阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

昨日のランチはメン喰いシリーズ「ナポリタン」

2013年02月10日 | ある日のランチ
ナポリに行ってもパスタのメニューに「スパゲッティ ナポリタン」はありません。何故ならこのレシピは、米軍の日本占領が終わってから、
横浜山下町のホテルニューグランド第2代総料理長・入江茂忠が考案したものだからです。
 中学生頃はじめて食べて、それ以来憧れの「スパゲッティ ナポリタン」。今も大好きです。
夕食はイワシと味噌汁、ごはんは一杯。味噌汁には焼いた「ふきのとう」の微塵切りが良く利いていました。

2013.02.03 ~ 2013.02.09
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篠山で食べる「ぼたん鍋」は松坂の「すき焼き」よりおいしい

2013年02月09日 | 神弓会

神戸市灘区にお住いのO先輩からお便りを頂きました。ご夫妻で丹波篠山に行かれ名物の「ぼたん鍋」(しし鍋)を賞味されたそうです。
 『先日、丹波篠山に「ぼたん鍋」を味わいに行ってきました。本当に美味しかったです。ご一緒した伊勢松阪の「すき焼き」も美味しかったですけど、
二者択一を迫られると、「ぼたん鍋」に軍配を上げたいと思います。
 団栗や山芋を食べて育った丹波の猪は、11月から2月の間のイノシシ猟解禁の間に捕獲され、「ぼたん鍋」となって、丹波の冬の名物料理となっています
* まるで牡丹の花のように盛りつけられたイノシシのお肉。↑
*カレーではありません。秘伝のタレに赤味噌を入れて溶かした鍋に、お肉を入れます。そして、シシ16分(係の人は20分と言っていた)煮込みます。
その間、野菜を順次入れます。ノシシのお肉は長い間煮込んでも、全然固くならず、美味しいです。

*私たちは、司馬遼太郎も泊まったという、割烹旅館「潯陽楼」でいただきました。

*篠山の町には、イノシシの肉を売るお店があちこちに有りました。


O先輩ありがとうございました。「ぼたん鍋」は他所でも食べることができますが、猪肉をおいしく食べさせる技術はやはり篠山が一番のようですね。

こちらから阿智胡地亭の篠山シリーズに入ることが出来ます。
(最初のエントリーの次から5編あります)



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大阪・天神橋6丁目の「てぃだ」で奄美を満喫する。

2013年02月08日 | 食べる飲む
久しぶりにM会に参加しました。場所は大阪の天神橋6丁目にある「てぃだ」です。

前に行った時は6丁目にありました。昨年の10月に新装移転し、広々としたスペースになりました。前回エントリーそのときの料理
今回もいろいろな奄美大島の味を楽しみました。





この日の歌い手は「小林なりよし」さんでした。ひさしぶりにプロの歌を間近で聞きました。
小林さんのCDタイトル。

小林なりよしが唄う@てぃだ・天神橋5丁目

「てぃだ」で踊る!!06/02/13
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昨日のランチはメン喰いシリーズ「豆苗焼きうどん」

2013年02月08日 | ある日のランチ
豆苗をカットしたあと、根の部分を水につけて、水耕栽培を試みています。

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月刊『神戸っ子2月号(2013年)』は発売中です。  特集は『酒蔵 散歩みち』

2013年02月07日 | ゲストルーム

◎「神戸っ子2月号」の表表紙から裏表紙までの全ページの記事と写真を、『神戸っ子』のHPで読むことができます。
HPはこちらです。目次を見てHPの興味のある記事にアクセスしてください。











古くは別当投手、最近では佐治サントリー社長、第24代最高検察庁検事総長の樋渡 利秋なども卒業生である甲陽学院中学・高校は
灘の『白鹿』(辰馬酒造)が作った学校です。創立当初は灘中学・高校と同じく、神戸一中の不合格生を救済する性格の学校でしたが、
戦後の学制変更で、中学高校一貫授業が認められてからは、難関大学への進学率を上げて、今や有数の進学校になりました。

