63年前に卒業した家から歩いて3分だった納屋小学校は、目の前を名泗国道(一号線のバイパス)が走るようになり、
また四日市公害の渦中の校区になったりして周囲の住民が多く郊外に移ったため生徒数が減少し廃校になっていました。今は市民の福祉施設として使われているようです。
小学校から四日市駅方面へ
駅にわたる踏切の手前に村上時雨店があります。5年前の同窓会の時も寄って店の方とお喋りをしました。中学の同級生のことを
よく知っておられるので話が楽しい。
富山の鱒ずしと同じで大手の名の通ったブランドより、こういう地元のお客さん相手の添加物を使わない店の商品は一味も二味も違います。
あいかたも四日市に行ったらとこの店の味を待っているのでわずかだが購入しました。今回も少しおまけしてもらって嬉しかった。前回の記事。
村上時雨店のほぼ対面にある下里薬局の野村君は小学校時代からの友人です。同窓会にも元気な姿を見せてくれました。
店を出て駅方面に歩くとあたりの寂れようが信じられないほどでした。自分が知っている四日市駅周辺の賑わいは半世紀以上前の事ですが
近鉄四日市駅が出来てからは町の中心が全く変わったことを実感しました。それにしてもあたりの荒廃ぶりは恐ろしいほどです。
閑散としているJR四日市駅。59年前煩忙を極めていたこの駅から家族5人は知り合いに送られて神戸に移りました。
その4は諏訪神社。
中学を卒業した昭和33年3月に高砂町にあった船員向けの特飲街の店の多くが禁止法の制定で廃業を余儀なくされました。
それまで時々夜わざわざ家から開栄橋を自転車で渡って高砂町の町中を走ったことを思い出しました。中学生の男子学生の好奇心のなせる行動で
当然この赤い灯青い灯の町の徘徊は親には内緒にしていました。開栄橋👆
南納屋町を通りました。
身内の同級生だった九鬼潤さんもそうだが、この今は大師寺になっている(当時は大師堂だった)の住職も身内の同級生でやはり子供の頃会ったことがあります。
稲葉町方面を望む
当時はなかった名泗国道を渡ると蔵町です。
社宅があったと思われる場所は全く違う建物が建っていました。
その3へ続く。
それまで時々夜わざわざ家から開栄橋を自転車で渡って高砂町の町中を走ったことを思い出しました。中学生の男子学生の好奇心のなせる行動で
当然この赤い灯青い灯の町の徘徊は親には内緒にしていました。開栄橋👆
南納屋町を通りました。
身内の同級生だった九鬼潤さんもそうだが、この今は大師寺になっている(当時は大師堂だった)の住職も身内の同級生でやはり子供の頃会ったことがあります。
稲葉町方面を望む
当時はなかった名泗国道を渡ると蔵町です。
社宅があったと思われる場所は全く違う建物が建っていました。
その3へ続く。
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— achikochitei (@achikochitei1) 2017年10月19日