阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

村上春樹が世に出た小説『風の歌を聴け』を今頃初めて読んだ。  何だ、このちゃらちゃらした文章はと思ったが・・しかし最後まで読んでしまった。

2024年07月08日 | 乱読は楽しい

村上春樹のエッセイは週刊朝日に連載当時 毎週面白く読んでいた。

しかし小説は「ノルウェイの森」を 当時同じ職場の吉田さんに勧められて借りて読んでも 最後まで面白いと思わず返却した。

 それ以来 彼の社会に対するいろんな発言は逃さずキャッチしてきたが小説には手がでなかった。

村上春樹という小説家が 高校を卒業するまで暮らした空間は「西宮・芦屋・東神戸のいわゆる❝阪神間❞」で

自分が高校、大学時代を暮らした空間であることは知っていた。

その村上春樹が世に出た作品が「風の歌を聴け」で、小説の場がその❝阪神間❞であることを知って どんな本か急に興味が出て図書館から借り出して読み始めた。

 

 最初の数ページでああこらあかんヮと感じた。著者は日本の文学書ではなく 若い時から英米の小説をずっと沢山読んできた人だと思った。

そのせいか、翻訳本の匂いのする自分にはなじめない文体の本だった。表現に洒落た比喩や例えが多すぎて すぐには内容に入っていけない。

 しかし文章は読んだことのない気持ちのいいテンポですすみそのまま読み進めた。

特に自分も高校生時代によく聞いた日本で最初の「ラジオ神戸の電リク」らしきものが 出てきて小説の骨の一つに使われてるのも面白く思った。

 村上春樹が過ごした阪神間での月日とは7年の違いもあるが、同じ阪神間で過ごしても 彼の五感が感じて作った世界と自分のそれは当然ながら

全く違っていてまるで重なることはない。(彼が通った芦屋市立の中学や 兵庫県立高校は自分も暮らした阪神間にあった) 

 80歳を過ぎている自分にはまことに不思議な内容の1997年7月発行の本だったが、村上春樹が処女作に(自分の1970年の夏を描いた世界)にいつのまにか

じわっと入り込んいた。次はどう展開するかが読めないし予定調和はないのがいい。彼の本をもう一冊図書館で借りて読んでみようという気になって読み終えた。

 

群像新人文学賞受賞 サイトから引用:

  1970年夏、あの日の風は、ものうく、ほろ苦く通りすぎていった。僕たちの夢は、もう戻りはしない──。

青春の生のかけらを、乾いた都会的な感覚で捉えた、新鋭、爽やかなデビュー!

──吉行淳之介の評価

この新人の作品は、近来の収穫である。これまでわが国の若者の文学では、「20歳(とか、17歳)の周囲」というような作品がたびたび書かれてきたが、

そのようなものとして読んでみれば、出色である。乾いた軽快な感じの底に、内面に向ける眼があり

主人公はそういう眼をすぐに外にむけてノンシャランな態度を取ってみせる。

そこのところを厭味にならずに伝えているのは、したたかな芸である。しかし、ただ芸だけではなく、そこには作者の芯のある人間性も加わってきているようにおもえる。

そこを私は評価する。

◎印南 敦史さんの読後感 こちら

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【ラジオ深夜放送の時代(1)】ラジオ関西『電話リクエスト』編①