注)本エントリ作成にあたり「神戸っ子」顧問、かつM会会長の森岡一孝さんのご協力を頂きました。
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神戸・岡本の“月の家”で仏国シャラン産の鴨鍋を、     諏訪大社神戸氏子会例会

2013年02月06日 | 食べる飲む
氏子が二人、賛助会員が一人のささやかな氏子会は年に一回ほど開催されます。氏子の一人は諏訪湖畔の湖柳町で生まれ育った本物の氏子ですが、
もう一人の氏子は諏訪で育ったことはない心情氏子です。
 阪急岡本駅は50数年前に神戸で初めて降りた駅です。高校の転入試験を受けるため、岡本にあったある会社の寮に泊めてもらいました。

駅から山手幹線までの間に商店街があります。

鴨の猟師鍋は鴨肉とレタスのみ。80度の湯にしゃぶしゃぶの要領でさっと通して食べました。鴨肉も旨かったがレタスも抜群でした。
 〆は鴨の脂がとけた鍋にラーメンを入れて食べました。う~ん、さっぱりした旨いラーメンになりました。



 山手幹線が広がってこのあたりは別の街のようになりました。この蕎麦屋さんはしかし50年以上前からここにあります。

高層ビルの右、車の後ろにJR本山駅がわずかに見えます。

月の家
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昨日のランチは野菜たっぷりチキンカレー

2013年02月06日 | ある日のランチ
シメジたっぷり、鶏肉、セロリ、ブロッコリーの軸。ヘルシーカレー。
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冬の花    白梅 蝋梅 つわぶき

2013年02月05日 | 花・草・木・生き物
白梅の枝に蕾がふくらんできました。

蝋梅は昨年の11月から咲き続けていて、芳香が今も漂います。



つわぶきがわずかですが花をつけました。


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今年の恵方巻きは例年より細巻でした。

2013年02月05日 | 身辺あれこれ
父親から数えて四代目の「ごもっとも、ごもっとも」の大声が今年も東京都江戸川区と東神戸の空に吸い込まれていきました。

   「ごもっとも、ごもっとも」
 今年も節分の日に焼いたイワシを食べたあと豆まきをした。家中の窓という窓を順番に開けて、トイレや風呂の窓も忘れずに、大声で「鬼は外福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言ってまわる。子供の頃、この「ごもっとも、ごもっとも」と言うのが何とも気恥ずかしかった。親の勤務地に付いてまわって転校した九州若松でも、尼崎の塚口でも、三重県の四日市でもクラスの誰に聞いても、家ではそんなこと言わないという。

酒の入った父親が「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶとそれに続けて家族が「ごもっとも、ごもっとも」と大声で囃やさないといけないのだが友達や近所の人に聞こえないように、つい小さな声で「ごもっとも、ごもっとも」と言ってしまう。そんな時、父は後ろを振り向いて「声が小さい、鬼が家に入ってきたらどうする」と怒るので、もうやけくそで兄弟揃って父の後について「ごもっとも、ごもっとも」と大声を張り上げたものだ。
そして今、自分が家族を持って、同じ事をしている。千葉県南柏や茨城県藤代町に住んでいた時も、そしてもう十数年住む神戸でも、恥ずかしがり嫌がる娘達を幼稚園の頃から、叱咤激励、時には脅して「ごもっとも~」をやってきた。
もし「ごもっとも」を言わなかったらうちの家は、この一年大変なことになると言って。
そのお陰か、我が家では節分の日の定番としてしっかり定着し、私が3年強広島で単身赴任して不在の日にも、節分には二十歳過ぎの娘達が「ごもっとも」をやってくれていたそうだ。(ほんまかいなと多少は思うけど)

今年の豆まきは、家族の中でも「ごもっとも」発声に一番抵抗してきたヨメさんと二人でしたが、驚いたことには二人では張り合いがないから、今年はやめとこかと言う私に「今まで続けてきたのに何いうてるの」と率先して彼女が大声を張り上げた。

震災の年だけはそれどころではなかったけれど、考えたら結婚して二十八年、我が家では出張や単身赴任で抜けた私の回数より彼女の「ごもっとも」の発声回数が多いんやと思い当たった。今年はいつもよりキレイにハモッて「鬼は外、福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言えたような気がする。

