(2007年04月22日(日)のブログ「阿智胡地亭の非日乗」に掲載)
MLBの日本版のコラム(2007年4月19日付)でこのタイトルの興味深い記事を読みました。書いたのは<ジェフ・ゴールドバーク>という人です。
・・前略・・
その日、松坂の会見は日米のメディアが合同で行った。マリナーズ戦のときは最初が米国、次に日本と分けられていた。
だから松坂にとっては、日米の両メディアから黒星について訪ねられたのは、あのときが初めてだ。
そして偶然というか、両国のメディアが興味を示したのはただひとつ、押し出しを含む3四球を与え、2点を失った4回のピッチングについてだった。
この件については、私を含む2人の米国人記者が質問をした。
一方、日本人メディアの質問の大半は、松坂が好投した部分に集中していた。
我々、米国のメディアは、批評することを重視している。
それに対し、我々以上に松坂と親しく、話す機会の多い日本のメディアは、選手の批評や批判は好まないのだろう。
または、会見はそういったことを聞く場ではないという認識なのかもしれない。・・後略・・
「日本のメディアは、選手の批評や批判は好まないのだろう」
この表現はいまの日本のメディアの本質を現している言葉だと思った。
スポーツだけでなく政治家、議員、行政など全ての取材に批評や批判の視点がない。
米飯や山食パンでなく砂糖とチョコレートをかけたケーキやお菓子などジャンクフードの記事で満足している我々日本の読者と、
固くて辛い記事を望むアメリカの読者の差が日米のメディアの差を作っているのかもしれない。
つまり取材する側とされる側の一種の談合結果の記事が蔓延しているのは芸能記事だけではないと思う。
日本のメディアそのものも「新聞宅配制度」の維持などで業界談合をしているし、
この島国では「シマ」うちに入らない・入れない人間は談合の食いものにされる対象にしか過ぎないのかも。
「談合国家日本」ではどの分野、業界でも“シマウチ”に入ることでしか生存の保険はかからない?
アメリカにdice-Kの取材で出かけている各社のエリート記者さんも取材の舞台がアメリカであっても取材の中身を知ると、
日本の「野球業界のシマウチ」から一歩も出ていないのがおかしい。