奄美 海風blog

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スモモ  狂い咲き

2008年12月20日 | 植物

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Sumomo 狂い咲き。 ふつうは 2~3月ごろだと思う。

県道沿いの並木のうち毎年この一本だけ、早く咲く。1個か2個だけ咲いて、あとは忘れる。「咲いた」とは言えないのかも。

快晴で、日中は夏を思わせる陽気だったのですが、気温は意外と・・それほどでも。

きょうの名瀬
10.0 ℃ ~ 20.4

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写真は、下から接写フラッシュ。失敗

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県道 前は海 右は大浜海岸。これから左 国直海岸へ行きます。


ロシア文学者 昇曙夢(のぼり・しょむ 奄美・加計呂麻島出身) について調べた

2008年12月19日 | 歴史 民俗

奄美大島は広い。

東京23区より広いといえば、
驚く人も多い。

奄美大島 712.35km2
東京23区 621.81km2

今年はガソリン価格の高騰で、
ドライブ取材?を極力控え、
あたらしい本を買うのも極力控え、
以前に読んだ本を読み返し、そこからブログネタをさがす
倹約一石二鳥策をとったのだった。
おかげで『名瀬市誌』全3巻の通読にも成功した。

しかし、禁煙成功をいいわけに、
文庫本などは、以前読んだ本でも
字が小さいからと
けっこうあたらしく買い換えてしまった。
奄美関係のけっこう値段の高い本も買わざるをえなかった。

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出席したわけではありませんが、以下 昇曙夢(のぼり・しょむ)googleについての勉強です。

ブログ検索をすると出席者のひとり方のブログを読むことができます。

そんななか写真の

記念誌

奄美群島日本復帰 全国奄美連合総本部委員長・復帰対策委員長
『昇曙夢 先生没後50年を偲ぶ会』議事録

は、40ページほどの小冊子ながら、
目からうろこ、本数冊分。本にしてほしい。

11月22日東京でおこなわれた偲ぶ会のようすは、奄美新聞(11/28)、南日本新聞(12/02)でも報じられた。

前回2003年の初めての墓参『没後45年祭』(南海日々新聞2003年11月15日付特別号)まで、
晩年の昇 曙夢が奄美諸島の復帰運動における本土での指導者として活躍したことは、地元奄美ではほとんど知られていなかったという事実にもおどろかされた。(地元と本土にいる奄美出身者の連携、協力が物事を成功に導くという教訓は今日にも生きるべきと冊子あとがき)

前回没後45年は、「復帰運動指導者」「ロシア文学者」がテーマだったが、今回は昇曙夢のもうひとつの側面「郷土史家」がとりあげられた。

奄美の郷土史のバイブル「大奄美史」googleの著述(1949 昭和24)のほか

歴史・文化遺産の保護、

島唄研究

新民謡の作詞(磯の松風 月の白浜)

名瀬町の骨格作りなどの

たくさんの業績に光があてられた。

多くの関係者、研究者から報告された昇曙夢のひとつひとつの業績の”現代性”に思いをいたす時、目からうろこが落ちる。

昇曙夢が愛聴した、しま歌のなかでも名曲中の名曲

『太陽(てぃだ)の落(う)てぃまぐれ節』

朝崎郁恵さんや、あのUAさんも歌っている。
検索して聴いてみるのもよい。

この記念誌は、国立国会図書館に納本され、永久保存措置がとられる見込み。
前回の記念誌はすでに、措置がとられていて、出席者の氏名など永久に保存されることになっているという。

国立国会図書館 検索のページに、
昇曙夢先生を偲ぶ会 議事録
と入力すれば書誌情報を見ることができる。

偲ぶ会の出席者には高齢の方が多く、若い研究者の出現が望まれている。このことは奄美研究の他の多くの分野についてもいえることではないだろうか。

======以下wikipedia などで調べました。

昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958年11月22)

