奄美 海風blog

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高倉 at 奄美パーク

2008年12月01日 | 歴史 民俗

きょうは、よく晴れました。 

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きょうから師走 ↑ きょうから衣替え 奄美パークの蝋人形である。名前はまだない(たぶん)。奄美でもっとも有名なおじさんかも知れない。こどもたちにものごとを教える、たいへん物知りの師でもあるが、年中ここにすわっている。

きょうの笠利町は20度を超えた。はだしとはいえ、この服装では暑かろう?


新書 『すべては音楽から生まれる』 and 『悩む力』

2008年12月01日 | 本と雑誌

081201book 一日で、二冊も読めてしまう680円は高いか安いか。

『悩む力』 姜尚中(カン サンジュン) 集英社新書

きのう見たbsTVの週刊ブックレビューで、ベストテン(2位)入りしていた。

■ベストセラーレビュー 
テーマ 新書・ノンフィクション 週間ベストテン
トーハン調べ


1 人間の覚悟 五木寛之 新潮新書
2 悩む力 姜尚中 集英社新書
3 強欲資本主義 ウォール街の自爆 神谷秀樹 文春新書
4 白川静 漢字の世界観 松岡正剛 平凡社新書
5 できそこないの男たち 福岡伸一 光文社新書
6 頑固力 ブレないリーダー哲学 岡田彰布 角川SSC新書
7 〈勝負脳〉の鍛え方 林 成之 講談社現代新書
8 生物と無生物のあいだ 福岡伸一 講談社現代新書
9 寂聴と磨く「源氏力」全五十四帖一気読み! 「百万人の源氏物語」委員会編 集英社新書
10 日本人はなぜ環境問題にだまされるのか 武田邦彦 PHP新書

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最近、あの深夜の討論番組見てない。まだあるのか。

著者は別書『姜尚中の政治学入門』でも言っていたが、政治思想史という学問の「干物」の世界に安住することなく、食中毒の危険を冒してしても、メディアのような「生もの」の世界での発言をつづけている。

著者が「生もの」のアクチュアリティを失うことなく、「百聞は第六感にしかず」と言い切るのは豊富な「干物」世界の知見の裏づけがあるからである。

本書は、おもに、百年前に悩みつづけた夏目漱石とマックス・ウェーバーを手がかりに、現代社会への鋭い分析が、政治学者としての豊富な学識と著者自身の「悩み」ぬいた体験をまじえながら語られる。

反論がありそうなことをズバリ言うのが、著者の魅力のひとつだろう。

なっとくした所は、

「宗教は『制度』である」P99
信仰を意味するレリージョン religion は制度化された宗教というニュアンスがある。
つまり、かつて宗教とは個人が信ずるものではなく、個人が属している共同体が信じているものだった。
ゆえに、「私は何を信じたらいいのか」という問い自体が生まれてきません」
これは非常に幸せな状態だったと言えます。

数多い奄美の集落では、ゆりかごから墓場まで、人生に必要なことは、すべて物心ともに集落単位でまかなわれていたように思う。

今の時代から、むかしは個人の自由などなくて不幸だったというのは後知恵というもだ、という著者に納得。現在の若者たちの意識はどうだろうかと考えた。

身につまされたところ。

マックス・ウェーバーがロシアの文豪トルストイの『人生論』の中のエピソードを紹介した箇所。

あるところに水車小屋で粉ひきの仕事をしている男の話

自然の恵みを受け一生懸命働いていた男が、

あるとき、水車の動くメカニズムに興味を持つ。

それが川の流れによるものだと理解した男は、
こんどは川の研究に熱中。

気づいてみれば、本来の粉ひきの仕事を忘れていた。
というはなし。

トルストイは、徹底的に「反科学」。それは人間の行為の意味?を奪う。
(どうする満男の葉っぱのケンキュウ)

意味についてとく著者は、現代のわれわれに疑問を呈している。
悩みを安易に脳の問題にすり替え、ネット検索で得た安直な知識を紙切れのようにポケットに詰めこんで知っているつもりになっている、それは知性とはいえないのではないかと。

最終章、
悩みを突き抜けた著者57歳。

福沢諭吉の残した言葉 「一身にして二生を経る」

まったく違う第二の人生、ぶっとびの構想がおもしろい。(略)
「ちょい悪おやじ」など、やめにして、
ハーレーダビットに乗ってみたいのは
まじめに悩んだ、ウェーバーや漱石に欠けていた「横着」者でいきたいから。
姜さんは精神も見掛けもとても若くておしゃれなのだ(帯うらの写真)

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すべては音楽から生まれる (PHP新書): 茂木 健一郎 Amazon.
脳とシューベルト

いつの時代も?「脳」はうれるんだねえ。

そういえば、最近、あの人の本、見かけない。

著者のブログもあるよ。

シューベルト ウェーバー シュトラウス ベートーベン
モーツァルト ワーグナー とでできて、ちあきなおみも出てくる。

新たなリズムの発見は、日常における「根源的な自分自身との対面」の機会である、
と著者はジョギングの途中降り出した雨のなか、おかしな飛びかたをするトンボを見て、
雨の日と晴れの日にはそれぞれ異なるリズムの音楽があることに気づく。

明治神宮の北参道
真昼時、玉砂利の参道の真ん中部分だけが両脇の木々にさえぎられず、太陽の光がさんさんと降り注いでいる。著者は「光の川」の上を歩く。
うねうねとくねっているのは、木々の枝葉のそよぎのでいである。

これは、山でいつも体験する。都会の人は、場所がかっこいい。

著者のいうクオリアとは、数量的、物理的アプローチでは解明できない何か。
たとえば、ガタンゴトンという電車の音、その音自体の姿。質感?
それは客観的に存在するのではなく私自身の知覚によってたちあらわれるもの。(むずかしい)

偶然手にした、2冊の新書。両者の対比でおもしろいことに気づいたのですが、その箇所がさがしだせません。おそらく「意味」についての箇所だったとおもう。