◎電話でリクエスト?若い人は「何のこと?」とお思いでしょうが、インターネットも携帯電話もなかった時代、ラジオが若者たちの情報伝達手段でした。

メールなどという便利なモノがなかった時代、オッチャンたちは(オバチャンたちも)、心に秘めた淡い思いを、『電リク』のメッセージに託したものです。

 日本で最初の『電話リクエスト(通称・電リク)』は、ラジオ神戸(現ラジオ関西)が開局した昭和27年のクリスマス・イヴに、オン・エアーされました。

初代のディスクジョッキーは小山美智子さん。2005年発行の「天満人」第4号で、小山美智子さんに当時のお話を伺いました。

小山さんは、大正9年のお生まれで、ラジオ神戸の第一期アナウンサーでした。

 日本で最初の『電話リクエスト』

小山美智子 ラジオ神戸は、開局の年(昭和27年)に、民放ではじめて『プロ野球中継』を放送しています。旺文社の『大学受験講座』もスタートさせました。

他に『クラシック登龍門』やラジオドラマの『少年ターザンは行く』など、人気番組が次々と誕生しました。

そして、クリスマス・イヴには、ラジオ神戸を代表する看板番組の『電話リクエスト』がはじまったんです。

『電話リクエスト』(通称・電リク)は、ラジオ神戸が日本で最初にはじめたのよ。

 

電話リクエストは、当時のアメリカで人気のあった番組でした。それをラジオ神戸でもやろうと提言なさったのは高橋太一郎とおっしゃる方でした。

高橋さんは犬を連れて役員室の中を歩くような、とてもユニークな方でしたが、アメリカ帰りだったんです。その高橋さんの提言に役員が賛同したわけね。

その後、末広光夫さんが加わって番組がはじまることになりました。末広さんはジャズ評論家の油井正一さんに師事をして、ジャズ、ポピュラーには詳しかったんです。

初代のディスクジョッキーは私がやることになりました。

 電話リクエストの第一回放送は、昭和27年(1952)の12月24日。「クリスマス・テレホンリクエスト」のタイトルで、

深夜の午前1時から5時までの4時間放送することが決まりました。

アメリカで人気があるとは言っても、日本では始めての試みで、しかも深夜のの放送でしたから、番組がスタートしてもリクエストの電話がかかってくるかどうか、

とても心配でした。電話がなかった時のことを考えて、レコードを5、6枚用意して、オンエアーの瞬間を迎えました。

 日本で最初の『電リク』の記念すべき第一曲目は、

 ロイ・エルドリッチの『スターダスト』でした。

番組がはじまれば、心配どころやなかったですね。電話は鳴りっ放しで、リクエスト曲を整理するのに、局中がてんてこ舞いになりました。

結局、深夜の生放送であるにもかかわらず、リクエストは2000通を超えたんです。番組は大成功でした。

ラストナンバーに、レス・バクスター楽団の『恋人よさようなら』が流れて、日本初の『電話リクエスト』は無事に終了しました。

第1回目の放送で流れた1曲目の『スターダスト』と、ラストの『恋人よさようなら』は、結局、その後の『電リク』のオープニングとエンディングのテーマ曲になりました。

『恋人よさようなら』で番組が終り、すがすがしい気分で帰途についた時に、早朝のパン屋さんの店先に香っていたパンを焼く匂いが、今でも忘れられません。

クリスマス・イヴの放送が大成功したので、一週間後の大晦日の深夜に第2回の「テレホンリクエスト」をやることが決まりました。

年が明けると『電リク』は毎週土曜日の深夜番組としてレギュラー化することになりました。一躍、“電リクのラジオ神戸”と言われるほどの看板番組になっちゃったんです。

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【冒頭30分】浜崎洋介×與那覇潤「日本人にとって村上春樹とは何か」

 

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英米人と日本人の宗教に対するそれぞれの考え方をわかりやすく話す英語の在日ネイティブ同士の会話  YouTube

2024年07月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事

日本人は自分が何を信仰しているか分かってない!?|英語のネイティブ同士の会話

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07月07日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年07月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

7月7日付東京新聞朝刊

 

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年06月07日(木)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年07月08日 | 東日本大震災ブログ
2012年06月07日(木)