略歴
1878年(明治11年)
奄美諸島加計呂麻島芝(現鹿児島県大島郡瀬戸内町芝 旧実久村)生まれ。
本名・直隆。

島の小学校を出ると鹿児島に行き、
鹿児島正教会に通い間もなく洗礼を受けた。

1886年、日本正教会の教育機関である東京の正教神学校(ニコライ神学校)に入学。
1903年、同校を卒業。
1904年、在学中から執筆した評伝『露国文豪 ゴーゴリ』を刊行。
卒業と同時に正教神学校講師として心理学・論理学を講じた。
1905年、大阪朝日新聞嘱託、ロシア事情を担当する。
1912年、陸軍中央幼年学校教授嘱託。
1915年、早稲田大学講師。日大講師
1916年、陸軍士官学校教授。
1923年、革命後のロシアを視察。
1946年、ニコライ・ロシア語学院長。
1949年、(昭和24年領統治下)『大奄美史-奄美群島民族誌』上梓
1955年、『ロシア・ソヴェト文学史』で読売文学賞受賞。

081219book ロシア文学者 昇曙夢&芥川龍之介論考 (-) 和田 芳英 (著)

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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)
ロシア文学が近代日本文学に重要な役割を果した事は学界の定説である。二葉亭四迷なきあと、明治末から大正時代には武者小路実篤が語るように「昇曙夢」の時代が確かにあったのである。宇野浩二広津和郎芥川龍之介等、大正・昭和の作家達に芸術家魂を吹き込み深甚な影響を与えている。更に魯迅も曙夢の著・訳書を購入し、重訳している。本書は奄美郷党は勿論、国文学者・ロシア文学者・比較文学者・スラヴ史研究者必携の基本図書となるであろう。

 

 


大相撲浦添場所 ファン4千人 琉球新報

2008年12月18日 | ニュース

↑ ファン4000人沸く  大相撲浦添場所 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

琉球新報 一年以上も前からYouTube 使っている。メンバー登録: 2007年09月26日

いまや、英国王室も使うYouTube、米大統領戦にもかかせない。米巨大自動車メーカーが経営支援を求めたりもするYoutube

それにしても浦添場所、お客さん多いですね。贅沢だったんだね、奄美場所。力士たちとお客さんがあんなに身近で触れ合えて。

琉球新報創刊115年記念でもあった浦添市美術館 カメラの位置もいいです。


ハイビスカス スリーピング? 赤い葉

2008年12月18日 | 植物

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きょうもいい天気

スリーピングハイビスカス google  または 

和名 ウナズキヒメフヨウというのとも 違うと思う

なぜなら、うなずいていないし、他の花は咲いている。こいつもいつもは咲いている。

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ハイビスカスは、黄葉しながら花を咲かせていることがある。

これは紅葉というのとは違うと思う。

? 赤葉ハイビスカス ローゼル google

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ゲ 

アコウ

実(花)は幹にも枝にも枝先にもついている。

色も状態もさまざま。花期も特定できない。

このブログ 2008年8月27日 (水曜日)
アコウ イチジク(無花果)属 実の観察

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あたたかい 名瀬 20.4℃

2008年12月16日 | 気象 お天気

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いいお天気に恵まれた奄美相撲巡業がおわってから、風が吹き、雨もふって少し寒くなっていた名瀬ですが、きょうは20.4℃と、あたたかくなりました。

この冬、ここまでの全国の天気、冬型の気圧配置が長続きしないのが特徴だそうだ。

奄美でも、例年の冬より、あたたかく日照時間が長いのではないのだろうか。

このことがヒカン桜の咲く時期や美しさにどのように影響するのでしょうか、しないのでしょうか。

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名瀬赤崎公園のソテツとハイビスカス。午前中

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↑ 手入れのいきとどいた公園育ちのソテツ。すくすく伸びる。

 

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シャリンバイは、この木だけではなく、他のもう一本の木も季節はずれの開花。


2008 奄美巡業 里山 VS 琴春日 他写真137枚

2008年12月15日 | 大相撲

2008 大相撲奄美場所 2日目 西幕下9 里山 vs  琴春日 東十両11 

「これより、十両取り組みであります。」

地元里山に大きな声援、琴春日、重圧に吹っ飛ぶ土俵下。その巨体を土俵下、うまくかわした白乃波も送り出された。里山2年ぶりの十両の土俵、本場所につながる大きな一勝、「ただいまの決まり手は送り出し」。

ほか、写真137枚 16分割 ダイジェスト


相撲甚句 奄美巡業 薩喜海 

2008年12月14日 | 大相撲

♪ 奄美名所 歌詞は下↓にあります。

 

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2008年12月11日(木)奄美巡業2日目

相撲甚句をうたう 薩喜海(さつきうみ 喜界町) うしろは豊桜(とよざくら)

