙げられる。実際、三ノ宮駅の西口と新聞会館との間には、専用の地下通路(駅構内に直結)があり利用されていたと言われているが、震災直後にすべて撤去されている。

また、屋上には震災まで松下電器産業(現・パナソニック)のネオンが掲示された。

被災後[編集]

1995年1月17日阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)により、同ビルは崩壊の危険がある全壊に近い被災をする。一時は、新聞の発行が危ぶまれたが、災害協定を結んでいた京都新聞の協力により無休で新聞を発行して生々しい震災の状況を伝えた。

同系のデイリースポーツも発行が危ぶまれたが、日本経済新聞社(東京本社)の協力により翌日の新聞を発行して震災の状況を伝えた。

1995年2月、神戸新聞社は、登記上本社を西区室谷の製作センターに、社屋を神戸ハーバーランドダイヤニッセイビルに暫定的に移転する。その後、当会館は解体工事が行われて整地され、暫定的に駐車場として開放される。本社・社屋については1996年から同社が運営する「神戸情報文化ビル」に正式に移転した。

映画館[編集]

旧新聞会館内にはオーエス株式会社経営・運営による映画館があり、1959年6月1日、3階 - 6階部分に「新聞会館大劇場」(座席数:1,280席[2])、7階に「スカイシネマ」(座席数:240席)が開業。阪急会館や三劇(三宮劇場)と共に兵庫県内における東宝系映画館のチェーンマスターとして親しまれたが、1987年7月、大劇場が閉館。スカイシネマのあった7階は「新聞会館シネマ」に改装され2スクリーン体制(シネマ1:300席、シネマ2:222席)となり営業を継続した。大震災発生前に上映されていた作品はシネマ1が『ジュニア』、シネマ2が『酔拳2』だった。

ミント神戸[編集]

ミント神戸
M-INT Kobe
Mint Kobe 20200425.jpg
ミント神戸
情報
用途 バスターミナル映画館OSシネマズミント神戸)、スーパーマーケットKOHYO三宮店)、神戸新聞文化センターほか
設計者 竹中工務店[3]
施工 竹中工務店、日立製作所
管理運営 株式会社神戸新聞会館
構造形式 S造SRC造RC造
敷地面積 2,560 m²
建築面積 2,200 m²
延床面積 41,000 m²
階数 地下2階・地上18階
竣工 2006年平成18年)
開館開所 2006年平成18年)10月4日[4]
所在地 〒651-0096
兵庫県神戸市中央区雲井通7丁目1-1
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2004年3月から震災復興10年を契機として神戸新聞会館の再建工事が実施されることとなり、神戸新聞社自体は入居しないものの商業・オフィス複合ビルとして2006年10月4日にオープンした[4]。「神戸新聞会館」をビルの正式名称として引き継いだうえで、新たに、愛称を「ミント神戸(M-INT KOBE)」と定めた。なお、「ミント神戸」の愛称が採用された当初は、地下1階から9階までの商業施設部分の愛称とする見込みであったが、開業のころになると、ミント神戸の知名度が大きくなり、結局、建物全体において「ミント神戸」の愛称が使われるようになった。

地上18階・地下2階建て、延べ床面積約41,000平方メートル。ファッション、グルメ、8スクリーンのシネマコンプレックスなど65店が入る複合商業ビル。他に献血ルームが当館15階に入居している。1階には高速バスの三宮バスターミナルの機能を備える[4]

地下1階は、阪神百貨店の食品売り場である「さんのみや・阪神食品館」として開業したが、売り上げ低迷のため2010年4月1日から一時休業、同年12月31日をもって閉店した。その後2011年9月22日に、後継店舗としてKOHYO三宮店が開業した。

また、ビル東側のサンシティビルと「雲井マリン・ロード」という地下道で結ばれた。震災前、サンシティビルができた当時、秀味街とプランタン神戸本館(サンシティビルの核テナント)を地下でつなぐ計画があったとされるが実現せず、震災復興を経て実現したことになる。なお、秀味街は2002年ごろに閉鎖され、ミント神戸の「M-KITCHEN」として整備された。プランタン神戸本館については震災後営業再開されることがないまま閉店となり、1995年4月からダイエー神戸三宮店が入居している。

2012年3月20日には阪神三宮駅(現:神戸三宮駅)に東口が新設され、ミント神戸と地下で直結された。

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