亡父にも故郷の従兄弟たちにも聞いたことはないが、おそらく父が生まれ育った信州の諏訪湖畔、北小路地区では江戸時代以前の昔から、こういう風に言っていたのではないかと思う。
先祖は諏訪氏が高島城を築城する時に、(諏訪湖の高島という島から)立ち退きを命じられ、近くに集団移転させられた島民の一族だと言っていたから、もともと古くから住みついていた住民だと思う。

今年も遠い諏訪のあの地区で「ごもっとも、ごもっとも」が飛び交ったか、あるいは本家のイギリスではとっくに廃れた習慣がアメリカで残っているのと同じように諏訪ではもう廃れたかも知れないが、今年も神戸市の一軒の家から、老年に差しかかってはいるが声は若い「ごもっとも、ごもっとも」の斉唱が、神戸の夜空に吸い込まれていきました。

注;高島城の築城は秀吉の配下で当時諏訪を支配していた日根野氏が行ったと、後日教示を受けたが、上記文は掲載されたままとして訂正していない。
 
 (本エッセイは2002年に投稿し、幸い入選して、5月27日の「神戸新聞文芸欄」に掲載されました。)
 


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昨日のランチはメン食いシリーズ「ジュノベーゼ」

2013年02月05日 | ある日のランチ
海鮮パスタでした。
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 御茶ノ水から神田駅近くの中華料理店『東園』へ     H25.1東京ぶらぶら その9/9 完

2013年02月04日 | 東京あちこち
御茶ノ水駅でMさんと別れ、ぶらぶらと神田駅まで歩きました。



いつもの癖で神保町にちょっと寄り道しました。吉田茂元首相の子息である英文学者・吉田健一がよくビールを飲んだ
【ランチョン】は健在でした。



スズラン通りは戦前からの中華料理店が姿を消したり、かなり店が変わったような気がしますが、雰囲気はゆったりしています。





岡山県井原市出身の内山完造が上海で開業した「内山書店」に縁がある中国関係専門書店の「内山書店」もこの通りにあります。
戦前の中国で35年暮らした内山完造の自伝『花甲録』は読み応えのある本でした。



途中少し酔いを醒ますことにして、コーヒーを飲みながら一時間ほどゆっくりしました。そのあと、毎年 新年会の会場になる中華料理店『東園』に定刻の6時前に入りました。
1年ぶりに懐かしい顔ぶれにまた会うことが出来ました。大阪の肥後橋と神田美土代町や中央区新川などにあった事務所で共に仕事をしていたこの仲間は、初めから入社年度の差や役職の上下関係を誰も意識することなく「ひたすら協業する」というエンジニア&営業の一体集団でした。入社年度が一番古いHさんのお人柄の所以でしょう。



 身体に気を付けて、恒例になったこの新年会や船橋社中の新年会に、来年も必ず参加したいものだと強く思いました。
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昨日のランチは「親子丼」

2013年02月04日 | ある日のランチ
菜の花がよく合っていた。
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スズメの餌台には金網カバーが必須!!