つむぎさんに教えていただくまで知らなかった。
紹介していただいた
薩喜海は、好青年、美声の男前。

たくさん稽古してもっとつよくなれよ、薩喜海。来年関取になれよ。

東幕下59 薩喜海澄太郎 (さつきうみ すみたろう)
喜界町出身 境川部屋
昭和55年5月生
最高位 幕下17

180.5センチ 102.1キロ(2008 3月)

初土俵, 平成11年1月.
生涯戦歴, 217勝195敗1休/411出(60場所).
幕下戦歴, 44勝54敗/98出(14場所)

平成20年九州場所の成績
ー●●ーー○ー○ー○●ーー○ー4勝3敗

奄美場所でも若い女性ファンが増えている。
相撲甚句にもひときわ大きな拍手が沸いていた。

輪になってまわりながらうたうところは奄美の八月踊りに似てなくもない。

大きな体の力士たちがうたう相撲甚句は、
どこかユーモラスななかにも
しみじみとした哀愁が感じられる。

泣けます相撲甚句 google

奄美大島名所

♪ 奄美大島甚句にとけばヨー
沖の立神 声かけて 
ドラの音悲しや奄美丸
みなと名瀬にはおがみ山
渡るかけ橋 山羊の島
浦の橋立 笠利湾
沖に見えるは喜界島
あれは節田のマンカイよ
ひるぎ林(マングローブ)は住用で
八月踊りに夜も更けて
唄が聞えるクルランド
つむぎ織る手にささやくは
ハイビスカスやらルリカケス
枝手久招く湯湾岳
油井の山より見下ろせば
海をはさんで加計呂麻や
むこう与路島 請島と
あまた数あるその中で
奄美が生んだ名力士
相撲じゃ横綱ヨーホホイ
アー朝潮ヨー

torajiro 独白 

2007年6月20日 (水曜日)
寅次郎独白その1 「セミが鳴いております」
より つづく

もう、桜が咲いております。

懐かしい葛飾の桜とは一味ちがうヒカン桜が
今年も咲きだしました。
毎年、このころになりますと
このあたりには、他より早く桜が咲きだすのです。
桜が咲き出したその日
その国道の少し手前で大相撲の巡業が行われました。奄美大島はこれから長い長い桜の季節をむかえ、それは春のユリの季節までつづきます。

そうです、相撲甚句を聴いてわたくし名瀬か向こうは東京葛飾柴又を思い出したのでございます。

思い起こせば四十年以上も前のことになりましょうか。
わたくしがガキの時分のころになります。

以下略 つづく


奄美場所 土俵入り 横綱 幕内 三役揃い踏み

2008年12月13日 | 大相撲

2008年12月11日 大相撲冬巡業 奄美場所2日目(Grand Sumo Jyungyo tour at Amami-oshima)