大飯原発、地表ずれる可能性 

大飯原発、地表ずれる可能性 専門家「早急に現地調査を」
2012年6月6日 21時23分 東京新聞

再稼働問題で注目される関西電力大飯原発(福井県)で、敷地内を走る軟弱な断層(破砕帯)が近くの活断層と連動して動き、

地表がずれる可能性があるとの分析結果を渡辺満久東洋大教授(変動地形学)と鈴木康弘名古屋大教授(同)が6日まとめた。

渡辺教授は「原子炉直下を通る破砕帯もあり、早急に現地調査すべきだ」としている。

原子炉直下の破砕帯が動いて地表がずれると、安全上重要な設備を損傷させる恐れがあるため、原発の立地場所として不適格となる可能性もある。

渡辺教授らが指摘したのは「F―6断層」と呼ばれる破砕帯。

(共同)



福島原発4号機の状態は列島の今後を左右する 

4号機プール42度に 冷却は再開
6月6日 21時40分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所で、最も多くの燃料がある4号機のプールで冷却水を循環させるポンプが故障し、プールの冷却を止めた問題で、水温は6日夕方、42度まで上がりました。

東京電力は午後6時すぎに予備のポンプを動かし、プールの冷却を再開させました。

福島第一原発では、4号機の使用済み燃料プールに最も多い1535体の燃料が保管されていますが、プールを冷却する水を循環させるポンプのモーターが焦げているのが、4日に見つかりました。

東京電力は代わりに動かしていた予備のポンプも停止し、プールの冷却を止めて原因を調べました。

その結果、焦げたモーターは、ケーブルとの接続部分の締め付けが緩く、そこからショートしたとみられていて、また予備のポンプでも、同じモーターの接続部分に故障が見つかったということです。

4号機のプールの水温は、6日午前11時現在で、1日前より6度高い40度まで上がり、午後5時には42度まで上昇しました。
東京電力は、予備のポンプを修理したうえで午後6時すぎに動かし、プールの冷却を再開させました。

東京電力は「プールの冷却が進み、半日から一日で10度程度は下がるのではないか」と説明しています。

4号機では、来年中に燃料の取り出しが本格的に始まる予定ですが、プールの健全性が懸念されていて、プールの耐震性を高める工事や周辺で進められている天井や壁などの撤去の状況が、先月下旬、報道関係者に公開されました。


原子力規制委員会の設置が日程に乗った

原子力規制委が発足へ 今国会成立確実に
2012/06/05 21:45 【共同通信】

原子力規制組織の刷新に関し、独立性の高い「原子力規制委員会」の設置が5日、事実上固まった。関連法案をめぐる同日の与野党の協議で、自民、公明の両党案を軸に、政府、民主党側が修正に応じることで一致した。新法として委員長提案する方向で調整しており、今国会の会期内の成立がほぼ確実になった。

自公案は、国家行政組織法3条に基づき、公正取引委員会のように人事や予算面でも政治からの独立を重視した委員会を新設。この委員会の事務局を担う「原子力規制庁」を置く。

☆野田さんと原子力ムラの弁慶の泣き所だった『4月1日に発足する予定だった原子力規制庁」。反原発陣営に、大飯原発再稼動は新しい安全担保の組織がまだ出来てもいなくて、前科持ちの安全・保安院や原子力安全員会の言う事を聞くのかと言われるのは、法匪にとっては痛いところを衝かることだった。

原子力規制庁:全職員が出身官庁に戻らず 与野党で合意
毎日新聞 2012年06月06日 20時35分

民主、自民、公明3党は6日、原子力の安全規制を担う新組織の設置法案をめぐる修正協議で、規制権限を持つ「原子力規制委員会」の事務局とする「原子力規制庁」について、関係省庁からいったん配属された職員が出身官庁に再び戻らない「ノーリターン・ルール」を全職員に適用することで合意した。経済産業、文部科学両省の原発推進部門と規制部門を職員が行き来する従来の人事異動をやめ、安全規制の独立性を担保する狙い。

政府が提出した法案では同ルールの適用を原則「課長級以上」に限っていたが、全職員を対象とする自公案を民主党が受け入れた。東京電力福島第1原発事故の後、原発を規制する経産省原子力安全・保安院と、推進側の資源エネルギー庁などの一元的な人事に対して「なれ合い体質」との批判が強まっていたことを踏まえた。職員の適性などに応じて規制庁発足から数年は出身省庁に戻ることを可能とする経過措置や、規制庁職員の待遇の充実なども検討する。

