阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月28日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月28日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月28日(土)
 
 
原発事故対応に多々あやまちをした。文部科学省
 

文科省 原発事故不手際認める
7月27日 17時20分 NHKニュース

 文部科学省が福島第一原子力発電所の事故対応を検証した報告書を27日、公表し、住民の避難に必要な情報の提供や、放射線量の説明などの不手際を認めたうえで、

「緊急時ではマニュアルに沿っていては国民の生命財産を守ることができない場合もあったと反省している」と謝罪しました。

文部科学省は、福島第一原発の事故対応について検証した報告書を27日、公表しました。

この中で、事故直後の去年3月、アメリカ政府から航空機を使って作成した放射線量の地図の提供を受けたにもかかわらず公表しなかったことについて、

「海外の機関が行った調査の公表方法について、政府として具体的な手順を定めていなかった」などと不備を認めています。

また、事故のあと、学校の屋外活動を制限する放射線の目安を年間の積算で20ミリシーベルト未満とし、保護者などから高すぎると批判が相次いだ問題については、

「保護者の立場に立って不安に真摯(しんし)に応える姿勢が十分ではなかった」としています。

そのうえで、事故対応全般について、「マニュアルとは異なる体制が急きょ整えられたことなどから、

内外においてコミニュケーションの面で不十分な点があった」と不手際を認めています。

文部科学省の城井崇政務官は「緊急時においては、マニュアルに沿っていては国民の生命財産を守ることができない場合もあったと反省している。

職員ひとりひとりが想像力を働かせてみずから動く発想を持たなければならない」と話しています。


SPEEDI公表義務問題 文科相発言撤回 虚偽答弁の恐れ
産経新聞 7月28日(土)7時55分配信

 ■「安全委への運用移管、合意なかった」

 東京電力福島第1原発の事故後、放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」のデータ公表が遅れた問題で

文部科学省は27日、運用・公表を内閣府原子力安全委員会に移すことで事故直後に官邸と合意したとする従来の主張を撤回した。

東日本大震災への対応を自己検証した最終報告書で明らかになった。

 文科省はこれまで、SPEEDIの運用主体が公表義務も同時に負うと説明しており、運用する文科省が、公表義務を負っていたことを事実上認めた。

 平野博文文科相は今年3月の参議院予算委員会で「昨年3月16日、当時の官房長官からの指示でSPEEDIの運用は安全委が行うことになった」と述べ、

公表義務は安全委側にあったと説明している。事実と異なる答弁をしており、国会で追及されるのは必至だ。

 SPEEDIは事故時の放射性物質の拡散を予測し、避難に役立てるシステムで、文科省が所管している。福島第1原発事故では、

原発から20キロ圏の警戒区域の避難がほぼ完了した昨年3月23日に初めて試算結果が公表され、住民の避難に全く活用されなかった。

 公表の遅れについて批判された文科省は、これまで「昨年3月16日に官邸で行われた協議で、

SPEEDIの運用・公表は安全委に移管することで合意しており、

公表義務は安全委にあった」と説明。これに対し安全委は「協議ではSPEEDIの『ス』の字も出ておらず、移管された事実はない」

(班目(まだらめ)春樹委員長)と真っ向から反論。責任の所在をめぐって、なすり合いが続いていた。

 文科省の最終報告書は「官邸で整理された(放射線量を監視する)モニタリング関連の役割分担方針に

、具体的にSPEEDIについては明示されていなかった」と記載。

安全委への移管に関する合意は存在しなかったことを認めた。

 同省の田中敏総括審議官は産経新聞の取材に「官房長官の指示内容を精査した結果、SPEEDIについて記載された文書は一切なかった」とした上で、

「モニタリングの評価を行う安全委が、評価の一環としてSPEEDIの運用も行うと当時、(幹部が)解釈したのだろう。

文書で手続きをしなかったのが大きな反省点。文科相の国会答弁も適切な表現ではなかったかもしれない」と話した。

 
文部省はSPEEDIを非公表にした責任者をぼやかした

非公表 理由示さず SPEEDI いつ、誰が不明のまま
2012年7月28日 07時06分 (東京新聞)
東京電力福島第一原発の事故後、政府は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」で放射性物質の拡散方向などを予測しながら、

当初公表しなかった問題で、文部科学省は二十七日、同省の対応を検証した最終報告を発表した。

だが、誰がなぜ公表しないよう決めたのかなど肝心の部分は明らかにしなかった。「無用の被ばく」をしたとされる福島県浪江町の避難者からは文科省の姿勢に怒りの声が上がった。 

 SPEEDIは、昨年三月十五日、午後から翌未明にかけ、放射性物質が原発から北西方向に拡散するとの予測結果をはじき出していた。

同じころ、南相馬市や浪江町の住民の中には、北西方向の飯舘村方面に避難しようと動いていた。

 文科省が予測結果を公表していれば、住民の被ばくを防げたのではないかというのが最大の問題点だ。

 文科省は十五、十六日に高木義明文科相(当時)ら政務三役と事務方でSPEEDIについて協議。

政府事故調の中間報告は「公表すると無用の混乱を招く恐れがある」と出席者から意見が出た、と指摘した。

 文科省の検証チームは、当時三役だった五人全員から話を聞いたものの、いつ、誰が、なぜ非公表を決めたのか、検証結果が一切示されていない。

 わずかに、十五日夕の省内打ち合わせで、「(公表すれば)被災地での医療崩壊、ガソリン・医薬品の枯渇などが進み、

救急活動などに悪影響を与えかねない」旨の発言があった、とだけ記述。

 公表していれば、被ばくを防げたのかという点に関しては、「否定することまではできない」と記した。公表方法については

「関係機関に何らかの助言を行うことを検討すべきだった」と、自らには直接的な公表の責任はないとの認識を示した。

 SPEEDIは、昨年三月二十三日以降、徐々に公開し始めた。

 
 
「原子力規制委員会」の田中委員長候補に民主党党内から批判
 

民主 規制委人事案に批判続出
7月27日 13時5分 NHK

 政府が国会に提示した、「原子力規制委員会」の委員長らの人事案について、民主党の合同会議で「反原発の立場を明確にしている人が含まれておらず、

バランスを欠いている」などと批判が相次ぎました。

政府は26日、新たに発足させる「原子力規制委員会」の委員長に放射線物理が専門の田中俊一元原子力委員会委員長代理を

充てるなどとした人事案を国会に提示しました。

この人事案について、民主党は27日、環境部門会議と原発事故収束作業チームの合同会議を開き、細野原発事故担当大臣ら政府側から説明を受けました。

出席者からは「委員長として提示された田中氏は国の原子力政策に深く関わってきた人物で、国民の理解が得られない」という指摘や、

「反原発の立場を明確にしている人がおらず、バランスを欠いている」などと批判が相次ぎました。

これに対して、細野大臣は「委員の候補として打診したものの、断られた人もいる。

引き受けてくれる専門家を探すのは難しい」などと述べ、理解を求めました。

党執行部は人事案に賛成する方針ですが、異論が表面化したことで、今後、党の意見集約に手間取ることも予想されます。

☆電力会社は長年、国会や県会市町村議会に二つの分野から多くの議員を出してきている。一つは会社のOBであり、社員在籍だった人。

もう一つは組合からだ。いずれも潤沢な選挙資金をバックに継続して当選させている。

この電力会社の配下の議員が動いて候補にした面々に対して、民主党の環境部門会議と原発事故収束作業チームの議員たちがおかしいと
発言しているのだろうか?

参考:(ただし、本誌のアンケートを無視し、沈黙を守っていても原発推進がはっきりしている議員は少なくない。

その代表格が電力総連の組織内候補である民主党の小林正夫、藤原正司両参院議員。

小林氏は元東電労組副委員長にして元電力総連副会長、藤原氏は元関西電力労組執行委員長で、両者には関連の政治団体などを通じて

電力総連からそれぞれ約4000万円、約3000万円('06年~'09年分)のカネが流れている。

引用元 徹底調査「原発再稼働」を推進するこれが国会議員のリスト
ああ、3・11に学ばず---これがこの国の現実
いまもって電力会社と労組がくれる「カネと票」に群がる彼ら

全文はこちら

読売が全力をあげる「原子力規制委員会」人事

一部引用・・

タカをくくってはならない。来る総選挙で政権が変わっても、どうにもならないのである。独立委員会であるため任期の5年間は口が出せない。

原子力村は血眼になって、この人事を政府に飲ませるだろう。読売新聞が社説で「この人事を急げ」と書きたてているのを見ればわかる。

全文はこちら

 
 
脱原発デモを国会議員は不安に見守る

脱原発デモ:政党は距離感つかめず
毎日新聞 2012年07月28日 00時41分

 毎週金曜日夕方に、東京・永田町の首相官邸前で行われる原発再稼働への抗議行動に対し、各政党に危機感が高まりつつある。
 
自発的に集まる人々がほとんどで、政党側には意思疎通のパイプがない。矛先が既成政党全体に向かうきざしもあり、
 
「なめたらえらいことになる」(自民党幹部)という声も出ている。

 自民党の谷垣禎一総裁は、26日の記者会見で抗議行動について「不安を表現する道を探している人がたくさんいる。その不安感の根底にあるのは何か。
 
そういう不安を払拭(ふっしょく)するのは、どういう立場にあっても政治の大事な仕事だ」と厳しい表情で語った。

 政府が原発の再稼働を進める方針は揺るがず、自民党も再稼働の必要性を認める立場だ。電力総連出身の民主党参院議員は「原発を止めれば料金も上がる。
 
好き嫌いで語る人に説明しても理解されない」と突き放す。

 しかし、数万人単位の参加が続き、政党側も無視できない状況になり始めている。公明党の井上義久幹事長は27日の記者会見で
 
「国会論戦で考え方を理解してもらうのが基本だ」としながらも、「国民の声のひとつの表れとして真摯(しんし)に受け止める」とつけ加えた。

☆さすがに無視するには数が増えていくので不安が出てきたらしい。

普通のくにたみの個々の考えが、細い流れからわずかながらでも、「不毛の政治という荒地」に影響を与え始めたのかも知れない。
 
 
 
20120726 デモは社会を変えるか 声をあげはじめた市民たち
 

NHK クローズアップ現代より。

毎週金曜日、首相官邸前で「脱原発」を訴えるデモ。政治や社会運動とは無縁だった介護士や会社員がツイッターなどで呼びかけたところ、

参加者が爆発的に増え、数万人規模にまで広がっている。政党や労働組合が組織的に動員する旧来型のデモと異なり、

ネットなどで情報を得た個人が自発的に参加しているのが大きな特徴だ。子ども連れの主婦、仕事帰りの会社員、高齢者など多岐にわたる。

さらにデモで知り合った“デモ友”同士が交流を深め、脱原発以外のテーマで連携する動きも出ている。いまなぜ、人々はデモに集うのか。民主主義のあり方を問う市民たちの姿を追う。

 
 
保安院が58年間の稼働にお墨付き 玄海原発1号機
 

玄海原発:劣化の1号機 「33年まで健全」と保安院
毎日新聞 2012年07月27日 19時56分(最終更新 07月28日 00時37分

九州電力玄海原発1号機(佐賀県、定期検査で停止中)の原子炉圧力容器が予想を上回り劣化していた問題で、経済産業省原子力安全・保安院は27日、

現時点の劣化は異常なレベルではなく「2033年までは十分健全」との見解をまとめた。

1975年に運転開始した1号機は、2033年まで運転すれば58年となる。政府は原発を原則40年で廃炉とする方針を決めているが、

9月に発足予定の原子力規制委員会が再検討することが決まっており、今回の見解は論議に影響を与えそうだ。

 保安院は昨年11月からこの問題を検討。27日開かれた専門家による意見聴取会で大筋了承を得た。

 原子炉圧力容器は、核分裂反応で生じる中性子を浴び続けるともろくなる。劣化の程度を間接的に調べるため、各電力会社は圧力容器内に同じ材質の試験片を設置。

定期検査の際に取り出して、劣化の程度を示す「脆性遷移(ぜいせいせんい)温度」などを調べる。この値が異常に高いと、

事故の際の注水がきっかけで圧力容器が破損する恐れがある。

☆保安院の記者クラブでのブリーフィングか、発表文書によって書かれた記事だろうが、この記事をだすなら27日に開かれた専門家による

意見聴取会の全出席者の氏名を取材して報道すべきだ。

「誰が何をいつどこでどういうようにの5W1H」の報道の一番大切な『誰が』を組織名だけで済ませるのは、報道機関として仕事をしていない。

 
 
20120727 原発再稼働に揺れるカリフォルニア州
 

NHK BS1 ワールドwaveトゥナイトより。

大飯原発の再稼働が大きな議論を呼ぶ中、アメリカ・カリフォルニア州でも、原発の再稼働が、町を二分する論争となっている。焦点となっているのは、

今年一月、配管から水が漏れる異常で、一時的に稼働を停止したサンオノフレ原発。反対派は、東京電力福島第一原発の事故を踏まえ、「脱原発」を強く主張。

一方、賛成派は、このままでは、計画停電のおそれもあると、産業への打撃が深刻であるとを訴える。再稼働に揺れるカリフォルニアの今をリポートする。
 

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【「絶望の果ての戦後論 文学から読み解く日本精神のゆくえ」  なぜ 今、「対米従属文学論」なのか】

