日本丸を見学するために新港第一突堤に向かいました。その途中に幕末の「旧海軍操練所跡」の碑がありました。
第一突堤に初めて入りました。
第一突堤の隣にメリケン波止場があります。メリケンはAMERICANの発音からきたものです。
すぐ近くにアメリカ領事館があったことからメリケン波止場と呼ばれるようになりました。メリケン波止場に移動する小道は初めて歩きました。
「メリケン亭」が入っている建物です。
メリケン波止場手前の祠の地蔵尊は、明治からこれまでどんなに多くの人や事柄を見てきたことかと思いました。
メリケン亭でビールと赤ワインを飲み潮風に吹かれていい気持になりました。メリケン亭の前から停泊中の日本丸が見えました。
時間は小一時間かかりますが、神戸市営バスの年齢割引が適用されて家から片道100円でここまで来ることが出来ます。
このあたりをぶらぶらすることが多くなりそうです。
◎神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)は、江戸時代の1864年(元治1年)5月に、軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が
神戸に設置した海軍士官養成機関、海軍工廠である。現在の神戸市中央区新港町周辺にあった。京橋筋南詰には神戸海軍操練所跡碑がある。
幕臣でありながら幕府の瓦解を予見していた勝の元には、倒幕派の志士も多く集っていた。この操練所が神戸に出来て以後、漁村であった神戸は
港町としての成長を見せ始めるようになる。それを見越していた勝は、地元で自分の世話をしてくれた者に「今のうちに土地を買っておくがいい」と助言したところ、
見事に地価が高騰し、その者は大きな利益をあげた、というエピソードがある。
しかし、八月十八日の政変で失脚した長州藩が京都へ進攻した禁門の変の責を問われて勝は軍艦奉行を罷免される。
さらに土佐脱藩浪士や長州に同情的な意見を持つ生徒が多かったこの操練所は、幕府の機関でありながら反幕府的な色合いが濃いとして翌年1865年に閉鎖された。(Wikipediaから部分引用)
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