2013年02月03日 | ゲストルーム

取手にお住いの畑中先輩が「すずめ」のための素晴らしい餌台用「金網カバー」を開発?されました。

まずはメールをお読みください。

『我家の大庭園(???)の梅の木の下に、小鳥の餌台があります。 冬は自然界の餌が少ないと思い毎日「あわ、きび、ひえ」等を混ぜた餌を置いてやります。

 我輩が餌を置いて家に入るのを待ちかねたように雀の群れが飛び降りて来ます。 群れは10~15羽来ます。 餌台の上に針金で作ったカバーを被せています。

 これが無いと「ヒヨドリ」や「キジバト」がやって来て餌を独り占(おっと一羽占)します。 雀は中に入れますが、大きな鳥は入れません。

 あきらめて飛んで行きます。雪の日には「メジロのつがい」が来ますが、雀を怖がってなかなか餌にありつけません。 てなことで小鳥達は我家の「扶養家族」であります。

 ただし税金の減額は有りません。』

次のようにメールを返信しました。

「これはなんとグーな発想でしょう!!確かに扶養家族のメンメンは安心して食卓についています!友人の「磯のすーさん」も餌台を庭に置いていますが、

時々ヒヨやムクドリが来て一羽占めして弱っていると彼のブログに出ています。早速この2枚をマイブログにお借りして、

多くの餌台のオーナーの悩み解決に寄与いたしたく。ところでメジロですが、すーさんのところはミカンなど柑橘類を切って木の枝に刺してやって

それにはスズメはあまり口を出さず、棲み分けが出来ているようです。

ふと思いましたが、この針金カバーは実用新案に出したら認めれるのでは?篭屋に作らせ、日本全国のホームセンターで売り出せばヒット商品に!!

畑中先輩は「すずめ大尽」になって左団扇で暮らし、全国の雀が増えることに寄与したとすずめの王国から貴族の称号が・・・

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神田猿楽町の蕎麦屋「松翁」でゆっくり日本酒を楽しみました。 H25.1東京ぶらぶら その8

2013年02月03日 | 東京あちこち
蕎麦屋で昼酒の一杯の愉しみは現役時代の憧れでした。今回は是非それを東京で実現したく、昔の勤務先に近くて、時々勤務後に寄っていた神田須田町の「まつや」を第一候補にしていました。しかし友人のMさんに、もし他に良さそうな店があったらとそちらでもいいですと連絡していたら、神田猿楽町の「松翁」を調べてくれました。つまみの天ぷらが抜群にうまいらしいという事でした。『松翁』は大正解でした。
 初めてだったのでキビキビ動く女将さんに、酒のつまみの選択や、燗酒には何がいいか聞きました。下のリンク先にあるように結果的に女将さんにいろいろ訊ねて、それが良かったようです。何故なら酒の仕入のセレクションは女将がやっていましたし、女将が店全体の客をよく見ていました。この日は冷酒に岩国の「獺祭」や、福島の「飛露喜」などがあり、女将が勧めてくれた燗酒(旨かった)の後は、「飛露喜」をじっくり楽しみました。もう長い間、店の酒のメニューに「真澄」があれば「真澄」、「飛露喜」があれば「飛露喜」を必ず飲むことにしています。(以下の4枚の画像はネットから借用)
 

 




最後はザルで〆ましたが、酒よし、つまみよし、勿論そばに文句なしでした。別の書き物で知りましたが猿楽町は漱石が仲間と下宿した場所でもあるそうです。
 このエントリーを作成するために「松翁」で検索したらこんな記事がありました。なるほど店の人が皆静かな自負心を持っているなと感じたのは当りでした。
◎参考取材記事。『猿楽町「松翁」――作家が愛した江戸蕎麦の、余情を楽しむ』 こちら

2013.01.27 ~ 2013.02.02
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浜松町の旧恩賜芝離宮庭園は静かに冬枯れていた  H25.1東京ぶらぶら その7

2013年02月02日 | 東京あちこち
神田駅から浜松町駅までも、飛行機を使う出張時に良く利用した路線です。ずいぶん昔、浜松町駅で降りようとしたら
乗ってくる永六輔さんとぶつかりそうになったことがありました。目指す庭園は浜松町駅の北口を出て、浜側に3分歩くと入口があります。
何十年ぶりかで庭園に入りました。都会の中の静寂。金曜日の午後とあって人影もまばらでした。

池には鯉が沢山泳いでいます。30年ほど前、当時住んでいた取手から小学生と幼稚園の二人の娘を連れた相方が、
取手のスーパーで麩を買ってこの庭園に来ました。その麩をあげると沢山の鯉が寄ってきて嬉しかったことを、
今や子持ちの娘たちはよく覚えているそうです。

冬桜が咲いていました。





遠くに今また人気が復活した東京タワーが見えていました。数分後には黒い雲と雨がきて見えなくなりました。





冬牡丹が咲いていました。

庭園を出ると『蕎麦屋で一杯』のために友人が調べていた神田猿楽町の「松翁」へ行くべく、再び電車に乗って
御茶ノ水駅へ取って返しました。
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