2010年07月04日(日) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載
床屋さんのエントリーに反響が多かったので、以前やってもらっていた床屋さんのことを書いた(2003年5月8日にメール発信)文章に一部手を入れて再掲載します。 長い事お世話になったお客さんも仰山いてはるから、黙って辞めるんもなんやし、社長に言うて5月21日まで勤めさせてもらうことにはしたんです。 そやからそれまでに来られるんやったら前日に電話して、時間を言うてください。」と言って電話は切れた。 「始めあれば終りあり、ですか」と返すと「そうなんですわ」と言って、こうなった経緯や今後の事を、しかし散髪の手は休めず話し出した。 夏季、汗かきの私が入室するとさりげなくクーラーの温度も操作してくれ、濡れタオルを出してくれる。 整髪料は私が家で使っているのと同じものをキープしてくれている。 広島時代も月に一回の大阪での会議の日にやってもらって結局ほとんど16年間毎月続けてやってもらった事になる。 今回ドイさんに聞いたら当時は理髪椅子が12台あり理容師が15人居たという。それでも一日中フル回転だったそうだ。 ドイさんは昭和44年に入店したとのことで、それから34年ビルの地下の職場で働いた事になりますと言った。 理由ははっきりは覚えてないがこちらの状態を見て、床屋政談をしたり、眠りたい時はずっと眠らせてくれたりと色々あったが、やはりウデが良かったのだ。 口八丁手八丁で客あしらいもうまかったけど。 ワタシは一人一人の頭の恰好を見て全部カット変えてますから」という事で、私はそれはその通りだと実感していた。 もしこっちが手えでも滑って怪我でもさしてから止めるのはいややし。」という事だったが、それは自分が納得するため自分に言い聞かせているようにも聞こえた。 いまや理容師は二人で充分という事になり、店の社長からドイさんに退職勧奨があったようだった。 ドイさんの話しに、何で私がやめないかんねんという思いが時々覗いているような気がした。 彼は負けん気の強い、ずうっと自分の仕事に誇りを持っていた男だった。 自分よりちょっとくらいは年上かと想像しながら散髪が終って椅子をたつ直前に、 「若こうに見えるドイさん、時においくつになったん?」と聞いたら、67歳ですわとの答えだった。 とてもその年には見えない。頭のサエもなんら変わらず、腕もまだまだやれると思った。 また彼は元の勤務先のOBや知人の動向の情報センターでもあった。にしても長い付き合いになっていたものだ。 「お元気で。ご縁があったらまたどっかで会えまっしゃろ。」 |
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