☆最後に但し書きがつく。

但し、職員の適性などに応じて規制庁発足から数年は出身省庁に戻ることを可能とする。

くにたみの代表である議員が監視しておかないと、この例外規定が常用規定に使われるのは間違いない。官僚の手は常に、最後の但し書きに本当の適用を隠すことだ。


<原子力>「規制委」で合意…民自公、緊急時の指揮権では溝
毎日新聞 6月6日(水)0時1分配信

 民主、自民、公明3党は5日、原子力の安全規制を担う新たな行政組織について、政府案より人事・予算面で省庁からの独立性が高い「原子力規制委員会」の形式を取ることで合意した。3党は同日、政府案と自公案の修正協議を始め、民主党は自公案の組織の骨格を大筋で受け入れた。調整がつけば、新法案として今国会に再提出し成立を目指すことでも一致した。ただ緊急時の指揮権のあり方では隔たりが大きく、修正協議の焦点になる。

 原子力の安全規制の組織見直しは、東京電力福島第1原発事故を受けて始まった。原発の再稼働論議にも絡むため政府は早期発足を目指しており、民主党は同日の常任幹事会で、12日にも衆院本会議で法案を採決させる方針を確認した。

 政府案は、経済産業省原子力安全・保安院と内閣府原子力安全委員会を分離・統合して「原子力規制庁」を設け、これをチェックする「原子力安全調査委員会」を環境省に置く仕組み。これに対し、自公案は、公正取引委員会などと同じ国家行政組織法3条に基づく「原子力規制委員会」を環境省に設け、規制庁を事務局にとどめる形態にしている。

 自公案には、専門家らでつくる原子力規制委に指揮を委ね、政治家の介入を排除する狙いがあり、緊急時には首相や環境相らの関与が不可欠だとする政府案と隔たりがある。

 5日の衆院環境委員会でも指揮権をめぐる質疑が相次ぎ、細野豪志原発事故担当相は「国家の命運がかかった場合は規制委の判断を超えて(首相が)判断すべきだ」と主張。自民党の塩崎恭久元官房長官は「技術的なことは規制委が判断すべきだ」と反論した。

 一方、民主党は修正協議で、論点として▽緊急時の指揮権▽平時の防災体制▽地方自治体と政府、規制委の関係など17項目を提示。自公側は協力する姿勢を示した。【笈田直樹、岡崎大輔】



原子力委員長代理が核燃料全量再処理で二股案へ誘導

原子力委員長代理が核燃料全量再処理「撤退を」
読売新聞 6月5日(火)19時28分配信

内閣府原子力委員会の鈴木達治郎委員長代理は、5日に開かれた原子力委定例会で、原子力発電所からの使用済み核燃料を再処理し、燃料として再利用する「核燃料サイクル」政策について、「全量再処理に積極的な合理性はなく、全量再処理から撤退することを明確にすべき」と述べた。

国の原子力政策は、全量再処理を前提に核燃料サイクルを進めるとしている。原子力委員が公式の場で、全量再処理からの撤退に言及するのは極めて異例。

鈴木代理は「(再処理後のプルトニウムとウランを利用する)高速増殖炉は実用化が不確実」とし、青森県六ヶ所村での再処理事業も継続するかどうか検証すべきと指摘。その上で、再処理と地中に埋める直接処分の併存策が合理的とした。