2024年08月27日 | 乱読は楽しい

前書きなど

 アメリカ一極から多極化へ世界秩序が変わろうとする中、アメリカに従属し、あらゆる価値感情を蒸発させてきた日本人は自立することが出来るのか。

文学を通して戦後私たちが失ってきたものと残されたものを確認し、精神的な自立への足がかりを探る。第一部では太宰治から島田雅彦まで、

戦後の代表的な文学を時系列で振り返り、日本人の精神が堕落していった経過を忖度なく語った「クライテリオンメンバー」による座談会を収録。

第二部では戦後の文学批評を振り返って日本人に残された自然的な精神の在処を探った文芸批評家・浜崎洋介の論考を収録。

目次

文芸誌には絶対に載らない、ド直球の文学論!
太宰治、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、村上龍、高橋源一郎、島田雅彦……。
あらゆる価値感情を蒸発させてきた戦後日本人の精神史を代表的文学作品、文学批評から読み解く。多極化する世界で、アメリカに甘えてきた日本人は自立できるのか。
日本人の真価を問う

もしも今の日本人が皆、どうしようもない隷属状況に日本が置かれていることを、過不足なく、冷静に認識、把握しているのなら、こんな文学はゴミ箱に捨てればいい」/藤井聡

第一章 「平和」への戸惑い  太宰治「トカトントン」/大岡昇平「生きている俘虜」

なぜ、今、「対米従属文学論」なのか
「トカトントン」と、戦後日本
思想と実生活
文学と社会科学
極限状態から「生きている俘虜」へ
「俘虜収容所」としての戦後日本
戦後的ニヒリズムの乗り越え方
「八月十五日」との対峙


第二章 「戦後的日常」への頽落──「第三の新人」をめぐって  
小島信夫『アメリカン・スクール』/安岡章太郎「ガラスの靴」

「第三の新人」と小島信夫
戦後日本人の三つの類型
「自由」ではない日本人
〈二者関係=閉域空間〉からの脱出
戦後文学と「リアリズムの罠」
アメリカ的自由への憧れと不安
「空白」としての戦後空間
「パブリック」なものの欠如
「べき論」を語らないという欺瞞
「軟文学」を超えて


第三章 「戦後的日常」の拒絶 三島由紀夫『真夏の死』/『憂国』

三島由紀夫を貫く二つのモチーフ
「戦後的日常」と「死」
戦前と戦後をどう繋ぐのか ──八月十五日で「待つ」ということ
三島由紀夫の「リアリズム」
『真夏の死』の「比喩」 ──戦後日本の〈国民/国家〉
再び、八月十五日で「待つ」ということ
「戦後」へのアンチテーゼ 
三島由紀夫の「大義」が向かう先
理想の「夫婦」のかたち
三島由紀夫の〈絵空事=ロマンティシズム〉
三島文学の「世界性」と「普遍性」
三島由紀夫と「保守思想」 ──天皇と国語について
三島由紀夫の大東亜代理戦争 ──つづく「近代の超克」の思想戦


第四章 戦後的ニヒリズムへの「監禁」  大江健三郎「後退的青年研究所」/「セヴンティーン」

大江健三郎のイメージ・ギャップ
アメリカに飼われる日本 ──「後退青年」の憂鬱
「出口なし」における実存的不安
「完全に負ける」ということ ──六〇年安保の意味
天皇と憲法 ──大江健三郎の漂流
敗北の敗北のまた敗北 ──戦後的ニヒリズムの完成
大江健三郎=藤井聡説? ──「中二病」の普遍性
思わず「右翼」のなかに入り込む大江健三郎
大江健三郎の「頭でっかち」なところ
俯瞰と身体の回路の不在 ──どんづまり感
「プライベート」から外に出られないということ
戦後知識人と大江健三郎

第五章 戦後的ニヒリズムの臨界値  開高健『輝ける闇』/村上龍『限りなく透明に近いブルー』

開高健の「転機」 ──ベトナムと『輝ける闇』
ベトナムの分かり難さと、「傍観者」のあやふやさ
「戦後空間」への抵抗のヌルさ ──「大学生」としての開高健?
「生の実感」を求めて ──ベトナムとアウトドア
大東亜代理戦争としてのベトナム戦争 ──戦後日本人の国際感覚の欠如
「小説」のヌルさと「批評」の覚悟 ──無意識と意識とのトレードオフ  
高度成長後の「ブルー」
「戦争小説」としての『限りなく透明に近いブルー』 ──青春の破壊願望
「ポストモダン的虛構」の拒絶 ──村上龍のエネルギー
高度成長後の『悪の華』 ──善/悪が逆転した時代の「戦い方」
一九七二年という転換点 ──「ニヒリズム」の臨界値
「破壊願望」は「保守思想」に接続できるのか ──「成熟」への問い

第六章 高度成長後の風景  村上春樹『風の歌を聴け』/田中康夫『なんとなく、クリスタル』

「透明」に向かう八〇年代文学
村上春樹という「逃げ場所」 ──初恋の「気分」について
村上春樹と「伝達」の問題 ──都市生活者の自意識について
「破壊願望」からの解放 ──〈諦め〉の受け入れ方
「葛藤」を回避する文学 ──「近代」が終わった後の世界
「相対主義」とは違う「無常」 ──ポストモダン的「冷笑」ではなく
「一人」であることの自覚 ──村上春樹の「一匹と九十九匹」
「ニヒリズム」との付き合い方 ──「無常」を表現するという「希望」
『なんとなく、クリスタル』は文学なのか? ──全否定に次ぐ全否定
「従属」ではなく「所属」 ──八〇年代の日米関係
消費する若者たち ──「なんとなく、ネオリベ」の世代
小説の終わりと、ポスト・モダン批評 ──高橋源一郎のヒドさ
『俘虜記』から『なんとなく、クリスタル』へ ──戦後三十年の断絶

第七章 「国土の荒廃」を読む  石牟礼道子『苦海浄土─わが水俣病』/富岡多恵子『波うつ土地』

戦後日本における「母の崩壊」というモチーフ
近代資本主義という名の「受苦」 ──「鎮魂」としての文学
「業」としての文学 ──「水俣」を記憶する言葉
「魂」の実在を記録するということ ──「死者の民主主義」について
共同体の分裂と国家への情念 ──加害/被害を超えたものの手応え
「民衆の生き方」 ──資本主義化=世俗化する世界への抵抗
「文学」の使命 ──「国民的受苦」を引き受けること
「現代の男ども」に対する女の「復讐」
「女」に気が遣えない「日本の男」
八〇年代消費文化とニュータウンの風景
波うつ「大地」を安定させること、治めること ──築土工木の思想
「土建屋の男」が象徴するもの ──ナショナリズムの回路


第八章 「ポスト・モダン」の頽落を超えて  高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』/島田雅彦『優しいサヨクのための喜遊曲』

「近代文学の終わり」と「ポストモダニズム」
『さようなら、ギャングたち』が書かれた時代
「政治と文学」という主題の終わり
これは「追い詰められた結果」なのか、単なる「言葉遊び」なのか
「テクスト」だけで立っていない『さようなら、ギャングたち』
幼児退行する文学 ──「政治」という「地」を失った文学
ポストモダンの「左旋回」 ──「虛構」に逃げ込んでいく「サヨク」
凡庸すぎて、付き合っていられない「青春日記」
八〇年代サヨクの「虛構性」 ──生活と何の関係もない運動
「ポストモダン」か「オウム」か、という二者択一のグロテスク
「子宮回帰願望」から「オタク」へ ──「反出生主義」のメンタリティ
果たして「文学」は再生するのか? ──「ポスト・モダン」を超えて
「自由」な文学論に向けて

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岸田辞任は米国の圧力?いずれは子飼いの小泉進次郎か。ジャパン・ハンドラーの思惑=高島康司   MONEY VOICE

2024年08月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

岸田首相の自民党総裁選立候補断念と、次期総裁選におけるアメリカの圧力と影響について解説したい。日本の政治に対するアメリカの圧力は大きい。

岸田の立候補断念と総裁選における米国の圧力

岸田首相は自民党総裁選の立候補を断念し、来月12日告示、27日投開票の日程で総裁選が行われることが決定した。

告示から投票日前日までの期間は15日間と、総裁選挙のいまの規程が設けられて以降最も長く、自民党としては論戦を充実させ、信頼回復につなげたい考えだ。

派閥を解消した後の初めての総裁選とあって、現在10人程度の候補者が乱立するのではないかと見られている。

こうした状況だが、やはり気になるのは、岸田の実質的な辞任でもある総裁選立候補断念、さらに次期自民党の総裁の決定にアメリカ、

特に「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれる軍産複合体をバックにした安全保障系の集団がどの程度関与しているかである。

アメリカの圧力を示す「CSIS」のレポート

この圧力が分かる格好の材料がある。それは、「CSIS(戦略国際問題研究所)」が発行するレポートである。

ちなみに「CSIS」は、リチャード・アーミテージや故ジョセフ・ナイ、またマイケル・グリーンなどの「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれ、

歴代政権に仕える日本担当チームが結集しているシンクタンクだ。現在のバイデン政権の対日外交政策にも大きな影響力がある。

そのため「CSIS」が日本に向けて出すレポートは、アメリカの意向を伝えるものとして理解され、日本の歴代の政権に対して影響力を持っている。

「CSIS」がこれまでどんなレポートを日本に対して出してきたのかその経緯を見ると、影響力の大きさが分かる。

すでに2年以上前の第605回の記事で紹介したが、重要なので再度掲載する。

【関連】米国のジャパンハンドラーが画策?持病悪化だけではない安倍辞任の真相=高島康司

安倍首相の辞任の少し前に出されたレポート

2020年8月28日、安倍首相は大腸炎の悪化を理由に突然と辞意を表明し、第4次安倍内閣は総辞職した。

その少し前の7月30日、「CSIS」は「日本における中国の影響:どこにでもあるが特定のエリアはない」という題名のレポートを発表した。

これは安倍政権下における中国の影響力を調査したレポートだ。

このレポートは、安倍政権を特に批判したものではない。レポートは日本における中国の影響力を調査したものだ。

中国はアメリカやヨーロッパをはじめあらゆる国々に経済的、政治的、そして文化的な影響力を強化する政策を実施しており、その多くはかなり成功している。

たとえば、中国政府が世界各地に開設した中国の文化センター「孔子学院」は、特にヨーロッパ諸国で中国の文化的な影響力の拡大に貢献している。

今回の「CSIS」のレポートは、中国のこうした文化的影響も含め、日本における中国の影響力を文化的、政治的、経済的な側面から調査して、分析したものだ。

このレポートは、日本における中国の影響力が限定的であるとしながらも、日本の政界における中国の影響については一部懸念を表明している。

中国の影響下にある政治家や高官が、安倍政権の内部にいるという批判だ。レポートには次のようにある。

「秋元司議員は自民党内部の親中派、二階派に所属している。この派閥は、別名「二階・今井派」とも呼ばれている。

内閣総理大臣補佐官で元経産省官僚の今井尚哉は、中国、ならびにそのインフラ建設の計画にはソフトなアプローチを採るべきだと安倍首相を説得した。

また、元和歌山県知事で和歌山の動物園に5匹のパンダを持ってきた二階幹事長は、2019年4月には特命使節として中国に派遣され、習近平主席と会見した。

そして、アメリカの(反対)意見にもかかわらず、日本が中国の「一帯一路」に協力すべだと主張した。二階は習近平主席の訪日も提唱した」

これは安倍政権そのもの対する批判ではないものの、安倍政権の内部には親中派が存在し、中国寄りの政策を実施しにているとする懸念を表明したものだ。

このレポートが出たのは2020年7月30日である。8月に入ると、それにタイミングを合わせたかのように、安倍首相辞任の可能性を探る記事や情報が急に増えた。

このタイミングを見ると、辞任は、このレポートで表明された安倍政権への懸念に対応したものである可能性が高い。

さらに過去のレポートの影響力

「CSIS」のレポートの影響力を示す例はこれだけではない。さらに過去にさかのぼると、多くの事例がある。その中でも代表的な例を紹介しよう。

2014年10月3日、「CSIS」は、「安倍の危険な愛国主義:なぜ日本の新しいナショナリズムは地域と日米同盟に問題となるのか」というレポートを発表した。

これは当時の安倍政権のナショナリズムが東アジア地域の安全保障、及び日米同盟を損なう可能性を警告したレポートだ。そこには次のような警告がある。

「残念ながら現在の東アジアの情勢では、安倍のナショナリズムはアメリカにとって大きな問題である。

もし安倍のナショナリズムが東シナ海において不必要に中国を挑発したりするならば、信頼できる同盟国というワシントンの日本に対する見方を損なう恐れがある」

そして、これを回避するために韓国との間にある「従軍慰安婦」の問題を解決するように提案をする。

「もし安倍の「従軍慰安婦」やその他の問題に対する姿勢が東京とソウルとの協調を損なうのであれば、この地域の軍事的な不確実性に対処するアメリカの能力を弱め、

同盟の強化に向けたアメリカの外交努力を損ねることになりかねない」

安倍政権の反応は速かった。このレポートが出た3週間後、日本政府は「国家安全保障会議」の谷口氏を特使として韓国に派遣し、この問題の解決の糸口を探った。

その後、日韓、日中は外相レベルの会談を実施し、懸案だった日韓、ならびに日中韓の首脳会談の実現した。

そして、2015年12月、協議を重ねた日韓両国は慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した「慰安婦問題日韓合意」を締結した。

もちろんこの合意は、残念ながら次のムン・ジェイン政権によって破棄されたものの、この当時は懸案だった慰安婦問題の最終的な解決として高く評価された。

「東京はこれらの政治問題の重要性をよく認識し、可能な分野で歴史問題の緊張を和らげる努力をすることは重要だ。

(中略)これは特に日韓関係で重要である。もし日韓両国が前向きであれば、大きな前進が期待できる。

日本が発揮する柔軟性は、日本の保守層がナショナルプライドを放棄することにはならない」

つまり、日韓関係を改善するために、安倍政権のほうから「従軍慰安婦」問題を解決せよということだ。

岸田立候補断念前に出されたレポート

では、今回はどうなのだろうか?