奄美市住用町見里 奄美体験交流館(県立相撲道場)

~~~~ビデオ内容

幕内土俵入り

横綱朝青龍土俵入り

横綱白鵬土俵入り Asashoryu Hakuho dohyo-iri

三役揃い踏み

小結  豪栄道(ごうえいどう)VS  関脇 把瑠都(ばるとEstonian Sekiwake Baruto )

新大関 安馬改め 日馬富士(はるまふじ)VS 大関琴欧州 Sumo's second-highest rank of ozeki Mongolian Harumafuji (formerly Ama) VS Bulgarian Kotooshu

旭南海 土俵入り

撮れていたつもりのビデオが撮れていなかったり・・・。つづく


朝青龍 vs 白鵬 in 奄美大島

2008年12月12日 | 大相撲

場内 拍手 歓声

カ~ン カン カ~ン きのね 「柝」の音

トザイ ト~ザ~イ(東西)

行事 「番数も取り進みましたるところー、かたや、朝青龍(あさしょうりゅう)、朝青龍、こなた、白鵬(はくほう)、白鵬。この相撲一番にて・・・(以下カメラマイク性能不良で聞き取れず)にございまする」

斎藤 孝 (著)
『 声に出して読みたい日本語 』 (単行本)によると

聴き取れなかった部分は、通常、 「 本日( ほんじつ) の打うち止とめ(または千秋楽 せんしゅうらく )」

カ~ン カン カ~ン きのね

「あさしょうりゅう~!」 声援

土俵上 両者、塵(ちり)を切り

懸賞幕入場 3本

両者塩に分かれる。

場内アナウンス「西方、横綱 あさしょうりゅう・・・。(中略)

呼び出しは秀男 (ひでお)、行事は木村庄之助、奄美場所最後の一番であります。」 

拍手 

声援 「はくほ~」 「がんばれ~」

========

このビデオは外部からの埋め込みはできない設定にします。

この記事は、

2008年12月12日 (金曜日)
大相撲奄美場所2日目 写真ソクホー

からのつづきです。

 


大相撲奄美場所2日目 写真ソクホー

2008年12月12日 | 大相撲

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↑ 拡大します。click to enlarge

11日(2日目) 今朝12日 5時10分 船に乗リ込むまで写真編集中です。

総勢200名 

結びの一番では、横綱白鵬(はくほう)が
注目の横綱朝青龍(あさしょうりゅう)を破り、おおきな歓声がわいた。

郷土出身力士 旭南海(きょくなんかい) 里山(さとやま)らが激励の拍手を受け、

人気の関脇 把瑠都(ばると エストニア)のサイン会には、尾上部屋の付き人として幕下の里山が、一緒にサインや握手、写真撮影に応じていた。

また会場では安馬改め、新大関の日馬富士(はるまふじ)などに人気が集まった。

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開場14時から20時

写真上=東城小中学校体育館横の空き地の土俵から巡業会場

写真中=静かな内海に面した会場

写真下=黄色い陽射しの島の秋 夕方 daytime full moon この時気温約20度

11日の名瀬
13.0 ℃~ 22.5

しずかな山の中、国道から内海に突き出すように位置する会場。

夕方になっても海の水に親しむ力士の姿が見られた。

会場で、つむぎさんに、教えていただきながら取材できて光栄でした。

つづく


秋名のヒカン桜も咲き始め and  奄美巡業 長浜町

2008年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

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↑ 龍郷町秋名(たつごうちょう あきな)の早咲きヒカン桜

この一つだけ。きのうの見里の10個に比べ少ない。

つぼみが大きくなるにつれ、つりがね形の花びら全体(花冠)と枝とをつなぐ花柄(かへい、花梗(かこう)が、つぼみの重さにたえかね、花はうつむきかげんに咲く。早咲きの花にはこの傾向がみられない。

きょうの名瀬
12時 21.9℃ 降水0.0 北北西 2m/s 日照1.0h 湿度53 1018.7hpa

====

大相撲冬巡業 奄美場所は二日目をむかえました。

奄美大島は、きょうも、この上ない師走の上天気にめぐまれています。

大相撲ご一行様が夕方やってきたのは、わが町長浜町です。
 
横綱や着物すがたの若い力士たちの姿が、名瀬の街に独特の華やかさをもたらしています。

大相撲の巡業は、
奄美大島では、前回の旧笠利町以来9年ぶり、奄美群島内では徳之島巡業以来2年ぶりです。

新聞によると10日は奄美各警察署で年末年始の特別警戒出発式があり、そのうち瀬戸内署管内の宇検村の出発式に、奄美出身幕下の里山(尾上部屋)、同部屋の把瑠都(ばると) 、
将司(まさつかさ 入間川部屋 青森)  の3力士が飛び入り参加。
ゆかた姿にたすきがけで街頭に立ち「飲酒運転防止」などを訴えた。

2日目は、きょう午後2時から8時までのナイター。(取材予定)
一行は、明日の早朝の船で沖縄へ向かう。


モダマ 住用川内 土俵 Sumo Ring

2008年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

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旧国道の、このカーブは、うっそうとして独特の雰囲気がある。

その雰囲気も、巨大なモダマも暗くてうまく撮れない。

『南島雑話』 モダマの記述 東洋文庫 2- 27P

○榼藤子(もだま) 長四尺余、蔓(つる)の根の廻り丈、根より根は一畦。壱丁、弐丁、実は樹上にあり。鎌(かま)を竿(さお)にくゝり付とる故に、地に落ちて全(まったき)の少し。一房に子二、三十。

榼藤子(もだま)
榼(コウ さかだる)

世界最大の豆

モダマ(藻玉) google

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大相撲奄美場所の会場のある住用見里から

旧国道へ。

モダマへの道を行かずに途中で左折すると、長い桜並木があって、それが終わるころ川内(かわうち)集落の公民館に着く。