☆この委員長代理が原子力委員会の実質の実力者。機を見るに敏としか言いようがない。

再処理の全廃でなく、再処理と使用済み核燃料の直接処分(地層処分)を同時に行う「併用」に持って行く高等戦術に出てきた。これなら予算は従来並みに取れると踏んだ。

それにしても、今回もまた読売新聞は、原子力ムラの意向にくにたみを誘導する広報部の役割を、忠実に果たしているのはアッパレというしかない。

社説再処理見直し/廃棄物処分を本格化させよ 
2012年06月07日木曜日 河北新報社説

 見直し作業が進められている核燃料サイクル政策をめぐって、国の原子力委員会のメンバーが「全量再処理からの撤退」に言及した。個人的な意見と断りつつも、原子力開発を推進してきた原子力委内部の専門家でさえ、現在の再処理政策を疑問視していることになる。
 福島第1原発事故によって原子力への信用が失墜した以上、核燃サイクルへの理解も容易には得られない。現実を見据えれば、原発から出る使用済み核燃料の最終処分へと、明確に政策を転換させるべきだ。

 再処理政策の是非について言及したのは原子力委の鈴木達治郎委員長代理。5日の会議で「全量再処理からの撤退の明確化」や「使用済み核燃料の直接処分の研究」などを指摘したという。
 理由として、青森県六ケ所村にある再処理工場で使用済み核燃料からプルトニウムを取り出しても、それを利用する高速増殖炉の実用化が不確実になっていることを挙げた。

 高速増殖炉の開発が極めて難しいことは、今になって分かったことではない。期待を担った原型炉「もんじゅ」は1995年、ナトリウム漏えい事故を起こしている。その時点で開発路線は再検討されるべきだった。

 事故で明らかになったのは技術的な困難さだけでない。事故現場の映像隠しや国への虚偽報告も発覚し、当時の動力炉・核燃料開発事業団(現在の日本原子力研究開発機構)の隠蔽(いんぺい)体質が厳しく批判された。

 もんじゅはその後、運転再開が決まったが、燃料交換用の装置が落下し、試験計画が大幅にずれ込んでいる。運転再開にはそもそも、かなりの無理が伴っていた。早く廃炉を決定すべきだろう。

 国や電力業界が進めてきた核燃サイクルはプルトニウムの抽出と利用を目指している。プルトニウムは本来、高速増殖炉用の燃料だが、生産しても使い道がなくなっている。

 六ケ所村にある再処理工場も本格操業していない。高速増殖炉とともに厚い壁に突き当たっているのが実情だ。核燃サイクルのゼロからの再検討は当然であり、遅すぎるくらいだ。

 ただ、鈴木委員長代理は再処理の全廃でなく、再処理と使用済み核燃料の直接処分(地層処分)を同時に行う「併用」を想定しているとみられる。

 しかし、中途半端な決め方は近い将来に再検討を求められる可能性が高い。仮に核燃サイクル施設が立地する青森県内の事情などを考慮するにせよ、廃止までのスケジュールは明確にすべきだ。

 再処理を放棄すれば、使用済み核燃料は資源ではなく放射性の廃棄物であり、最終処分や安全な保管の方式を具体的に検討することになる。

 それもかなり困難な道のりになるが、先送りし続けても何の展望も開けない。解決が迫られている最大の原子力の問題だと認識して、できるだけ早く取り組みを始めるべきだ。
 


原発防災:保安院の広瀬研吉前院長、改善意見を黙殺

原発防災:保安院長、改善意見を黙殺…06年
毎日新聞 2012年06月06日 02時31分

原発事故の防災対策を国際基準に合わせて強化する方針に経済産業省原子力安全・保安院が06年に反対していた問題で、当時の広瀬研吉院長が、内部の「防災対策を改善すべきだ」との意見を黙殺し、強化に反対していたことが、保安院の内部文書から分かった。

防災対策が強化されていれば、東京電力福島第1原発事故で、住民が素早く避難でき被ばくを最小限に抑えられた可能性もあった。保安院内部の意見が生かされなかった経緯を、国会の事故調査委員会(黒川清委員長)が調べている。【岡田英、奥山智己】