実は岸田が総裁選立候補断念を表明する1カ月と少し前の7月11日、やはり「CSIS」から日本の安全保障政策に向けたレポートが出されていた。

それは、次のレポートである。

・1989-2000:失われた目的と取り戻した目的

冷戦後、北朝鮮の核・ミサイル開発など身近な安全保障上の脅威が増大したため、日本は従来の自衛の概念を拡大し、地域の安全保障により重点を置くようになった。

しかし日本の連立政権は、米国との同盟関係よりも多国間外交とアジア重視を強調し始めた結果、日米同盟は不安定化する。

しかし、ワシントンは東京との対話を開始し、日米同盟の将来像を明確にし、日米関係の重要性に関する両首脳のコンセンサスを再構築した。

・2000-2012:対テロ戦争とアジアへのリバランス

2001年9月11日のテロ攻撃は、同盟協力の新たな章の幕開けとなる。小泉純一郎首相率いる日本は同時多発テロ後、米国を支援するために迅速に動く。

日本は海上自衛隊の艦船をインド洋に派遣する「特別措置法」や、約600人の陸上自衛隊員をイラクに派遣する「特別措置法」を可決した。

どちらの「特別措置法」も歴史的なものであり、自国の地域を超えた国際安全保障における日本の役割を促進するものだった。

日米安全保障協議委員会(2+2)プロセス-米国務・国防長官と日本の担当官との会合-は、日米同盟の進展の原動力となった。

しかし、鳩山由紀夫首相が民主党の初代首相に選ばれた。鳩山首相は「東アジア共同体」構想を外交政策の中心に据え、経済・安全保障協力を推進する多国間外交を重視した。

だが、オバマ大統領の「アジアへのリバランス(再均衡)」の下で、米国が地域情勢により集中的に取り組むという戦略的決定を下しため、同盟関係は調整され強化された。

日米安全保障パートナーシップの進化
https://features.csis.org/evolution-of-the-us-japan-security-partnership/

これはかなり短いレポートで、戦後の日米同盟の経緯を振り返りながら、2024年以降の同盟関係を展望したものである。

次項にその内容を簡単にまとめた。

・1951-1960:戦略的駆け引き

安保条約に基づき、日本は 国際連合憲章第7章第51条に基づく自衛権を保持した。

しかし日本は、戦後の占領下で米国によって制定された新憲法第9条の下で、主権的権利としての戦争も放棄した。

軽武装で経済成長に専念するという「吉田ドクトリン」を採用。専守防衛でアメリカが日本の防衛義務を負う。

・1960-1989:冷戦

冷戦状態でソ連の脅威が高まる中、日本がシーレーン防衛を担当する必要に迫られるも、日本は「吉田ドクトリン」の強化で対抗。

高度経済成長とバブル期の成長から日米貿易摩擦が深刻化し、同盟関係に影を落とす。

・2012-2024:同盟の統合
安倍政権は、限定的な状況下での集団的自衛権の行使を可能にするため、憲法第9条の解釈を変更した。

そして、米国に対する攻撃が日本の生存を脅かす場合、日本は米軍の作戦を直接支援することができるようになった。

新ガイドラインによって、日米両軍はより広範な事態を想定し、相互運用性を強化することが可能となった。

しかし、多くの点で、日本の防衛政策に対する戦後の制約は、安倍首相の時代になってもそのままであった。

一方岸田首相は、米国との防衛協力強化へのコミットメントを明確に示し、日本の防衛費を3倍に増額した。

以上である。そして、このレポートの結論には以下のようにある。

「日米両国は、インド太平洋の安定と秩序を維持するため、二国間および他のパートナーとの間でより統合された同盟関係を構築している。

憲法第9条をはじめとする重要な制約にもかかわらず、日本は吉田ドクトリンから脱却し、国と地域全体の安全を確保するために防衛への投資をさらに増やしていくだろう。

戦後の日米同盟の歴史が何らかの指針になるとすれば、このプロセスは、将来その秩序を損ないかねない新たな課題に対応して進化し続けるだろう」

憲法9条改正への圧力か?

さて、このレポートを見ると、憲法9条の制約のもと、専主防衛によって軽武装に止め、経済成長に専念する「吉田ドクトリン」から日本を脱却させ、

自衛隊を米軍と一体化させて、日本をアメリカの世界戦略に統合する過程を明白に示している。

そして、この過程では、憲法9条の存在がさらなる統合への障害になっていることが示されている。

このレポートが、岸田首相の総裁選立候補辞退の直接的な引き金になってかどうかは分からない。

ただ、憲法9条の改正がない限り、自衛隊を米軍にさらに統合して一体的に運用する次の段階には進むのは困難だと見ている可能性は大きい。

ということでは、20%台まで支持率が低迷した岸田政権では、憲法改正はまったく望めない。

ということでは、「CSIS」の「ジャパン・ハンドラー」が憲法改正ができる政権への交代を望んだとしても不思議ではない。

いずれは子飼いの小泉進次郎か?

では、憲法改正を実現できるものとして「ジャパン・ハンドラー」が望む人物は誰なのか?今回ではないかもしれないが、

いずれは首相が小泉進次郎であることを望んでいるのではないかと思う。

それというのも、小泉進次郎は、アメリカの軍産複合体・安全保障系勢力の子飼いである可能性が大きいからだ。

すでに広く知られているが、小泉進次郎の経歴を見るとその可能性がはっきり分かる。

1988年4月
関東学院六浦小学校入学、
以来中学・高校・大学と関東学院で過ごす

2004年3月
関東学院大学経済学部卒業

2006年5月
米国コロンビア大学大学院政治学部修士号取得

2006年6月
米国戦略国際問題研究所(CSIS)研究員

2007年9月
衆議院議員小泉純一郎秘書

2009年8月
衆議院議員

まず、偏差値40程度の関東学院大学から、超一流のコロンビア大学大学院への入学というのはちょっと難しいのではないかと思う。

いずれにせよ、コロンビア大学は、アメリカの情報機関と深く連携している大学のひとつである。コロンビア大学は、そうした大学の中心でもある。

「ジャパン・ハンドラー」の大御所のひとりであるジェラルド・カーティスは、コロンビア大学の教授である。

また、小泉進次郎は「CSIS」の研究員であった。このような経歴を見ると、小泉進次郎は「ジャパン・ハンドラー」の軍産複合体・安全保障系勢力と強いつながりがあり、

実質的に彼らの子飼いのような存在である可能性は否定できないように思う。

ということでは、今回の総裁選では比較的に短期の政権を担当する人物が選ばれるものの、その後はやはり小泉進次郎が自民党総裁、

そして首相になるように、誘導されるのではないかと思う。この結果、日本のアメリカへの隷属化はさらに深化するだろう。

ただ、ここに希望があるとすれば、トランプ政権の成立であろう。トランプは、「ジャパン・ハンドラー」を実質的に排除した。

トランプ政権になると、日米同盟の様相も大きく変化することだろう。それに期待したい。

引用元。

 

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08月26日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月27日(金)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月27日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月27日(金)
 
“民意”ではなく“官意”に従う 野田首相のゆるぎなき決意
 
オスプレイ配備への過程は原発再稼働とそっくり

“官意”に従う野田首相の「決める政治」

一部引用・・

7月23日、12機のオスプレイが列島に渦巻く反対や不安の声を押し切って、予定通り岩国基地に陸揚げされた。

 野田佳彦首相は24日の国会答弁で「安全確認ができなければ飛行・運用をさせない」と言い切った。事態の深刻さをようやく察知したのだろう。
 
しかし、この答弁も今までの発言と比べて本質は変わっていない。

拙速なオスプレイ配備がむしろ日米関係を揺るがす恐れも

 今までは、オスプレイ配備は装備の重要な変更ではないから事前協議の対象ではない。
 
だから日本側にこれを中止する何らの権限もなく、「日本がどうしろこうしろという話ではない」(首相)と突き放してきた。

 しかし、この問題はもはや法的問題の域を越えて、社会的、政治的問題に発展している。すなわち、日米合同委員会での協議と言うより、日米首脳の政治協議の対象になる雲行きだ。

 オスプレイの飛行訓練による墜落事故の危険、低空飛行がもたらす騒音や圧迫感。米国内でさえ強い反対運動が起きている。
 
日本列島のほぼ全域で訓練飛行が予定されているから、日に日に全国的な不安が高まっているのは当然だ。

以下全文はこちら
 
 
 
原発現場には高線量要員が不可欠 臨時雇いでまかなう東電と元請け

福島第一元作業員「賃金、手当ピンハネ」 労働局に訴え
「多重派遣」も
2012年7月27日 07時03分 東京新聞
東京電力福島第一原発事故の収束作業に携わった長崎県出身の元作業員男性(45)が二十六日、下請け上位の日栄動力工業(東京都港区)が

職業安定法と労働者派遣法に違反する多重派遣をしていたとして東京労働局に訴え出た。

二十七日には、多重派遣のほか約束された賃金が支払われていないとして、長崎県内の下請け会社四社を長崎労働局などに訴え出る。

 男性は昨年七月一日~八月九日、福島第一で事故収束作業に従事していた。

弁護団などによると、男性に仕事を紹介し、給料を支払っていたのは前田工業(長崎県松浦市)だが、放射線管理手帳上の所属会社は、

大和エンジニアリングサービス(同県佐世保市)になっていた。

 両社の間には、佐世保市の創和工業と福田工業が介在し、上には、日栄動力工業がある複雑な下請けの流れになっていた。

 下請けを繰り返す中で、大和エンジニアリングは日当と危険手当の計二万四千~二万五千円を下請けに支払ったが、男性には一万千円しか支払われていなかったという。

 男性は「何重もの下請け構造は不当だ。約束された日当も支払われず、危険手当もピンハネされた」と訴えている。

 本紙の取材に対し、大和エンジニアリングは「請負契約であり、多重派遣ではない。下請け会社には危険手当を含めた金額を支払った」と説明。

前田工業は「上にたくさんの会社があるとは知らなかった」と話している。

◆建屋外と事前説明/実は高線量要員

 福島第一原発の収束作業で危険手当の未払いなどを申し立てる元作業員の男性は、本紙の取材に、原発の建屋外の作業だと説明されていたことや、

被ばくの恐怖と闘いながらの作業だったのに正当な手当が支払われない怒りを語った。

 二十キロの鉛板を入れたリュックサックを背負い、防護服に全面マスクを着け、1号機原子炉建屋の急階段をビル六階の高さまで駆け上がる。

線量計の警報は鳴りっぱなし。緊張と息苦しさで心臓が破裂しそうになる。「早く終われ、早く終われ」。男性は心の中でつぶやき続けた。

 昨年七月に携わった作業を男性が振り返った。建屋内にいたのは十分弱だったのに、二・四ミリシーベルトも被ばくした。

一般人の年間被ばく上限の二倍以上もの線量だ。建屋内に局所的に線量が極めて高い場所があることなどが影響したとみられる。

このほか男性は高濃度汚染水を処理するための配管作業など、被ばく線量の高い作業に当たった。福島第一での作業は一カ月あまりだったが、

この間に計約一二・三ミリシーベルトも被ばくした。

 原発作業員の被ばく上限は五年間で一〇〇ミリシーベルト。

年平均二〇ミリシーベルトが作業員の手持ち線量だ。男性の場合、わずか一カ月で半年分を使ったことになる。

 下請け会社も自社の社員が線量を使い切ってしまうと、次の仕事を取りにくい。そこで男性のように臨時の作業員を雇うケースが出てくる

男性は「自分が(被ばく線量の高い作業を短期で担う)高線量要員だったことを後で知った」と話し、

「約束した賃金は少なくとも払ってほしい」と訴えた。 (片山夏子・東京新聞)

 
 
次は高浜原発の再稼動 関電社長 枝野大臣は・・
 

「次は高浜」関電社長発言に枝野大臣が“激怒”
テレビ朝日系(ANN) 7月26日(木))6時46分

 関西電力社長の発言に枝野経済産業大臣が激怒です。

 関西電力・八木社長:「大飯原発の次ということでは、高浜3、4号機のプラントを優先的に再稼働させて頂く方向で(国と調整したい)」


 関西電力の八木社長は、大飯原発4号機がフル稼働に達したことを受けて取材に応じました。このなかで、高浜原発3号機、4号機を次は再稼働させたいとの意向を示しました。

 枝野経済産業大臣:「大変、不快な発言であると。安全性についてしっかりとチェックすることなしに再稼働はあり得ない」

 一方、枝野大臣は、八木社長の発言に対して「電力会社は原発の安全性を優先すべきだ」とし、「規制組織の成立を今は見守るべきだ」と述べ、強い不快感を示しました。

記者会見の動画

関電・八木社長「次は高浜原発」 枝野経産相は強い不快感


フジテレビ系(FNN) 7月26日(木)6時47分配信

関西電力の八木社長は、フル稼働に達した大飯原発4号機に続き、次に再稼働させる原発について、「高浜原発3号機・4号機が最有力」と話した。

関西電力の八木社長は、「大飯3・4号の次という意味では、高浜3・4号のプラントをですね、優先的に再稼働をさせていただく方向でですね、

これから国といろいろと調整をさせていただきたいと」などと話し、比較的出力の大きい高浜原発3号機と4号機を、優先的に再稼働させる考えを示した。

一方、関西電力の八木社長の発言に、枝野経済産業相は強い不快感を示した。

枝野経済産業相は、BSフジの「PRIME NEWS」に出演し、「(八木社長が)調整をしたいとおっしゃられましたが、

まさにこの、規制機関が独立して、どう判断するのかということなしに、われわれ調整ができる立場でもありません。

そういった意識などをですね、まあ、手続きとかわかっておられるのに、なぜ、このタイミングでこういうことをおっしゃるのか。

私自身は、本当に強い違和感を感じました」と述べた。

大飯に続く原発の再稼働は、9月に発足する原子力規制委員会の判断に委ねられる。

テレビ番組 動画



佐野眞一というジャーナリストが書く「東電OL殺人事件と検察」

〇「取調べのときニヤッと笑ったからこいつは本星に間違いない」
警視庁の幹部。
〇「到底承服できぬ決定」悪あがきの検察庁の幹部。
〇殺された渡辺泰子さんは死んでもその抱える執念の磁力を持つ。
ゴビンダ再審決定の日は彼女が生きていれば55歳の誕生日の日。

