新宿で久しぶりの散歩会の集まりがあるので その前に小岩の理髪店に行った。
しばらく関西系のうどんを食べていない 東京のうどんは苦手な相方が 讃岐うどんの店「元咲(げんき)」に自分も行くと言うので一緒に出かけた。
私が散髪してもらっている間 相方は小岩に四つある商店街をいくつかぶらぶらして回った。
相方はかき揚げとさつま芋天うどんにキス天を追加した。
私は桜肉(馬肉)の赤身と
ぬる燗一合と酒肴の天ぷらは春菊とレンコン
うどん屋でもあり居酒屋でもある店内には 昭和レトロの空気が詰まっている。昼は家族ずれがファミレスのように使っているのもいい。
店に入るとうどんを打っているのを見ることが出来る。
東京都の一番 東のはじっこの、江戸川区小岩にはいまだに昭和40年代か50年代の風が街のあちこちに吹いている。
総武線の小岩の隣の駅は「断腸亭日乗」などを書き綴った永井荷風が晩年を送った千葉県の市川だ。
二人ともに大満足で店を出て フラワーロードを小岩駅に向って歩いた。
小岩駅構内の横綱「栃錦清隆」関の銅像。三重県四日市市で過ごした中学生の頃愛読していた月刊誌「相撲」で
栃錦が東京の「小岩」というところの出身だとは知っていたがまさかその「小岩」が、この小岩で 年を経て
その街で飲んだり食ったり散髪することになるとは想像だにしなかった(笑)。
Wikipediaから・・栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、
東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身の元大相撲力士。 第44代横綱。
校庭で、「朝潮」や「おおだち」
「若秩父」「鶴ヶ峰」
大勢の人気力士の土俵が立ち、見に行きました。
小学校は寄付された資金で新築されましたよね。
栃錦の社会性のある魂は
子供らをお金に走るのではなく
「力」とは何か?
考えさせてくれましたね。
懐かしい写真ですね!!
力氏と言えば、、栃錦、、若乃花、、、時代です。
志村アナウンサーの実況放送を聞いているだけで自
分の身体にも力が入りました。琴が浜、大起、名寄
岩、鳴門海・・、あの時代には個性的な力士たちが
いて、子供も知るそれぞれの得意ワザを持つ動くア
ートでした。今の国技館でない蒙古館で取られるス
モウとは別の相撲でしたね。
存在は常に変化するという流れから残念ながら相撲の興行も逃げられませんね。私は小学校時代休み時間になると校庭に飛び出し、校庭に丸く円を描いて毎日相撲を取っていました。