内部文書は院内の検討会議資料で、毎日新聞の情報公開請求で5日開示された。

国際基準は、国際原子力機関(IAEA)が02年規定。原発事故で放射性物質が放出される恐れがあれば、原発から3〜5キロ圏の住民は即時避難する。

内閣府原子力安全委員会は06年3月、国際基準を国の原子力防災指針に反映させようと検討を開始。しかし、保安院などの反対で、指針の強化は見送られた。

☆福島原発告訴団の刑事訴訟の対象に入っている人の一人だろう。
広瀬さんは自分の職責における判断の責任を取る必要がある。
そろそろ日本も「官吏は【無謬】である」という建前の特権性を剥ぎとらないと国が壊れる。

☆広瀬研吉:Wikipediaから部分引用

1948年に生まれた。九州大学及び同大学院にて学び、工学研究科を修了した。大学院修了後の1974年に、科学技術庁(のちの文部科学省)に入庁した。

官界にて  科学技術庁では、原子力安全局にて原子力安全課の課長を務めるなど[1]、原子力規制に関する職務に携わった。1999年に発生した東海村JCO臨界事故においては、事故への対応に従事した。また、京都大学大学院のエネルギー科学研究科にて学び、1998年には博士後期課程を修了し、博士(エネルギー科学)の学位を取得した。

中央省庁再編後は、原子力安全・保安院にて審議官(実用発電用原子炉担当)を務め、内閣府の原子力安全委員会事務局にて局長を務めた。その後、文部科学省が所管する独立行政法人である物質・材料研究機構にて理事を務めるなど、要職を歴任した。

2005年には、松永和夫の後任として、原子力安全・保安院の院長に就任した。2006年、院長・次長ら保安院幹部数人と原子力安全委員会委員5人の昼食会が取り持たれ、安全委側が検討していた原発事故に備えた防災重点区域の拡大強化にストップをかけていたことが指摘されている。

2007年、原子力安全・保安院の院長を退任。なお、後任には薦田康久が就いた。

退官後  その後、東海大学にて、国際教育センターの特任教授に就任した。また、福井大学では、重点研究高度化推進本部の特命教授に就任した。科学技術振興機構では、2007年より理事(個別業務管理担当)を務めた。また、科学技術振興機構においては、吉川弘之が率いる研究開発戦略センターにて、上席フェローを務めている。

2011年の福島第一原子力発電所事故に際しては、原子力関連の体制強化が急務とされたことから、内閣総理大臣の菅直人により内閣府の参与に任命された。同年6月の国際原子力機関閣僚級会合では、福島第一原子力発電所事故の概要や対応内容について、日本を代表して各国代表らに説明を行った。


20120605 福島第一原発4号機燃料プールについて

20120605 福島第一原発4号機燃料プールについて 投稿者 PMG5  

2012年6月7日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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原子力委員会は秘密会議でシナリオを作りこんでしまう。

原子力委員会:「第1回」秘密会議、委員全員が出席
毎日新聞 2012年06月05日 23時07分

内閣府原子力委員会が原発推進側だけを集め「勉強会」と称する秘密会議を開いていた問題で、原子力委は昨年11月17日の第1回会議に5人の原子力委員全員が出席していたことを明らかにした。これまで近藤駿介原子力委員長ら3委員の関与が分かっていたが、新たに大庭三枝・東京理科大准教授と尾本彰・東工大特任教授の2委員の出席が判明した。

5人の出席について近藤委員長は5日、記者団に「今後の原子力政策の全体像を論議した。(事業者に)全体像を理解してもらわないとデータ作成を依頼できない」と正当性を主張した。しかし、秘密会議では長期的な原子力政策(原子力政策大綱)を論議する「新大綱策定会議」で使う議案の原案を事前に示し、事業者から意見を聞いていたことなどが既に判明している。

策定会議メンバーは第三者による検証を求めているが、政府内には「原子力委が決めるべき問題ではない」との声があり、近藤委員長も「政府にお任せしている」と述べ、手法や時期が未定であることを明らかにした。5月29日を最後にストップしている策定会議については「大綱が必要なのかという問題もある」と述べ、再開しない可能性に言及した。