内陸で広場がひろい公民館前

住用町に多い、屋根のない土俵

まわりの広々とした畑との仕切りに大きなガジュマルの木と四方の山並み。

そのなんともいえない風情は、時間かなくてうまく撮れない。

相撲大会や八月踊りの日にくればいい写真が撮れそうな風景だった。 

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2009へ桜さく and 大相撲奄美場所開幕

2008年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

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↑ 奄美市住用(すみよう)見里(みさと)の早咲きヒカン桜 

背景青空 上を向いて咲いている。

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緑葉を残して開花 下を向いている。

咲いているのは、この木だけ。10個ほど。

初旬には咲いていたものと思われる。

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このとき 雲ひとつなく晴れた青空 大相撲奄美巡業初日 奄美体験交流館

日本相撲協会
平成20年冬巡業スケジュール

早咲き桜は、国道58沿いにあるこの会場から、ほんの少し、南へ行った道沿いの並木のうちの一本でみつかった。

きょう10日 名瀬
12時 22.6℃ 降水0.0 北 2m/s 日照1.0h 湿度49 1020.2hpa

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↑ 奄美市出身 幕下里山の所属する尾上部屋ののぼり。

建物の外、

行きに雅山(みやびやま)、

帰りに把瑠都(ばると尾上部屋)などの姿が

車から見えた。

くわしい取材は明日

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写真は拡大します。

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ちょと、つぼみのふくらみが足りないか。

===

ほかに奄美大島では龍郷町秋名の早咲きヒカンザクラが、知られている。

ヒカン桜の開花宣言がおこなわれるのは、1月初旬ごろ。

1月下旬ころ、全体的な見ごろをむかえへ、四月までどこかしらで咲いている。

Sakura Cherry tree full bloom 奄美大島 ソメイヨシノ 満開

↑ 四月

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奄美・名瀬 オオシマザクラ 満開 Full bloom Oshima-zakura

↑ 3月


マツ 松 リュウキュウマツ

2008年12月09日 | 植物

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常緑といってもすこしづづ紅葉、落葉する。

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まつぼっくり(松かさ)=胚珠がたくさんある。

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春に受粉が行われると松かさの鱗片(りんぺん)はかたく閉じられ、やがて成長して受精が行われ、種子が散布されるのは、翌年の秋になる。

このため一本の木の中でいろいろな大きさや形状の松かさをみることができる。

春に行う予定の、奥深い風媒植物 裸子植物~リュウキュウマウツの観察のためのとりあえずの記録です。

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春?になると長いシュート(苗条 -茎と葉の総称)の先端に雌花(めばな)=雌生殖器官(種子錐seed cone , female cone )がつき、雄花(おばな)=雄生殖器官(花粉錐pollen cone , male cone)は短いシュートの基部(根元)につく。その下は、この春受粉した松かさ(雌花 種子錐)だろう。

べんきょうつづく

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マツとは、マツ科マツ属の常緑針葉樹の総称で、松ノ木という名前の松はない。
ハイビスカスがアオイ科フヨウ属の低木の総称で(以下同じ)というのに同じ。

奄美の場合はリュウキュウ(アカ)マツ

しかし、名瀬赤崎公園のリュウキュウマツといってもだめで
その根元に立って指差して「このマツ」といわなければ特定できない(笑)。さらにこの一本の松のふしぎなからくりに・・・。


あす10日(水) 11(木) 大相撲奄美巡業

2008年12月09日 | お知らせ

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↑ ↓ 拡大して読めます。

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国道58号線を名瀬から古仁屋に向かって南下、車で30ほどのところ、写真かんばん(先々週撮影)左の建物が、会場の奄美体験交流館google(県立相撲道場)地図 map

2年前の徳之島巡業の写真は、こちらからたどってご覧になれます。

(1/3)Final day Grand Sumo TokunoShim Basyo 2nd day 大相撲徳之島場所2日

(2/3)Final day Grand Sumo TokunoShim Basyo 2nd day 大相撲徳之島場所2日

(3/3)Final day Grand Sumo TokunoShim Basyo 2nd day 大相撲徳之島場所2日

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2006年 12月6日につづいて

島に大相撲がやってくる。

関連記事 このブログ 2008年11月16日 (日曜日)
九州場所中日のトックリキワタand 大相撲奄美場所