◎この夏休みに、奈良の燈花会(とうかえ)を見に行きました。
奈良には家から湾岸高速線経由大阪市内を高速道路で抜け、生駒トンネルをくぐり、神戸から一時間で行けることがわかったので
このところ、すっかりナラフリークになりました。
燈花会は今年で3年目だそうですが、夕方6時半頃から春日大社や浮見堂、
猿沢の池など4ヶ所をキャンバスにして沢山のロウソクを灯した静かな光の絵画でした。
(手を打てば 鯉は餌と知り 鳥は逃げ 女中 茶と聞く 猿沢の池)
という仏教のありようをある高僧が喩えて詠んだという歌を思い出しながら猿沢の池に逆さに映った興福寺を眺めました。
沢山の観光客の中に外国人が多いのには驚きます。
夜なのに小鹿を連れた鹿も人に交じり一族総出演で参加していました。
大仏殿がライトアップされ、南大門から大仏殿をあおぐと、大仏様のお顔が、そこだけ窓のようにくり貫かれた空間に浮かび上がり、
彼はなるほど美男におわすと実感しました。
◎奈良に一泊した翌日、榛原町、明日香村を経由して吉野へ回りました。
吉野川の河原はえんえんと続く鮎の釣り人とキャンプ、水泳の人達で賑わっていました。
途中、マップで見つけた店で天然鮎のさしみと焼き物を食べましたが、絶品でした。
吉野山の金峰山蔵王権現や吉野神社にお参りし、役の行者や南朝の皇族方のゆかりの建物をあちこちまわりました。
桜の季節を外れているので観光客も少なく、ゆっくりと見てまわりました。
ここでもう一泊し、宿の露天風呂で吉野山の夏の緑を堪能しました。
◎吉野川から紀州に入って名前が変わる?紀の川沿いに下って粉河寺、根来寺に寄りました。共に立派な荘厳さを感じる古刹でした。
根来寺に往時の鳥瞰図がありましたが、僧坊が六千近く描かれており壮大な規模だったようです。
この根来寺一帯も秀吉の紀州攻めで、数日にして一山灰塵と帰してしまいました。
思うに雑賀衆がこの地に独立国をつくったかっこうになり、この寺が一国の首都であり、行政府の中心であり僧兵軍はこの国の軍隊であったのでしょう。
全国統一を目指した秀吉から見るとそのまつろわぬ独立性は許せなかった。
焼き尽くし殺し尽くされた後はもう復興できず、紀州徳川の時代には廃虚に近いものになっていたようです。
ジンギスカンの軍隊が通り過ぎた砂漠の王国に今は白骨が残るだけと同じように。
銃を持った数十人のスペイン人に国自体を消され、今遺跡となったインカ帝国のように。
自らになびかぬ集団を地上から抹殺せずにはおれない・・人間にとって一番恐い動物は人間なのかもしれません。
それにしても奈良、京都の豪壮な寺々、根来寺や粉河寺などを見ると、昔の仏教は、支配階層の道具立ての一つとしか思えないくらい凄いものです。
ヨーロッパのあの多くの大聖堂も同じなのでしょう。
代が下るにつれ宗教の(組織の、集団の)創始者が目指したものと全く違うものに変質する・・のでしょうか。
葬式宗教に落ちた今の大多数の日本のお寺さんはまた、別物ですが。
◎その後、泉南インターで阪和道にのり、湾岸線に入り関西空港を横目にしながら120kmで飛ばし家に帰りました。
神戸→大阪経由→奈良→吉野→和歌山県→大阪府→神戸 と285.4kmのドライブでした。 2001年8月記。
1997年に中古で買ったトヨタのコロナ。価格は100万円丁度でした、1995年製のこの車の最初の所有者は島根県のお医者さんと聞きました。
買ってから走った距離は地球を二回りした88000キロでした。20年間一回も故障なしに高知、広島、信州富士見町などまでよく走ってくれましたが
いよいよ廃車処分にしました。親しい個人タクシーの運転手さんもこの車はまだまだ乗れると言ってくれていたので惜しい気もしますが
事故を起こす前にと思い決断しました。1964年(昭和39年)に取った免許証は失効するまで所有しようと思います。
この車に感謝を込めて過去のドライブ旅行を含めて国内旅行の記録をシリーズで掲載します。 2017年10月記