再稼働不満で署名提出へ 民主党議員の三分の一超
 
再稼働不満で署名提出へ 民主120人超「慎重に」
2012年6月5日 東京新聞朝刊

関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)再稼働問題で、政府に慎重な判断を求める民主党の国会議員の署名が四日、百二十人を超えたことが明らかになった。再稼働を近く最終決定したい野田佳彦首相に、身内の与党から不満が噴出した。 

署名文は首相宛てで、大飯原発再稼働問題について「今夏は節電などで乗り切ることが国民の大部分の考え方」と指摘。党の作業チームがまとめた免震施設の設置など事故対策が「一つも実現されていない」として、再稼働は慎重にするよう要請した。

署名は、荒井聡元国家戦略担当相と増子輝彦元経済産業副大臣ら有志議員が呼び掛け、先月三十一日から開始。五日間で党所属国会議員の三分の一近くに達した。近く首相官邸に提出する。

民主党は五日、関係閣僚の出席を求めて、関連する部門会議や作業チームの合同会議を開催。再稼働した場合の安全問題について議論する。作業チーム事務局長の川内博史衆院議員は「安全対策はすべて福島第一原発事故以前のままの体制で行われている。住民の安全が担保できない状況で、再稼働はあり得ない。慎重に判断すべきだ」と主張している。


小川前法相 検察は身内に甘い だから指揮権発動を考えたと。

小川前法相 指揮権発動 首相に相談
2012年6月5日 東京新聞朝刊

内閣改造で退任した小川敏夫前法相は四日午後の会見で、陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書の問題で検察の捜査を徹底させるため、検事総長に対する指揮権の発動を五月に野田佳彦首相に相談していたことを明らかにした。捜査報告書を作成した東京地検特捜部の検事らの起訴を促そうとしたとみられる。野田首相は発動を了承しなかったという。 

法相の指揮権は過去に疑獄事件で発動された一回しか例がなく、歴代法相が慎重な姿勢を示してきた。指揮権発動の検討が明らかになるのも異例で、論議を呼びそうだ。

捜査報告書の問題は、強制起訴された小沢一郎民主党元代表の公判で発覚。元秘書石川知裕衆院議員を取り調べた特捜部の田代政弘検事=現法務総合研究所=が、実際にはなかったやりとりを捜査報告書に記載した。市民団体が虚偽有印公文書作成・同行使容疑で告発したが、検察当局は近く、田代検事を嫌疑不十分で不起訴とする方針。

会見で小川氏は「検察が身内に甘い、いいかげんな形で幕引きをすれば信頼回復はできない」と指摘。「検察が内部のことについて消極的な場合に、積極的にさせるのは法務大臣の本来の姿ではないか。そういう意味では指揮権の発動はふさわしいケースだと思った」と説明した。

野田首相の了承を得られなかったことに対しては「大変残念」と述べた。

田代検事は虚偽の記載の理由を「記憶の混同」と主張し、検察は故意を示す証拠はないとみているが、小川氏は「報告書の中身と捜査状況の録音を詳細にみれば、記憶違いではないと誰しも思うのでは」と批判した。

□ 弁護士 落合洋司のブログから引用

それが法務大臣の本来の姿であると考えるのであれば、首相に相談したりせず(本当に相談したのかどうかも不明ですが、それはともかく)自らの権限と責任で指揮権を発動すればよく、こういった、やろうと思ったができなかった、という発言は、単なる言い訳でしかないと思いますね。

法務大臣が、こうした動きを示したことが、更迭の原因になっている可能性があり、更迭の経緯は、今後、できるだけ解明される必要があると思います。

☆小川前法相は更迭された理由を自分で公にしたのでは。
彼はまさか同じ民主党員である野田さんが、懼れながらと、法曹ムラと言うか官僚本丸にご注進するとは思っていなかったのだろう。あなたは野田という人間の本質を見誤った。
   
 
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