いま本社在京大手新聞テレビに全くといっていなくなった(もちろん各社には志を持つ少数の記者魂を持つ人もいる。

現在NHKはお上お気に入りの「大越グループ」と、国民目線の「科学文化グループ」が猛烈にせめぎ合っている)

本来のジャーナリスト佐野眞一。


画面を2段階クリックすると読める大きさに拡大します。


 
 
国の法律よりもムラの決まり事を優先
 

自分が所属している会社や組合や業界団体などの仲間内でもし、組織で決めて法に触れるようなことをメンバーがやったら、自分はどうするか。

まず間違いなくそのことが世間にバレない様に成員全員が努力する。その状況では違法ということよりは仲間の掟が優先で、それに協力しない輩は浮かされていつか消える。

このことは百姓も漁師も石炭・金鉱堀も暴力団の組も、集団で事をやる場合すべてについてまわる。

我々が誰も不思議に思わず、そら当然やろうと思っていることの一つに「議会での投票の「党議拘束」と言うのがある。

国会も県議会も市町村議会も、我々が投票して当選させた「個としての議員」は議案の投票に於いては、党のボスから「ただの投票マシーン」としか扱われない。

それは我々の社会の中ではごく当たり前のことだが、当たり前でない社会もよそにはある。

3.11以降、普通のくにたみが、自分たちの思いが一向に国の運営に反映されないと気づきだしたが、大切なことを決めるのに議員が唯の一枚の投票用紙に埋没して、

官僚群に誘導されたドゼウ軍団の拘束にかかる仕組みが残る限り、100年たってもうちらの社会はこのままだ。

上記に多少関連する興味深い論考を紹介します。

日本人と『法』の意識
山本 幹夫
 メールマガジン「少数異見第2号」7月27日発行より転載

山本七平氏の言うように、日本では奈良時代に唐から律令をまるごと輸入したことに始まって、明治には憲法、民法、刑法などをヨーロッパから取り入れたために、

まったく自分たちの生活に根差さないのが『法』だという伝統がある。(註1),(註2)、(註3)

そのため、明治以来の国家官僚は法解釈を独占し、前例主義で都合の良い場合はそれに立ち、或いは新しい事態が生ずると

「どの法律を引っ張ってくるか」という手法で秩序を維持してきた。

だから、「『法』は自分たち国家経営に携わる者が自由に解釈(註4)、運用(註5)(註6)するものであって、

自分たちは『法』を適用される立場ではない」と考えているようだ。


民間の弁護士も同様で、「一般市民は自分たちに依存するべきものだ」としているように見える。

おそらく、司法試験自体が、国民の生活に立脚した常識的な解釈では合格点に達せず、司法官僚の決める〈世間から切り離された〉〈彼らのムラの〉

解釈どおりの考え方をしないと合格しない構造になっているのだろう。

したがって、大概の日本人は当然ながら『法』を自分たちになじまないものと感じ、その結果、『法』に関わってで争うこと、

まして裁判に訴えること、及び訴えられることは嫌でしかたがない。(註7)

しかし、そのことが『法』の支配者(註8)である「彼ら」の思うツボでもあるのだが。

解決策はみんなが「偉い人、賢い人まかせ」にしないで、『「法」は何のために、誰のためにあるべきか』を考えないといけないのでしょう。

できれば、中高校生の頃から。

註1)例外は北条泰時の定めた「関東御成敗式目(貞永式目)」で、これは御家人たちの主として土地に係る係争を調停裁断するために、当時の常識に立脚したものであったという。

山本七平「日本的革命の哲学」

註2)末広厳太郎「嘘の効用」。川島武宜「日本人の法意識」
註3)イギリス、フランスでは『法』(=国王から自分たちの権利を護るために)を「勝ち取る」ための革命で、国王だけでなく多くの血が流された。アメリカでは雑多な文化的民族的背景をもつ国民を統合する「常識」は存在せず、「法」に裁断させるしかない。日本では国家を経営する(=国民を従わせる)ために「法」が導入された。
註4)強引な、自分勝手な、或いは拡張的な解釈
註5)恣意的な適用
註6)憲法より、下位の法が優先かつ絶対。
註7)確かに、運よく裁判に勝っても多くの時間と金、労力を失う。
註8)民主主義の下では、そうであってはいけないはずだが。自由に「法」を操る者のために、どれほど多くの人々が振り回されたり、泣き寝入りしたりしたことか。

蛇足:

中国では「法」どころか「文」すら官僚が国家を支配するために作られ、独占されて来たもので、人々のものではなかった。

「文」をこうした状態から解き放つために労苦した代表が魯迅たちなのでしょう。



教育委員会・事務局についてある元教員のコメント

山本 幹夫
 メールマガジン「少数異見第2号」7月27日発行より転載

燦さんからのメール

「教師を長年していたので、最近、いろんな人から教育委員会についての質問を受けます。私の意見は教員になったときから全く変わっていません。

私は何十年も前から、教育委員会事務局は不要だと思っていました。

そもそも本来すべき仕事を全くしていない組織なのです。不幸なことに、私の意見と橋本氏の考えは、その点は一致しています。

ただ橋本氏も委員会と事務局を少し混同しています。

地元勤務の教員の間では、事務局について、昔から「あそこは変な人しか行かないところだ」とか、現場では役立たずの教員のたまり場だ」という声が多いのです。

さすがに、委員会にいる全員が無能だというのは極論ですが、私の感想では①出世したい人が集まる場所②教育現場がしんどいので

逃げ出した人のたまり場③生徒や親の相手が苦手な人が多いという特徴があります。

多分、一部の例外を除き、全国の教育委員会は同じ雰囲気や特徴を 持っているはずです。

なかでも最悪なのは、教育委員会には校長、教頭を勤められるタイプの人材はかなりいる反面不登校、いじめの問題のプロはほとんどいないのです。

そのあたりは彼等も気がついており、現場から優秀な教員を何とか引き抜こうと努力はしているようですが、能力のある教員、生徒のことを考える教員は、

まず生徒が心配なので現場を離れたがりません。

こうして全国どこも、教育委員会のメンバー構成はうまくいっていないようです。

30年以上、中学や高校で教員をしてきた身からすると、教育委員会組織は完全な閉鎖社会なので

、世間の皆さんは彼等もまた原子力村の住人と変わらないのだということを理解しておられないと思います。

私の私見では委員会事務局の住人はエリートどころか、勉強不足の裸の王様です。現場で悪戦苦闘している教員の目からするとただの馬鹿に見えているはずです。」

☆人の意見は熱くならず、冷ややかにならずじっくり読み解く。

自分に知見がない分野や組織について記述されている場合は特に、その筆者の意図が奈辺にあるか文間を探る。

最終的にはその文章に伝えることの生産性があるかどうかを見る。

しかし一般人が書く文章は思い余って感情先行のケースも多い。

現状を何とかせんといかん、という思いで書かれているのであれば


それもありかと・・。冷ややかな評論よりもよほど意味がある。

 そんな勝手至極の基準が自分にはあります。

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ムラサキ山芋のツルにまた「むかご(零余子)」が沢山出来たので❝ムカゴご飯❞を楽しんだ。

2024年08月26日 | ある日のランチ

ムラサキ山芋の「紫の色素」がむかごにもあるのがよくわかる。

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大谷の40-40満塁弾が劇的過ぎて全米がお祭り騒ぎに「翔平があまりにもドラマチック過ぎる...」【日本語字幕】

2024年08月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

大谷の40-40満塁弾が劇的過ぎて全米がお祭り騒ぎに「翔平があまりにもドラマチック過ぎる...」【日本語字幕】

【大谷翔平サヨナラ満塁HR 現地音&各アングルVer.】ホーム、ドジャー・スタジアムが歓喜の渦に!40-40達成&試合を決める主役の一発をもう一度

【8月25日現地実況】大谷翔平40-40達成にチームメイトが本音爆発!!試合前インタビュー【海外の反応】

All of Shohei Ohtani's 40 SB and 40 HR 🤩 | 大谷翔平ハイライト

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08月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月26日(木)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月26日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月26日(木)
 
イチローに在米日本人が辛口アドバイス
 
「イチロー選手はヤンキース移籍というチャンスを生かせるか?」
配信日:2012-07-24

 ヤンキース移籍の話は、昨年から出たり入ったりしていましたから、それ自体は驚くに値しませんでした。
何よりも、イチロー選手には、キャリアの後半に差し掛かる中で、プレーオフやワールドシリーズ勝利への貢献という、
一段階違う野球での活躍を見せて欲しいという思いがあり、今回のトレードは良いニュースだと思われます。

 また、移籍発表即新チームでのプレーというのも、メジャーの7月の風物詩としては当たり前のことです。
ただ、移籍先チームが遠征で来たその初戦の直前にそのチームへの移籍が発表され、昨日までの本拠地でいきなりビジターのユニフォームで出るという
ドラマチックな移籍劇というのは、余り見たことがありません。両者が「三連戦の前に契約合意を」と努力したのでしょうが、
これもイチローという「ビッグネーム」の成せる業というところでしょうか。

 見たことがないと言えば、23日(月)の夕方4時過ぎからシアトルのセーフコ・フィールドで行われた記者会見も珍しいものでした。
前半がマリナーズ主催の「卒業会見」で、後半がヤンキーズのジラルディ監督を交えての「入団会見」というスタイルは例のないものです。
ちなみに、この席上でのイチロー選手は後半は少し通訳の方が慎重になって格好がつきましたが、
前半から中盤にかけては「ロスト・イン・トランスレーション」そのものという感じで、決して成功した会見ではありませんでした。

 口うるさいとご本人には嫌がられるかもしれませんが、この会見での問題点を具体的に挙げておきます。
まず、終始緊張して悲しそうな雰囲気を漂わせていたのは、どうしようもないこととは言え、
ヤンキースのファンには「大丈夫か?」と懸念を生じさせる点でマイナスです。
こういう移籍劇に関しては、胸を張って明るく前向きにというのが「お約束」で、それに従わないのであれば「日本の文化では過去をサッと水に流すのではなく
別れの余韻を重視するものだ」というような「説明」が必要でした。

 それにしても、11年半アメリカでプレーして、これだけの重要な会見で英語でステートメントを出さないというのは、違和感があります。
本人の資質というより組織的な問題かもしれませんが、昨日の日馬富士関の流暢な優勝会見と比較すると、何とも複雑な気持ちになります。

 会見でのコメントについて言えば、「最も負けの混んだチームから最も勝っているチームに移籍するのは、気持ちを合わせるのが大変」とか
「一度しかプレーオフに出たことのない自分にはワールドシリーズについて語る資格はない」というような発言は、
マリナーズの選手とファンへの侮辱とも取られる危険があります。

 最初に「良いニュースだ」と申し上げながら、苦言を並べたのには理由があります。それは、ヤンキースに移籍するに当たって、
イチロー選手には「メジャー流の名誉という概念」を改めて理解してもらいたいということです。今回の「卒業会見」で露呈したのは、
イチロー選手という偉大な存在が、メジャーにおける名誉の概念をまだ十分に理解していないということだったからです。
 
これは、イチロー選手の責任ではないと思います。いつの間にか、チームへの貢献よりも年間200安打の連続を期待されるようになったり、
禅問答めいたコメントが過剰に持ち上げられる中で、感性がアメリカのファンやチームメイトとずれていったり、
主として日本でのメディアの扱いに責任のある話なのですが、とにかく残念な話です。

 私はイチロー選手に何もかもアメリカ野球のカルチャーに従えと言っているのではありません。
イチロー選手の禅問答の中には真意の部分では貴重なものもあるのです。
メジャーの持っている名誉の概念やプレー上の美学というのは、何もかもが立派なものではありません。
ルーズで投げやりな作戦、ダメ元での本塁突入、明らかな得点機での脳天気な強打策、更には西部劇顔負けの乱闘文化など、ダメなものは沢山あるのです。

 イチロー選手には、そうしたアメリカ野球の精度の低いところを修正するだけのリーダーシップを取る資質も資格もあるのです。
ですが「敵を知る」と言いますか、実際にフィールドや中継映像の中で進行している「アメリカの野球文化の文脈」を正確に知らなくては、
批判もできなければ、改善のリーダーシップも不可能です。

 イチロー選手もその辺りについては、悩みを抱えているフシがあります。今日の会見でも「ヤンキースに行ったら、
ジラルディ監督のように会見上手になりたい」と言っていましたが、改めてメジャーの野球文化を正確に理解した上での、
誤解を招かないコミュニケーションを続け、自分の個性を地元のファンに対して説得力ある形で主張してゆこうという気概を感じました。
いずれにしても、実際のプレーや、今後の会見では「ロスト・イン・トランスレーション」にならないように願いたいと思います。

