五條市西吉野町の山間部へ国道から入ると、このような標識が導いてくれる。最後の標識がここ「旬の野菜レストラン 農悠舎 王陰堂」だ。
高校の同窓生五人のグループの待ちに待った楽しいランチの会場である。2~3年前の同窓会総会の時、「王陰堂」での食事を誘ってくれた友人がいて、その日の来るのを心待ちにしていた。
大阪に住む友人二人と、五條に住む三人がこの日のグループだった。五條の三人のうちの一人が、在職中の何年かこの地とご縁があり「王陰堂さんへ行くなら、予約、案内などのいろんなお世話をするよ。」と言ってくれたので、全てお世話になった、ありがたい日だった。
来訪者への経営者のメッセージがあり、何の知識も持たないまま「美味しいお食事ができるよ。」 のお誘いが嬉しかった上に、何よりのプラスあるふぁーが含まれていることに、期待が増して来る。
涼しげにに開放された部屋に沿った玄関に続く通路に、真夏を忘れたようないい風が吹いてくる。
これも何よりの嬉しいおもてなしだ。
「季節を映す旬の野菜料理と花々でお迎えいたします。」帰りに貰ってきた案内のパンフレットにそう書いてあったように、築百六十年の古民家の玄関には、何気ない野の花が、素朴に迎えてくれるのも趣き深い。
安全安心の食材は現在の私たちの最も望む所であり、地域でも地産地消の、生産者の顔の見える農作物をできるだけ手に入れて食生活の安全を願っている。
『「奈良県認定農産物提供店」として、環境に優しい農業を応援しています。』の幟旗が心強い。
「王隠堂」 という珍しい苗字は、南北朝時代、足利尊氏に追われ吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまった(王を隠した)屋敷として、天皇から授かった「屋号」で、後にこれを苗字とされたそうだ。
ちなみに、王陰堂家のある山を下った国道端には、重要文化財に指定されている、南朝時代の皇居であった堀家住宅がある。
『 延元元年(1336)12月、後醍醐天皇は吉野への途次、堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました
正平3年(1348)、後村上天皇が吉野より難を逃れ入邸しています
さらにこの邸宅は、長慶、後亀山天皇の皇居と伝えられています』
このような史実と関連して、「王陰堂」家の珍しい苗字の理解をする。続きは次回へ。
昨日ここまで書く途中に、ラジオに稲光のノイズか入って、もし雷が鳴り出したら恐ろしいので、完成させずにそのままにしておいた。
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