阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

都会の停電                    2007年9月12日 の阿智胡地亭の非日乗に掲載

2020年03月04日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

昨日、都内で雷が大暴れして、秋葉原のアキバの姐さんのオフィスが入居しているビル内のブレーカーに落雷したそうです。

⇒「今日は、ひどい目に会いました。
2時頃、すごい、雷が落ちて、停電になりました。
パソコン、電話、テレビ、エアコン全部オフです。

千代田区、中央区、港区は、東電の車が足りない程、
走り回っているそうです。」

こんなお見舞いのメールを出しました。

⇒「本当にエライ目に会われましたね。

アメリカのハリケーンもそうですが、海水温度が上がって、
風の力や雷のエネルギーも強くなる一方のようです。

子供の頃は毎日のように停電があり停電なれしてましたが、今停電があるとパニックです。
時間が長くなれば家庭でもレストランでも、冷蔵庫の冷凍食品など全部捨てるハメに!

周囲のビルの冷房機の放射熱も一手に引き受けて、部屋の温度大変でしたでしょうね。」

*昭和23年の暮れは、宝塚市の仁川に住んでいました。その頃は電力事情が悪くて、

夕食時になると必ず、停電になりました。ローソクを準備するのは学齢前の自分の仕事でした。

しかし、そんな時にも電気が供給されている一画がありました。

岡の上には戦前に阪急が売り出した庭付きの小奇麗な住宅が並んでおり、

それは全部占領軍の将校住宅用に接収されていました。

こちらはちゃぶ台の真ん中の一本のローソクの明かりを家族で囲んで晩飯を食べ、

すぐ近くの彼らの家を見上げると、どの家も全館煌々と明るい光の中で、米国人の家族が

さんざめきながら夕食を食べている光景が見えました。

今や、日本は停電発生率が世界で一番低い国だそうで(その設備導入のため電気代が割高になってもいるが)、

その恩恵を受けてはいますが、たまに、停電と聞くと、幼い日のあの将校住宅の煌々たる明るさと、我が家のローソクの光の対比が浮かんできます

画像はネットから借用した仁川の参考画像

コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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停電 (愛読者)
2020-03-04 11:34:47
最近は懐かしい言葉です。
アキバから、13年!! オララデス。最近は停電で生活ストップです。最近エアコンを買ったら、温度変える度に温度が・・・・度に変更されました。今回の消費料は・・・円です。今から、お掃除します。良くしゃべるエアコンさん、親切ですが 💗
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