 もう一つ、私は色々なところで一貫して述べていますが、イチロー選手はやがて引退後には、メジャーの「ホール・オブ・フェイム(野球殿堂)」入りが確実視されています。
ですが、日米の球界にこれだけ貢献した選手なのですから、何年かかけて票を伸ばすというのではダメだと思うのです。資格発生の初年度にほぼ満票で選ばれて欲しいのです。
その資格は十分にあるからです。ですが、現時点ではこの点に関しては楽観はできません。

 それは、一部のアメリカの野球専門家の間で(シアトルの記者など)、イチロー選手は「安打にこだわる余りにボール球に手を出し、
結果的に出塁率が低くなり後続打者のモチベーションを傷つけている」という評価がされているからです。
今季は、開幕当初から打順が3番になることで、そうしたイメージの払拭を図ったわけですが、現時点では十分に結果が出ていません。

 この点に関しては、ご本人には色々な禅問答的な理由があるのかもしれませんし、恐らくは日本のメディアによるプレッシャーもあったのだと思われます。
ですが、ヤンキースにおいてはまず絶対に許されるものではなく、必然的にチーム打撃のスタイルになって行くことでしょう。

 そうした流れの中で、自然にイチロー選手の力が発揮され、スランプ脱出ができればいいと思います。とにかく、
ヤンキースは契約の最終年の後半を引き継いだだけですから、イチロー選手としては出来るだけ早く複数年契約が結べるような活躍を見せなくてはなりません。

 いずれにしても、7月23日午後7時(太平洋時間)からのシアトルでのマリナーズ対ヤンキースのゲームに、イチロー選手は「8番ライト、背番号31」で登場しました。
この日は偶然にも、ヤンキースは黒田博樹投手が先発で、移籍がなければ対決するはずだったのですが、これからは同僚として戦うということになります。

 ちなみに、背番号に関しては、ヤンキースの場合「51番」というのは90年代から2000年代にかけて活躍した名外野手のバーニー・ウィリアムスの番号で、
恐らくは永久欠番になる可能性があるものです。ですから、イチローが着用するのは不可能で、本人も会見でそのことは良く理解していると言っていました。

 今夜のヤンキースは、相手の超ベテラン投手のケビン・ミルウッドに翻弄されて、イチロー選手の第一打席は3回表まで回りませんでしたが、
そのヤンキースの一員としての第一打席では、見事なセンター前のライナー性のヒットを飛ばし、すぐに二盗も決めています。この打席に入る前に、
球場全体は「去りゆくイチローへのスタンディングオベーション」でほぼ総立ちになりました。イチロー選手にとって、
そしてシアトル・マリナーズに取って一つの時代が終わったのです。

引用元
 
 
 
オスプレイ配備は67年間の日米関係を示す これからどうするか
 

「オスプレイ」は何が本当の問題なのか?

一部引用・・

 以上のように、オスプレイ問題を整理すると、気の毒なお立場ではあるのだが、森本防衛大臣に期待したいことがいくつかある。

 まず、オスプレイの安全性と危険性の両方について、技術的な問題も含めて、率直に国民に説明することだ。オスプレイの危険性は、決してゼロではない。

このことは、国民誰もが知っている。「ある程度の危険はある」ということを隠さずに説明しないと、かえってそのことによって、安全性が一切信用されなくなる。

 次に、法的・外交的に、日本の置かれた立場を、岡田副首相よりも丁寧に、しかし、正確にごまかすことなく国民に説明することだ。

 森本氏は、幸い軍事問題と国際問題の両方の専門家であり、これら2つの説明にはうってつけの人だ。

 第三に、その上で、国防戦略の選択肢を国民に「複数」示すことだ。予め決めた1つの答えだけを納得させようとすると、国民はこれを「誘導」と受け取るだろう。

 個々の選択肢のリスクとコストをはっきりさせるためにも、複数の選択肢を提示して、比較の議論で考えて貰う方がいい。

 米国の実質的な属国として米国に守って貰うのがいいのか、自前の防衛がいいのか、あるいは、防衛の専門家が必要だと語るような軍事力はいらないのか、様々な議論があり得る。

 もちろん、日本国民が「これがいい」と思っても、相手のある問題なので、米国やあるいは別の関係国が納得しないことがあるかも知れない

。他国の反応も含めて、日本の国民は国防について考えてみるべきだろう。筆者自身も、改めて考えてみたいと思う。

全文はこちら

 
 
アメリカの本音は「沖縄からフィリピン移駐」という見方
 

米軍のフィリピン移駐について考える

一部引用・・

一方、フィリピンからは「早く来てくれ」と官民挙げてのつよい要請が来ている。フィリピンは日本のようにじゃんじゃん金を出してくれるわけではないが、

スーヴィック湾という天然の良港があり、20年前からの米軍基地がそのままに残っている。

もともとアメリカの植民地だからみんな英語を話せる。とりあえず一度は「アメリカ軍は出て行け」と言った国だし、

今でも「米軍駐留は憲法違反だ」と噛みつくような外務官僚がいたりする。

それだけ「骨」があるから、交渉相手になるぐらいの人物はいる。押すにしろ、引くにしろ、勝負をする相手がいる。

鳩山総理が自民党政権下の日米合意を覆して、「国外に」という要望を伝えたことの背景について、加治康男さんはこう書いている。

「鳩山由紀夫元首相の脳裏には、口外できないスービックの名が間違いなく浮かんでいたはずだ。

なぜなら、2009年の政権交代で民主党と連立した国民新党の下地幹郎幹事長(衆院議員・沖縄選出)こそ在沖米軍の比移駐に10年近く直接関与してきた“仲介人”であるからだ。」

(「グアム移転見直しで浮上する米軍のフィリピン回帰」、『世界』2012年6月号、143頁)

上に書いたようなフィリピン移駐が米比両国で進んでいるという情報を、私はこの記事ではじめて知った。

でも、普天間基地がスタックしている背後には、「そういうこともあるかもしれない」と思う。

そして、たぶんこの後アメリカは西太平洋の軍略上のキーストーンをフィリピンに移すことになるだろうと思う。

日本からアメリカの基地が撤収することはうれしいことだが、その理由が「主権国家から『出て行ってくれ』と言われたから」ではなく、

「従属国があまりにだらだらで、まともな交渉相手になれる人間がいないから」であるとすれば、まことに情けない。

全文はこちら

 
 
オスプレイの配備や本格運用に地元県の合意はいらない決まりだ。(日米地位協定でそうなっている)
 
 

防衛相、地元合意「前提でない」
2012年7月25日 09時35分 沖縄タイムス

 【東京】森本敏防衛相は24日の閣議後会見で、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場への配備や本格運用について、

「この問題で前提条件というものはない」として、地元の合意は条件ではないと述べた。

日米両政府が同機の安全性に一定の説明責任を果たせば、沖縄側の反対があっても配備方針は堅持するとの強硬姿勢を示す発言とも受け取れ、反発を招きそうだ。

一方、日米両政府は同日、オスプレイの日本での運用をめぐって協議するため、26日に日米合同委員会を開催することを決めた。

 森本氏は会見で、「オスプレイの沖縄配備や本格運用の際、地元の合意は前提条件になるのか」と問われ、「この問題で前提条件はないと思う」と述べた。

 一方で森本氏は、モロッコ、米フロリダでの事故を受け安全性を日米で再確認するまで飛行させない方針をあらためて強調すると同時に、

「飛行の安全を確認するという手段が取られてから順序を経て沖縄に移動する」と説明した。

 8月に訪米し米側から情報提供を受けた後、沖縄を訪問し仲井真弘多知事に説明する考えも示した。

 同日の参院予算委員会では、米軍が示した環境審査に盛り込まれた本土を含む飛行ルートについて「今まで戦闘機が使っていたルートをオスプレイが飛んだ場合の影響を調べたもの。

実際使用するかは通報を受けていない」とし、中国地方の山間部を通るルートについては「把握していない」と述べた。

 玄葉光一郎外相は同日の閣議後会見でオスプレイをめぐり、26日に日米合同委員会を開催することを明らかにした。

 安全性確認前の陸揚げ・一時駐機に反対していた山口県、岩国市との今後の防衛政策の協力について「(悪影響が出る)懸念を持っている。

安全性と安全保障の両立が第一なので、その一環として日米合同委員会を開催することになった」と述べた。

 
 
関電はでんき予報の「物差し」をころころ変えている
 

関電「でんき予報」に“不信感” 任意調整できる供給力…数値は自由自在?
SankeiBiz

関西電力の「週間でんき予報」の一例。大飯原発再稼働なのに数値が…と疑問の声も

. 2日にスタートした関西電力の節電要請から約10日が経過した。当初の一昨年夏比15%以上の節電目標は、大飯原子力発電所3号機(福井県おおい町)のフル稼働を受け、

10%以上に緩和された。

 しかし、関電のでんき予報では、なぜか再稼働後のほうが使用率予報が高くなっているケースが多い。再稼働により供給力が上積みされ、

再稼働前後で最大需要はほとんど変わっていないにもかかわらずだ。なぜ、でんき予報の使用率が改善されないのか? 

その背景には、関電の“ある思惑”が見え隠れするのだ。

以下全文はこちら

 
 
原発は40年過ぎて止められてはオマンマの食い上げ 地元の支配層
 

<美浜原発>2号機運転40年 財政依存、延長にすがる地元
毎日新聞 7月24日(火)22時38分配信

 福井県美浜町の関西電力美浜原発2号機は25日、営業運転開始から40年を迎える。

政府が定めた「40年廃炉ルール」が厳密に適用されれば、1、2号機に加え3号機も4年後に運転40年に達し、同町では、全国の立地自治体で初めて全原発が“寿命”を迎える。

しかし、経済産業省は今月19日、現行制度に従って2号機の運転延長を認め、今国会で成立した「原子力規制委員会」設置法でも“抜け道”が設けられた。

財政や経済を原発に頼る地元では、運転延長の可能性にすがる傾向が強まっている。

 今月12日、同町の山口治太郎町長らが40年ルールの慎重適用を求める要請書を経産省に提出した。

同町では、電源3法交付金や原発の固定資産税など原子力関連の歳入が今年度一般会計当初予算の44%。原発関連の雇用も多く、飲食店や民宿も原発関連の客が頼みだ。

しかし、政府が1月、「原発の運転期間は原則40年」と決定し、町から原発が消える危機感が強い。

 美浜原発1号機(34万キロワット)は1970年に運転を始め、72年に2号機(50万キロワット)、76年に3号機(82.6万キロワット)が続いた。

2号機で91年、蒸気発生器の細管破断事故があり、国内で初めて緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動するなど大きなトラブルも多く経験している。

 関電の原発11基のうち8基に関し、再稼働に必要な安全評価(ストレステスト)1次評価結果が経産省原子力安全・保安院に既に提出されたが、美浜1、2号機については後回しだ。

両機を合わせても、後発の大飯3号機(118万キロワット)の7割の発電量にとどまることも背景にある。

 一昨年8月、町議会は、廃炉後に町内に後継機を建設することを条件に、1号機の40年超運転を了承。

老朽化に不安の声も出たが、後継機建設で多額の交付金や雇用などが見込めるからだ。しかし、福島第1原発事故で状況は一変。原子力政策の見直しが進んで後継機建設は宙に浮いた。

 そうした中、先月成立の原子力規制委員会設置法に、同委発足後に40年廃炉ルールを見直す規定が盛り込まれた。

また、同委の審査に通れば運転延長が可能なため、これらの可能性に町は期待を込める。【柳楽未来】

 ◇配管の安全性に懸念

 原発の老朽化で問題になるのは、原発全体を縦横に走る無数の配管の安全性だ。

高温・高圧の水や水蒸気が絶えず循環しているため、配管の内部は徐々にすり減っていく。

美浜3号機では04年、28年間点検していなかった配管が破断、蒸気が噴き出し、5人が死亡する事故が起きた。

また、核燃料を囲う原子炉圧力容器も、燃料が出す中性子を受けてもろくなる。

 金属材料に詳しい井野博満・東京大名誉教授によると、九州電力玄海原発1号機(75年運転開始)や美浜1、2号機は圧力容器のもろさを示す指標が悪化しており、

「60~70年代は原発の寿命を30~40年と想定していた。20年も延長するのは無理がある」と指摘する。【江口一】

☆今から170年ほど前に、イギリスはインドで作るアヘンを中国に持ち込み、それを中国との貿易での輸入代金の決済に使った。

そのため中国には麻薬中毒者が蔓延した。英国政府は当時の清国の抗議をものともせずに、アヘンを入れ続けたため、これによって利益を得るアヘン業者は大いに潤った。

一日中阿片窟で阿片を吸う膨大な数の中国人はシャブヅケにされて阿片を求め続けるしかなかった。

阿片を止めようとする清国と英国は争い1840年に阿片戦争と言われる戦争が勃発した。

 このシャブヅケは英国人が中国人にやったことで、同国人が同国人にやった訳ではない。

原発にかかわる地元へカネと仕事を流してきたのは、同国人の原子力村のエライさんたちと、電力を安心して使ってきた原発が立地しない都府県の同国人たちだ。

もし原発が本当に安全なら、東電は東京湾に、関電は大阪湾に最新鋭の原子力発電所を新設したらいい。それが福井、福島に住む同国人への「あがない」というものだろう。

 
 
