京葉道路の旧中川に架かる中川新橋を渡りきった最初の交差点でいつもの亀戸方面ではなく 都営新宿線の東大島駅方面に左折してウオーキングを続けた。
先日テレビで東大島には町中華の店が多いと言っていたので、喫茶店で一休みのコーヒー代わりに町中華の紹興酒にしようと探してしばらく歩いた。
確かに中華の店が目につく。一軒珍しく飯店という名前をつけた古い外観の店があったので入ってみた。
「飯店」は中国語では「ホテル」の意味なので 中国人が中華料理の店に飯店という文字を使うことはない。よってこの店はいわゆる「町中華」の店ならんと見当をつけた。
まずはピータンと紹興酒大をオーダー。かなり歩いて乾いた喉を湿すのに最適なぬる燗の紹興酒はビーカーに入って出てきた。
担々麵を頼んだら女主人が「ハーフにしますね」と言ってくれた。出てきた鉢を見たらじゅう分一人前はあった。
思ったような担々麵ではなかったが それなりに旨かった。女主人もコックさんも手伝いの女性もみんな70代に見えたので
お店はいつからやっているのですかと女主人に聞くと、40年前の 都営新宿線もない寂しい大島だった頃からやっていますとのこと。
いまや老年に差し掛かった人ばかりでやって来た長い40年の歴史を感じる店内の雰囲気は独特のものだった。
この店も今の日本の個人経営の店に多いように跡継ぎはいないように見える。飲食店も時代の存在だ。個人経営の店を担う人たちは老齢化しリタイヤーを始めている。
長く続く無策の政治の故に 世界の先進国の中で最速で少子高齢化が進む日本は 中央も地方もこの傾向はもう止めようはない。
日本はファストフードのチエーン店ばかりの国になっていく。
ところで店のすぐ近くに「ダイエー」の名が残っているスーパーがあって懐かしかった。
イオンもダイエーを買収した後も店名を「イオン」に変えず、当地になじまれた「ダイエー」という店名を敢えて残しているようだ。
神戸から出た中内功さんが起こした「ダイエー」と四日市から出た岡田一族の岡田屋呉服店も創業社の一つである「イオン」。
四日市で生まれ、九州若松や尼崎市の塚口に住んだとあと二度目の四日市に移り、高校から神戸で過ごした阿智胡地亭にご縁のある四日市と神戸という二つの土地から、
日本の小売り革命を起こしたスーパーマーケットの二社が産まれたが 今やもう「ダイエー」という企業は「イオン」にとっくに買収され、
その「イオン」もネット流通の革命の大波に翻弄されている・・・。時代と人は 変わることだけが変わらない。