海水はそんなに簡単に圧力容器にまで入るのか 浜岡5号機原発
 

浜岡5号機に腐食多数=流入の海水、圧力容器到達か―中部電
時事通信 7月25日(水)21時10分配信

 中部電力浜岡原発5号機(静岡県御前崎市)で昨年5月、停止作業中に海水が流入した問題で、

同社は25日、海水が原因とみられる腐食が多数の機器で見つかったことを明らかにした。

経済産業省原子力安全・保安院の専門家意見聴取会で説明した。

 浜岡原発は当時、菅直人首相(当時)の要請で停止作業中だった。中部電によると、5号機では昨年5月14日、

タービンを回し終えた蒸気を冷却して水に戻す復水器の細管43本が損傷し、海水約400トンが流入。うち5トンは圧力容器に達したと推定される。

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本を読むのにこれまで何かとお世話になってきた「松岡正剛」さんが亡くなった。

2024年08月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

NHK

著述家 松岡正剛さん死去 80歳「編集工学」の方法論など

「編集工学」の方法論や、書籍紹介サイト「千夜千冊」などで知られる著述家の松岡正剛さんが今月肺炎のため亡くなりました。80歳でした。

松岡さんは京都市の出身で、早稲田大学を中退したあと、1971年に雑誌「遊」を創刊し編集長を務めました。

1987年には編集工学研究所を設立、生命や歴史、文化などさまざまな情報を編集して組み合わせる「編集工学」の方法論を提唱したほか、

日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発表しました。

2000年からはウェブサイト上で書籍を紹介する「千夜千冊」の連載を始め、先月までに合わせて1850冊を取り上げました。

また「編集工学」についてオンラインで学べる学校を立ち上げたほか、埼玉県にある「角川武蔵野ミュージアム」の館長も務めていました。

松岡さんの事務所によりますと、松岡さんはがんを公表してからも活動を続けてきましたが、2か月前に肺炎を患い今月12日に東京都内の病院で亡くなったということです。

80歳でした。

松岡正剛 - Wikipedia

千夜千冊」から例えばその877夜を紹介。

 

 かつて「ワセダ中退・落第」という漫才コンビがいた。昭和35年の60年安保真っ最中のことだ。野坂昭如と野末陳平のシャレ・コンビだった。

シャレではなかったのかもしれない。

少なくとも野坂は何でも本気だった。放送作家では阿木由起夫、シャンソン歌手としてはクロード野坂、落語家としては立川天皇という高座名だ。

昭和5年(1930)に生まれて、母とは3ヵ月後に死別した。疎開先の福井で義妹を栄養失調で亡くした(のちに『火垂るの墓』として描かれた)。

敗戦のときが14歳だ。何もかもが嫌になっておかしくない。大阪の中学の途中で上京して、窃盗をはたらき多摩の少年院に入れられた。

ついで新潟の高校(旧制)に入ってドイツ語などを喋り、学制改革により晴れて新潟大生となるものの3日で退学した。

昭和25年(1950)、なんたって東京だと思ってシャンソン歌手の下積みをしながら早稲田の文学部にもぐりこみ、

金欠・アルコール依存症を抱えて写譜屋として三木鶏郎音楽事務所に拾ってもらった。31年(1956)、鶏郎が永六輔を社長にして冗談工房をつくると、

マネージャーに抜擢されたのに使い込みをしてクビになった。授業料滞納で早大も抹籍された。

そこからはテレビ業界やコマーシャル業界で特異な才能を発揮して、妙に売れっ子になった。黒メガネを常用して「元祖プレイボーイ」を騙り、

ブルーフィルムを集めて自宅上映会をすると、噂が噂を呼んだ。この体験が『エロ事師たち』(講談社→新潮文庫)となり、38年(1963)に作家デビューした。

世間ではこういう手合いをしばしば無手勝流などと言うけれど、野坂は思いついた流儀をあえて凝結させ、「昭和のトリッキーな転身」を遊ぶ手法にまでもっていった。

今夜は、そういう野坂の抵抗がどういうものであったかを、本書『この国のなくしもの』を素材にして伝えたい。

本書は、何が日本人を去勢させたのかということを、野坂独自の視点と文体で私的に書いた反抗の書だ。

「一度の敗戦で文化、伝統を棄て、自らの歴史について考えることを止めた、国家とはいうまい、こんな民族はない。

また、50年以上前の勝利国のいうがままとなっている例もない」ということが書いてある。

この手の、現代日本の社会批判や文化批判をめぐる本はゴマンとあるが、5冊を選ぶというなら本書をぜひ入れたい。その理由を以下に説明する。

 第1に、野坂はまず作品がべらぼうにいい。スブやんを通して欠如としてのエロティシズムを描いた『エロ事師たち』、

俊夫と京子がアメリカ人夫妻をホームステイさせた顛末の奥に日本人の悲哀を衝いた『アメリカひじき』(文藝春秋→新潮文庫)、

ここまで「負」の領域に入っていけるのかと驚かせた植物的兄妹相姦とでもいうべき異様を綴り抜いた『骨餓身峠死人葛』(中公文庫)、いずれも甲乙つけがたい傑作だった

作品がよかったってエッセイがいいとはかぎらない例もゴマンとあるが(たとえば川端康成(53夜)から村上龍まで)、

野坂のばあいは作品とエッセイはほぼ同じ質感と緊張をもっていて、両者にまったく齟齬がない。『この国のなくしもの』にもそれが生きている。

問題意識も作品の外へ出てきても一貫する。その理由はおいおいわかる。


 第2に、あの特異な文体が画期的だった。文体など日本社会批判と関係がないと思われるかもしれないが、そんなことはない。

いま、日本人はスタイルを見失っている。コードが借り物なのは古代以来のことだからかまわないが、それを独得のモードにしていない。歌謡曲もJポップも、

少女マンガも和風ブームも情報家電も悪くないし、例外的に目を見はるものもあるが、そこに震撼とさせるものが少なすぎる。

 野坂はデビュー以来ずっとスタイルにこだわってきた。レインコートも、黒メガネも、野坂アニミズムも。これはやってみるとわかるのだが、

半分はどこかデラシネな遊びの気分が必要で、残り半分ではそうとうの根性がいる。タモリと話したときも、「最初はともかくもね、

いったん選んだ黒メガネをそのままどんな時もしつづけるのは、かなり覚悟がいるんですわ」と言っていた。

まして国家とのスタンスをどうするか。そのスタイルを頑なに貫くのは、並大抵ではない。

とくに戦争と敗戦にかかわった世代にとっては、スタイルだけがその後の人生だといってよいものがある。


 野坂はどのようにしたのだろうと推っていたが、本書には次のようにあった。「初めて小説を書いたのは、昭和38年、32歳の夏である。書きはじめると、

小説とは何ぞやみたいな感じとなり、カッコつければ、ものに憑かれた如く約60枚を仕上げ、読み返すと、助詞を省いているし、

延々と「、」でつないで「。」がないし、行替も少ない。全く意識はしなかったが、江戸期の戯文体に少し似ている」と。


 なるほど、最初は夢中だったのだろう。だが、よくぞそれを貫いた。貫いて磨き上げた。文体が思潮になったのだ。典型的な例として『骨餓身峠死人葛』の冒頭がある。

こんなふうなスタイルだ。
 
 入海からながめれば、沈降海岸特有の、複雑に入りくんだ海岸線で、針葉樹におおわれた岸辺、思いがけぬところに溺れ谷の、陸地深く食いこみ、

その先きは段々畠となって反りかえる。

南に面した地方のそれとことなり、玄海の潮風まともに受けるこのあたりでは、耕して天空にいたるといった旅人の感傷すら許さぬ気配、

人間の孜々たる営みを自然のあざわらうようで、それは、いずれも先端にちいさいながら激しい瀬をもつ岬の、尾根となって谷あいをかこみつつ、

背後の、せいぜい標高四百メートルに満たぬ丘陵にのびる、その高さに似合わぬ険しい山容のせいであろう。
 
 ここまでで1文章。句点は途中にただ一ヵ所と最後にひとつ。息が長いというより、ひたすらに濃くつなぐ。

そのため言葉の選び方、続き方、絡み方、捨て方、煽り方、いずれも凝る。

この文体そのものに野坂がいる。ちなみに『骨餓身峠死人葛』は奇怪な物語だったが、なんとも忘れがたいので、ついでに手短かに案内しておく。


 大正時代に葛作造という男が北九州の山中に炭坑をおこして「葛炭坑」と名付けた。食い詰め者、風来、犯罪者がここに集まってバラック集落ができる。

昭和の不況下、さらに素性の知れぬ者たちがふえていくが、炭坑の設備は不十分なもの、どんどん死人が出た。死人はそこらの林の中に埋められ、

卒塔婆一本だけがそこに立てられた。

いつごろからかこの卒塔婆に葛に似た寄生植物がまとわりつくようになり、山の者はこれを口々にホトケカズラ(死人葛)とよんだ。

作造の娘のたかをは、なぜかこの植物に魅せられる。

たかをは兄の節夫にせがんでホトケカズラを庭に植え移すために炭坑からもってきてもらう。ところがいくら丹精こめても育たない。

長老は、この花は死人の血肉を啜って生きよるばってん、平地じゃ無理でござっしょうという。


 ある夜、ふと節夫が目をさますと隣のたかをがいない。胸騒ぎをおぼえて庭に出てみると、新聞にくるんだ赤児をホトケカズラの根元に埋めている。

産み月近い女から小遣い三円で譲ってもらってきたらしい。節夫が恐ろしい質問「それでお前が殺したとか」をすると、たかをは「勝手に死によったとよ」。

途端、節夫は妹をいとおしく感じる。

こうして兄と妹は禁忌を犯しあい、交わるようになる。やがて肺病で蔵に寝ていた節夫は自分の死期をさとり、この兄ちゃんを土に埋めてくれ、

美しか花の咲くじゃろうけんと言う……。

だいたいこんな話だが、まあ、物凄い作品である。
 
 第3に、野坂昭如はいつも生と死を一緒にカバンに入れている。ピュシスとかエロスとタナトスなどという片仮名ではない。

生きると死ぬるだ。焼跡闇市派といわれるだけあって、根っから敗北を抱えている。ホトケカズラのように。

それゆえ何を書いても主題がそこからビームのように照射されていく。


 本書には還暦間近の野坂が戦後の昭和を振り返って、日本が去勢状態のまま活力を完全に失っていると見えるだけでなく、

かつては岡晴夫の歌の「晴れた空、そよぐ風」だけでも、

一抹ではあっても強烈な「生きる」を感じたのに、いまはあらゆる「物」に囲まれてもそれが感じられないのは、

これは「日本の未来」すらないことではないかという判断が一貫する。


 ときどきは、本土決戦をしたうえでの敗北だったらこんなにも去勢にならなかったのではないかといった危ない言葉も散見するが、

このくらいの発言すら許容できなくなっているのが、いまの日本なのである。


 野坂の日本去勢論はまさにホトケカズラの根の深いところから出ている。『アメリカひじき』を例にするが、これは大阪の中学生だった俊夫が敗戦をきっかけにして、

何もかもの価値が転倒してしまったということを底辺においた小説で、これを読んで、ぼくは名状しがたい困惑に立ち会った。
 
 父は戦死、母は病身のまま、妹を抱えて焼跡闇市を這いまわっている野坂そっくりの俊夫が主人公で、この俊夫は日本人がたった1日をさかいに、

米兵をアメリカさんと呼び、怪しげな英語をあやつって、なんとか食いつなぐことだけが日常になったことに苛ついている。

けれどもその俊夫も、戦後20年もたつとCMプロダクションを動かせるほどになっていた。


 そこへ、妻の京子がハワイ旅行のときに世話になったヒギンズ老夫妻が日本旅行するのでホームステイしてもらいたいわねと言い出す。

こうしてアメリカ人2人と親子3人の日々が始まるのだが、けれども、どうも何かの勝手がちがう。京子は老夫妻のあまりの図々しさにしまいに腹をたててしまった。

ところが俊夫は、この老夫婦が図々しければ図々しいほど、ついつい心ならずも過剰な接待をし、卑屈になっていく。そんなふうにしたいわけではないのに、だ。

それはかつて米軍物資の紅茶の葉っぱを「これがアメリカのひじきか」と煮て食ってみたときの、あの味気なさに似ていた……。


 こんなふうに終わる『アメリカひじき』であるが、ここには一口に悲哀のおかしみと片付けられない日本人の「いやなもの」が如実に抉り出されていた。


 野坂が『アメリカひじき』を書いたのは昭和42年だった。『骨餓身峠死人葛』はその2年後だ。まさに高度成長下の昭和日本。

1968年をはさんだアンチ・オイディプスな世界がプスプスと現出していた。

野坂はこのあたりで俊夫との決別を図ることにしたようだ。優柔不断との決別だ。

それが昭和49年の参議院議員選挙での黒メガネのままの東京地方区立候補だったというのは、

よほどやむにやまれぬものか、きっと憤懣やるかたないものがあったにちがいない。

これで落選したのちは、日本、天皇、戦争飢餓、言語文化、日本人の体たらく、少女犯罪、性思想、差別問題を沈思饒舌に表現するようになっていった。

これは野坂の読者である日本人にとってはかえってよかったかもしれないのだが、野坂にとってはどうだったのか。怒りまくるしかなかったようだ。

「朝まで生テレビ!」では大島渚と激論をたたかわせた。
 
 さて第4に、野坂昭如の思索や観察や表現にはどこかに必ず意外な因果律が奏でられているのが、実にいい。

たとえば本書には、ホームレスが街にあふれるのは学生アルバイトのせいだという指摘があって、ハッとさせられた。

学生が大学に入ったとたんにスキーだ、旅行だ、海外だ、コンサートだと好きなレジャーのための費用を稼ぐために茶髪のままにさっさとカネをもっていくから、

かつてはホームレスにならないですんだ者たちが交通整理・公園清掃・倉庫番・コンビニ店員などの軽労働に就労できないようになったというのが、

野坂が見抜いた推察なのである。


 日本人が無宗教であると考えすぎていることにも文句がある。日本人は万物に何かが宿ると考えているのだから、それを宗教学じゃあるまいし、

神道か仏教かキリスト教か新宗教かなどと区別して見るよりも、その何かを一人一人が多様にもっていることを宗教とみなせばいいじゃないかという見方だ。

この宗教観は悪くない。
 そこで第5に、野坂が腹の底から重視しているのは日本人は「懼れ」や「惧れ」をどうしたのかという絶叫なのである。

ぼくが知るかぎりは、この、日本人から薄れつつある「懼れ」と「惧れ」の消息を問題にしている議論はまことに少ないようにおもう。

野坂もこのことに言葉を多くはしていない。


 しかし、「懼れ」と「惧れ」こそはまるでこそこそと後ずさりしてしまったかのように、日本からなくなっているかなり大きなものなのだ。

ここには「畏れ」というものも入ってこよう。野田一夫は「畏れ」こそが日本人の核にあると言っていた。
 
 本書にはチューショー(抽象)による議論もチョーショー(嘲笑)による議論も、一行もない。これが端倪すべからざる特徴だ。

野坂の中学生から還暦におよんだ日本人としての日々の実感を、当時の学校の先生の言葉やセーターへの愛着や

ブルセラ少女の頹落や文壇バーの変遷を通して、まっとうに綴った。

そこに去勢日本になった原因が摘発されているかといえば、必ずしもそういう指摘には富んではいないのだが、

それなのに日本社会を野坂流のスタイルで語る手法こそもう少し広まってもよいと思わせるのは、

つまりは、とくに結論も提案もないのに本書に無類の愛着をおぼえるのは、野坂が「東京裁判史観から懸命の脱出」をしようとしているということ、

そのことがずうっと脈打っていたからだった。

ずばり、言っておく。①昭和はアメリカに敗退し、②アメリカに追随し、③アメリカの真似をしつづけたのである。

ただし、③については昭和よりも平成以降のほうがずっとひどくなっている。

野坂は青年期から②と③を演じ、記憶を断ってきた少年期を思い出すようになってからは、①の意味を深刻に問うようになった。

『火垂るの墓』はそういう作品だ。ただ野坂の世代にとっては①を問いなおすには、時の轍が何度も体に消えない印を付けすぎていた。

東京裁判史観からの脱出には、そうとうの切開が必要になっていた。けれども、それをせずにはいられない。きっとそういうことだろうと思うのだ。


 野坂さん、ぼくもよく、こんなふうに痛感することがあります。

日本人は全員が小林正樹監督の『東京裁判』(1150夜)を5回くらいは見るべきである、と。

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【公式】養老孟司  脳の働きから読み解く言語の話〜音読み・訓読みを使う日本人は器用〜

2024年08月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

【公式】養老孟司  脳の働きから読み解く言語の話〜音読み・訓読みを使う日本人は器用〜

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08月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月25日(水)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月25日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月25日(水)
 
昨年3月15日午前中に関東地方に何故放射能が大量に流れたか
 

炉圧下げるたび 放射性物質外に
7月24日 19時7分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、最も多くの放射性物質を放出したとみられる2号機について、専門家が、当時の事故対応の記録と周辺の放射線量を検証した結果、

大量放出が起きたとみられる前日の夜から、原子炉を守るため圧力を下げる作業を行うたびに、外部にまとまった量の放射性物質が放出していた可能性が高いことが分かりました。

専門家は、「原子炉を守る作業の結果、放射性物質が漏れた可能性があることは問題で、状況を詳しく解明すべきだ」と話しています。

福島第一原発の事故では、事故から4日後の去年3月15日に、2号機から今回の事故で最も多くの放射性物質を放出したとみられていますが、詳しい状況は分かっていません。

2号機からの放出について、東京大学の門信一郎准教授や日本原子力研究開発機構の茅野政道部門長らのグループが、当時の事故対応の記録と周辺の放射線量を詳しく検証しました。

2号機では、大量放出が起きたとみられる前日14日の夜から当日の未明にかけて、原子炉に水を入れて冷やすために「SR弁」と呼ばれる弁を開けて

原子炉の圧力を下げる作業を繰り返し行っていました。

2号機では、このときすでにメルトダウンが起きていて、SR弁を開くと原子炉の中の放射性物質を含む蒸気は、格納容器の一部に逃げるため、

格納容器の中には放射性物質が充満していたとみられています。

一方で、福島第一原発から南に10キロ余り離れた福島第二原発では、14日の午後10時以降から5時間ほどの間に、放射線量が3回、急激に上昇し、

いずれもSR弁を開く作業を行ったおよそ1時間後であることが分かりました。

このため、グループは、2号機の原子炉の圧力を下げる作業を行うたびに、まとまった量の放射性物質が格納容器の損傷した部分から漏れ出して放出され、当時の南向きの風で福島第二原発の方向に流れた可能性が高いとみています。

また、その放出量は、シミュレーションの結果、1号機の水素爆発などそれまでに比べて10倍から20倍ほど多く、

放射性物質は、15日の午前中に関東地方に流れたとみられるということです。

日本原子力研究開発機構の茅野政道部門長は「原子炉を守る作業の結果、放射性物質が漏れた可能性があることは問題で、状況を詳しく解明すべきだ」と話しています。

専門家の指摘について東京電力の松本純一本部長代理は、「専門家の指摘は把握していないが、当時はSR弁を開けなければ原子炉などが壊れ、

大量の放射性物質が漏れる可能性があり、放出を抑えるためにSR弁を開けるたのはぎりぎりの選択だった。

今後、放射性物質の漏えいの経緯についてはしっかり検証していきたい」と話しています

 
 
オスプレイ 日本全土で60メートル低空飛行訓練
 
60メートル低空飛行訓練も オスプレイで米軍
2012/07/24 18:15 【共同通信】

 米軍が垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ配備後に本州、四国、九州で計画する低空飛行訓練を、地上60メートルの低さでも実施を想定していることが24日、分かった。訓練は中国山地を東西に横断するとみられるルートでも予定している。米軍が日本政府に提出した文書や、米軍への共同通信の取材で明らかになった。

 日本国内を広い範囲で低空を飛ぶ実態があらためて浮き彫りになり、各地で訓練の危険性に懸念が強まりそうだ。

 低空飛行訓練の高度は、米軍が日本での運用に向けて作成した環境審査報告書の添付資料に明記された。

オスプレイ 打開策見いだせず
7月24日 4時56分 NHKニュース

政府は、23日、山口県の岩国基地に搬入されたアメリカ軍の最新型輸送機「オスプレイ」について、安全性が確認されるまで日本での飛行は行わない方針だとしていますが、地元側は、搬入自体に強く反発しており、試験飛行や沖縄への配備に向けて理解が得られる打開策は見いだせていません。

アメリカ軍は、23日、山口県の岩国基地に「オスプレイ」12機を搬入し、来月中にも基地周辺で試験飛行を行ったうえで、10月上旬には沖縄県の普天間基地で本格的に運用したいとしています。

これについて、地元・岩国市の福田市長が、「非常に憤りを覚える。国には試験飛行をしないという約束を明確にしていただきたい」と述べるなど、関係する自治体からは批判が相次いでいます。

こうしたなか、政府は安全性が確認されるまでは、試験飛行を含む一切の飛行を行わないことでアメリカと合意しており、野田総理大臣は、記者団に対し、「きちんと安全性が確認されるまで、日本での飛行は行わないという方針だ」と強調しました。

また、オスプレイが普天間基地に配備された場合の安全対策について、日米の外務・防衛の担当者による「日米合同委員会」で具体策を検討するようアメリカ側に求めており、住宅密集地をできるだけ避けるため、海上を中心とした新しい飛行ルートを提案することなども検討されています。

ただ、地元側は、安全性に不安があるとして、搬入を延期するよう求めていただけに、搬入自体に強く反発しており、試験飛行や沖縄への配備に向けた地元の理解が得られる打開策は見いだせていません。
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政府の事故調査・検証委員会最終報告書をNHKはこう読み解いた
 
東電対応 適切さ欠如と批判

7月23日 21時29分

東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、政府の事故調査・検証委員会の最終報告では、東京電力の事故対応について適切さに欠けると批判したうえで、「深刻な事故は起こりえないという安全神話にとらわれていたことに根源的な問題がある」と指摘しています。

最終報告では、2号機や3号機の事故対応を、同じく津波に襲われながら事故を抑えることができた福島第二原発の対応と比較し、2号機で怠っていた格納容器の圧力や温度の監視を第二原発では続けていたことや、代わりの注水手段を確認せずに冷却装置を止めた3号機に対し、第二原発では確認していたことなどを挙げ、すべての電源が失われなかった福島第二原発と条件が違うものの、福島第一原発の事故対応は適切さが欠けていたと指摘しています。

こうした対応になった理由について、最終報告では、東京電力が、複数の原子炉ですべての電源が失われるといった事態を想定した教育や訓練を行っていなかったことがあるとしたうえで、「深刻な事故は起こりえないという安全神話にとらわれていたことに根源的な問題がある」と厳しく指摘しています。

また、事故の8日前に政府の地震調査委員会がまとめていた報告書に対し、東京電力が、平安時代に大津波が東北地方を襲った「貞観地震」が繰り返し発生しているように読めるとして、表現を変えるよう要請していたことを明らかにしたうえで、「原発に致命的な打撃を与えるおそれのある大津波に対する緊迫感と想像力が欠けていたことが事故の重要な要因の1つだ」と批判しています。

さらに、東京電力がことし3月に公表した原子炉の状況のシミュレーションについて、設定した条件が明らかにおかしいにもかかわらず是正していないなどとして、「東京電力は事故原因について徹底的に解明して再発防止に役立てようとする姿勢が十分とは言えない」と指摘しています。

一方、最終報告では、地震の揺れによる影響の検証をはじめ、放射性物質の放出経路や詳しい事故原因については、現場の調査や時間の制約から解明できなかったとしていて、今後、国や東京電力が継続的に調査を行い、結果を事故防止策に反映するよう求めています。

.東電“非常に厳しい内容”

政府の事故調査・検証委員会の最終報告について、東京電力の松本純一本部長代理は記者会見で、「きょうの報告書の内容は、国会の事故調査委員会の報告書と同様、非常に厳しい内容と受け止めている」としたうえで、「どういった事実関係や根拠を基に書かれているのかしっかり確認し、今後の対応を検討したい」と話しています。

「災害大国」“肝に銘じ対策を”
7月23日 14時36分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所について、政府の事故調査・検証委員会は、23日、最終報告を公表し、「大津波に対する東京電力の緊迫感と想像力が欠けていたことが、事故の重要な要因の一つだ」と批判したうえで、「日本は古来『災害大国』であることを肝に銘じて、安全対策に取り組む、新たな防災思想が必要だ」と提言しました。
一方、事故の詳しい原因や被害の全容はいまだ解明できていないとして、国を中心に、今後も調査を継続するよう求めています。

福島第一原発の政府の事故調査・検証委員会は、23日、去年6月の調査開始以来13回目となる会合を開き、1年余りに及ぶ調査結果をまとめた最終報告を公表しました。

まず、東京電力の事故対応について、同じく津波に襲われながら事故を抑えることができた福島第二原発と比較し、2号機では、格納容器の圧力や温度の監視を怠っていたことや、3号機では、冷却装置を止める際に代わりの注水手段を確認しなかったことを指摘して、福島第一原発での対応は適切さが欠けていたと批判しています。
 
また、政府の事故対応について、菅前総理大臣が、水素爆発が起きた1号機の再臨界への懸念から、原子炉に海水を入れる是非を検討させたことを検証し、原子力安全・保安院や原子力安全委員会の専門家が再臨界の可能性を明確に否定しなかったことが原因としながらも、「本来、現場の状況を把握し専門的な知識がある電力会社が判断するべきで、政府が現場に介入することは適切ではない」と指摘しています。

さらに、事故前の津波への備えについては、東京電力が事故の8日前に政府の地震調査委員会がまとめていた報告書に対し、平安時代に大津波が東北地方を襲った「貞観地震」が繰り返し発生しているように読めるとして、表現を変えるよう要請したとしています。

こうしたことについて、政府事故調は、「原発に致命的な打撃を与えるおそれのある大津波に対する東京電力の緊迫感と想像力が欠けていたことが、深刻な原発事故を起こした重要な要因の一つだ」と厳しく批判しています。

そのうえで、「日本は古来『災害大国』であることを肝に銘じて、広域にわたり甚大な被害をもたらす事故や災害に対しては、発生する確率が低くても安全対策に取り組む、新たな防災思想が必要だ」と提言しました。

一方、これまでの調査では、地震を含めて事故の詳しい原因をいまだ解明できていないほか、被害の全容は明らかになっていないとして、国を中心に、今後も調査を継続するよう求めています。

政府事故調が最終報告をまとめたことで、民間、国会と合わせた福島第一原発の一連の事故調査は区切りを迎えますが、全国の原発の運転再開や国の原子力規制委員会の発足といった原子力の安全を巡る問題で、今後、政府や電力会社が事故調査で示された数多くの教訓や提言を受けて、どこまで真摯(しんし)に対応できるのかが焦点になります。

野田総理大臣は、政府の事故調査・検証委員会の最終報告を受け取ったあと、「2度とこのような事故が起きないよう、まもなく発足する原子力規制委員会を中心に再発防止に向け万全を期して取り組んでいきたい。今回の報告を真摯に受け止め、しっかりと対応していきたい」と述べました。

.規制機関を厳しく批判

政府の事故調査・検証委員会の最終報告では、規制機関である原子力安全・保安院や原子力安全委員会が、原発の安全や防災対策について見直す機会がありながら十分に対応しなかったとして、規制機関として「ふさわしい役割を果たしてきたとは言い難い」と厳しく批判しています。

最終報告では、平成4年に原子力安全委員会が、今回の事故原因となったすべての交流電源を失う対策を検討した際、検討グループの中に規制される側の東京電力や関西電力の社員を参加させ、30分以上電源を失う事態を想定しなくてよい理由を「作文」するよう求めていたと指摘しています。

翌年、検討会は、日本では非常用バッテリーなどの信頼性が高いことから30分以上電源を失う想定は必要ないとする報告書をまとめますが、最終報告では「報告書の原稿作成を電力会社に分担させたり、理由づけの『作文』を求めたことは、規制機関として不適切であった」と批判しています。

また、平成18年に原子力安全委員会が海外の考え方を取り入れて、原発事故に備えた新たな避難対策を導入しようとした際、原子力安全・保安院が、日本では大量の放射性物質が放出されるような重大事故は極めて起こりにくく、原子力安全に対する国民の不安感を増大させるとして、強く抵抗したと指摘しています。

この際、当時の広瀬研吉保安院長が原子力安全委員会の委員に「寝た子を起こすな」などと反対意見を述べ、結局、新たな避難対策の導入は先送りされたとしています。

こうしたことを踏まえて、最終報告では「原子力安全・保安院と原子力委員会はいずれも原発事故の未然防止のためにふさわしい役割を果たしてきたとは言い難い」と厳しく批判しています。

そのうえで、新たな規制機関に対して、最新の研究や世界の動向を見据えながら規制を最新・最善のものに改訂する努力を続けていくことを求めています。

調査の継続を提言

政府の事故調査・検証委員会は、今回の最終報告で調査や検証を終えますが、高い放射線量のため原子炉建屋に入った調査ができず、詳しい事故原因を解明できていないほか、事故による被害の全容も明らかになっていないとして、今後、国を中心に、原因の究明や被害の記録のために調査を継続するよう提言しています。

政府の事故調査・検証委員会は、最終報告で、福島第一原発の1号機から4号機を中心に、事故原因を可能なかぎり推定していますが、高い放射線量のため原子炉建屋に入った調査ができず、2号機で起きたとみられる最も多くの放射性物質放出や、1号機などの水素爆発について、詳しい原因を解明できていないとしています。

このため、国や電力会社など原子力に関わる関係者は、包括的かつ徹底した調査や検証を継続するべきであり、特に、放射線レベルが下がった段階での原子炉建屋内の詳細な調査は、地震の揺れによる影響の検証も含めて、必ず行うべきだと提言しています。

また、最終報告では、事故による被害の全容を明らかにするための調査の必要性を訴えています。

原発事故では、長期的な避難や移住を強いられるなかで、ストレスで体調を崩して亡くなった人が相次いだことや、原発周辺では医療機関や福祉施設が減って、診療や介護を受けられなくなったことなど、さまざまな深刻な被害を広範囲の地域にもたらしたとしています。

一方で、統計的な数量で全体概況を捉えるだけでなく、一人一人の生命と尊厳がどう脅かされ、放射能汚染によって地域がどう壊されたのかといった、被害の全体像を記録する調査は行われていないとしています。

最終報告では、原発事故がもたらした「人間の被害」の全容を教訓として後世に伝えることは、国家的な責務だとして、国が率先して調査態勢を構築するよう求めています。

住民の反応は

政府の事故調査・検証委員会の最終報告がまとまったことについて、警戒区域の福島県双葉町から避難している37歳の女性は、「これで調査が終わるのは納得できず、今まで安全だと言われてきた原発で事故が起きたのだから、このままだとまた同じような事故が起きる可能性があると思う。二度と同じような事故を起こさないためにも、きちんと調査を続けるべきだと思います」と話していました。

同じく双葉町から避難している83歳の男性は、「今回の調査で本当に事故の原因が分かるのか疑問だ。まだ原発の状態は不安定なので、どんな事故が起きるか分からない。これで事故の調査が終わるのはまだ早い」と話していました。

また、孫が大熊町から福島市に避難している68歳の女性は、「孫たちは大事なものをすべて置いてきたまま避難を続けている。すべての人が納得するまで調査を続けるべきだと思います」と話していました。

『起きえないことでも起きうる』視点を

政府の事故調査・検証委員会の畑村委員長は記者会見で、「今回の事故は、自然災害が想定内のことしか起きないと勝手に想像した結果だ。

『起きえないことでも起きうる』という視点で、何が起こりうるのか、しっかりと考える必要がある」と述べたうえで、世界の動向や最新の研究成果に目を向け、柔軟に新たな安全対策を取り入れる姿勢を貫くよう、国や電力会社に求めました。

一方で、1年余りの調査の中で、未解明の問題が残ったことについて、「現場に近づけない中では、真相に迫るのは無理だ。
何が起きたのか、可能性を示すところまでしか進めず残念だ。
予定していたができなかった『再現実験』は、調査を継続する組織にぜひやってほしい」と述べ、今後の調査の継続を強く求めました。

今後の調査は規制委など発足後に

藤村官房長官は記者会見で、「これで、民間、国会、政府、それぞれの調査委員会の報告が出そろったので、それぞれの内容をよく精査して、政府として必要な対策を行っていきたい」と述べました。

そのうえで、藤村官房長官は、政府の事故調査・検証委員会が、原発事故の詳しい原因や被害の全容はいまだ解明できていないとして、国を中心に今後も調査を継続するよう求めていることに関連して、「新たに発足する原子力規制委員会や原子力規制庁が、総合的に対応するための中心的な官庁になるので、発足してから、さまざまな検討をしていくことになる」と述べました。
 
 
 
<政府事故調>「東電・政府に複合的問題」by毎日新聞
 
<政府事故調>「東電・政府に複合的問題」最終報告書で指摘
毎日新聞 7月23日(月)13時50分配信

 東京電力福島第1原発事故を調べていた政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)は23日、最終報告書をまとめた。事故が深刻化した背景には、東電の初動対応に不手際があり、政府の避難指示や情報発信などで被災者の立場を踏まえていなかったと分析。事前の津波対策も不十分で、東電や政府に「複合的な問題があった」と結論付けた。再発防止に向け、広域で甚大な被害をもたらす事故・災害には発生確率に関係なく対策を行うという新たな防災思想の確立など25項目を提言した。

【政府事故調】最終報告書 防げた人災と指摘

 報告書は、福島第1原発1~3号機の現場対処に問題があったと改めて認定。特に、2、3号機では同じように津波に襲われた福島第2原発での対応と比べて不手際を浮かび上がらせた。

 第1原発3号機では、代替注水手段を準備しないまま冷却装置を手動停止し、6時間余り冷却が中断した。報告書は第2原発では、注水の切り替え前に代替装置が機能するか確認した上で作業したと指摘。3号機の対応は「適切さを欠いた」と問題視し、2号機での注水の準備態勢も不適切とした。1~3号機の地震による配管などの損傷は否定した。

 一方、政府の初動も問題視した。福島県飯舘村方面に放射性物質が広がった昨年3月15~16日、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を活用していれば、被ばくは最小限に抑えられたと評価。経済産業省原子力安全・保安院が当初の会見で、強く炉心溶融を否定したのは、関係者の対応を誤った方向に導き「極めて不適切」と指弾した。このほか、文部科学省が学校の利用判断基準を説明する際に使った「年間20ミリシーベルト」は、許容量と受け止められてもやむを得ず問題とした。

 また、菅直人前首相らは官邸5階にいて、関係省庁の幹部が集まった官邸地下の危機管理センターを利用しなかったため、SPEEDI活用の機会を失ったと分析。菅氏の対応も「(原発視察などの)現場介入は弊害の方が大きい」と断じた。

 被害拡大の背景として、東電と保安院の津波や過酷事故対策が不十分と言及。具体的には東電が08年、社内で第1原発に15メートル超の津波が来る可能性を試算しながら対策に生かさないなど「大津波への緊迫感と想像力が欠けていた」と批判した。

 東電などが実施したコンピューター解析結果について、不都合な実測値を考慮せず「信用できない」と認定し、不十分さを認めても再解析しない東電の姿勢を「真相究明への熱意がない」とした。

 菅氏ら官邸にいた政治家らが東電から伝えられたとする「全員撤退」では、考えていなかったとする東電の主張を認めた。

 調査は昨年6月に始まり、関係者772人から延べ1479時間にわたって聴取。報告書は本文編と資料編の計826ページで、政府事故調サイト(http://icanps.go.jp)で閲覧できる。

 ◇政府事故調最終報告書の骨子

・代替注水装置へ切り替える時、福島第1原発では第2原発に比べ、必要な措置が取られないなど対応に問題がある

・東電などが炉心溶融分析などのためにコンピューター解析で使った数値は、実測値と乖離(かいり)し信用できない

・冷却機能を喪失させた原因で、地震による主要機器の損傷は考えにくい

・SPEEDIは公表されていれば、避難に生かすことができた

・水素爆発の要因は何らかの金属摩擦や漏電などの可能性が考えられる

・東電が全員撤退を考えていたと断定できない

・関係閣僚らは地下の危機管理センターを活用せず官邸5階で意思決定したため、情報共有に弊害があった

・菅直人前首相の介入は現場を混乱させた
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オスプレイ、安全確保のためには海上ルート 防衛大臣も不安を認める
 
オスプレイ陸揚げ完了 防衛相、離着陸海上ルートを要請へ
産経新聞 7月23日(月)20時18分配信

 米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機を積載した輸送船は23日、一時駐機のため山口県の米軍岩国基地に到着し、全機の搬入を完了した。米軍は、日米両政府が4月と6月のオスプレイ墜落事故の事故調査で安全性を確認した後に、試験飛行を実施し、10月初旬から普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を拠点に本格的に運用する。

 防衛省は4月にモロッコで起きた墜落事故の調査結果の説明を受けるため、今週末にも防衛省や国土交通省の担当者、航空工学の有識者らによる専門家チームを米国に派遣する。6月の米フロリダでの事故調査結果は8月に公表の見通しで、その際も訪米させる。

 森本敏防衛相は23日のフジテレビ番組で、オスプレイの運用の安全を確保するため、離着陸にはできるだけ海上のルートを飛行するよう米側に要請する考えを示した。
 
森本防衛大臣の記者会見動画 こちら
 
 
事故検証部署を作って継続調査 福島原発事故
 
原発規制組織に事故検証部署
7月23日 23時49分 NHKニュース

細野原発事故担当大臣は、NHKの番組で、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、政府の事故調査・検証委員会の最終報告で、事故調査の継続を求める提言が盛り込まれたことを受けて、ことし9月に発足させる原子力の規制組織に、事故の検証を行う部署を設けたいという考えを示しました。

この中で、細野原発事故担当大臣は、政府の事故調査・検証委員会の最終報告について、「『見たくないものは見えない』という言葉は、事故への備えが不十分だったことを象徴的に示している。

津波対策や住民の避難対応など、事前にやれたことがあったはずだが、用意したりすると逆に原発は危険との印象を与えるので、積極的に排除してきた。そこを根本的に改め、想定を超えたときに対応できるよう、まったく発想を変えることが求められる」と述べました。

そのうえで、細野大臣は、最終報告書に、国を中心に今後も調査を継続するよう求める提言が盛り込まれたことについて、「新しく誕生する原子力の規制組織に、場合によっては40年間検証を続ける、相当しっかりしたチームを作る必要がある。

規制機関として厳しくやっていく姿勢は不可欠だ」と述べ、ことし9月に発足させる原子力の規制組織に、事故の検証を行う部署を設けたいという考えを示しました。
 
 
沖縄防衛局のアセスメントに疑点、 ウミガメは来ている
 
ウミガメ、辺野古に頻繁に上陸 環境影響評価に疑問
2012/07/24 09:30 共同通信

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を県内移設する予定地の名護市辺野古の海岸に、絶滅の恐れのあるウミガメが頻繁に上陸していることを沖縄防衛局で確認していたことが24日、分かった。

防衛局は、昨年末に提出した環境影響評価(アセスメント)の評価書で「移設で消失する海浜はウミガメの上陸に適していない」として影響は限定的と結論付けていた。

今回判明したのは反対の結果で、アセスの信頼性を揺るがし、移転問題に影響を与えそうだ。

 ウミガメのアセス対象期間は2007~08年だった。
 
 
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エアコンの屋外機の上にムラサキ山芋の葉っぱがよく茂って風に揺れる

2024年08月24日 | 花・草・木・生き物

ムラサキ山芋の葉っぱがエアコンの屋外機の上によく茂って揺れる

 

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「日本人の病は“過剰適応”してしまうこと」浜崎洋介と與那覇潤が斬る“空気に支配される日本人|「なぜ日本人は“自信がない”のか?」

2024年08月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

「日本人の病は“過剰適応”してしまうこと」浜崎洋介と與那覇潤が斬る“空気に支配される日本人”ダイジェスト(司会:新谷学)

「なぜ日本人は“自信がない”のか?」浜崎洋介と與那覇潤が現代の“不安”を生む〈承認欲求〉と〈自己責任論〉を撃つ

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