カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

見つめられて 2時間 石光寺 3

2011年12月16日 | ★ 日々の呟き

ピンクの花びらの一枚一枚の透けるような重なりが、筆先から画用紙に描かれていく。
絵心のない私は、おじさんの手の動きと、今見つめ、見つめそして筆を進める、白い画用紙の中に生きていくような美しい寒牡丹を、感心しながら眺めていた。



おじさん画伯に、見つめられているモデルの横顔をカメラに収める。
いいお顔である。
もう何年か前に、ここに来た時に、牡丹にカメラを向けている私に、「いい顔で咲いていますね。」と後ろから声をかけられたのを思い出した。
それ以来「牡丹を見る」というよりは、「いい笑顔に会いに行く」というような気持ちで石光寺の門をくぐる。



おじさん画伯の写生を見つめている先客さんがいた。
「どれくらいで、出来上がるのですか。」
私もそれを聞きたかった。
「大体2時間くらいですよ。」
今日の花は、明日このままであるとは限らない。
一番美しい時を、おじさん画伯に2時間しっかり見つめられて、水彩画の中に花の命を残していく。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牡丹園の仏様 石光寺 2

2011年12月15日 | ☆ ふるさと・大和

阿弥陀堂の縁の脇に、二輪綺麗に咲いた寒牡丹が、迎えてくれたのが、昨日の記事の後先になってしまった。
阿弥陀様にお参りして、ふとお花の横を見ると、「母が拝めば子も拝む うしろ姿の美しさ」と書かれた真理に惹かれた。






藁囲いのお花と語り合うように見ながら、境内をそぞろ歩くのは、花を愛でるだけでなく、庭の仏様の和やかな慈しみ深いお顔と対座させてもらえるのが、このお寺にお参りする楽しみの一つである。

昨年は、大きな悲しみを背負って仏様にすがるような気持ちでこの庭を散策した。
その悲しみは癒されることはないけれど、1年間とにかく無事に過ごさせてもらったという感謝の気持ちが、心のうちから湧いてくる。
9654歩
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藁囲いの牡丹姫  石光寺 1

2011年12月14日 | ☆ ふるさと・大和

二上山の麓、葛城市染野の石光寺に、寒牡丹を観に行った。
受付で拝観券を購入したとき、「今年は温暖化で、寒牡丹の開花が早まって、散ってしまったのもあるのですが・・・」と申し訳なさそうに仰った。
それでも、今年の花たちに会えることは嬉しく、待っていてくれた花と出会えることを喜びとして境内を散策した。



遠くからはフタコブラクダのように見える二上山だが、傍では幾つもの尾根の重なりがある。

黄葉の山を引き寄せてみた。紅葉とは違った美しさがある。


石光寺の白壁の塀と古い石積みの石垣が長く続いて、長閑な当麻の里風景である。


石光寺山門

霜よけの藁囲いの中で、この寒さの中 にこやかに微笑んでいる、牡丹姫たち。
境内ではカメラマンが何人か時期待ち、光待ちの狙いの撮影の待機中の人たちがいた。
芸術的な写真を撮ることのできない私は、記録写真をパチリパチリと、それでもどの牡丹姫にも「ありがとう、こんにちは」の挨拶を心で呟いて撮っていった。








石光寺で今咲いているのは、「寒牡丹」である。
「冬牡丹」と寒牡丹についてネットで調べてみたら次のような記述があった。
というのは、冬牡丹を画像で「寒牡丹」と書いている記事を時々見かけるので気になっていた。
『☆ 寒牡丹
  春につく蕾はつみ取り、夏の終わり頃に、葉をつみ取って花期を遅らせ、藁の霜囲いをして暖かいところに保護すると冬に開花する 。

☆ 冬牡丹
  春咲きの品種を人工で温度調節し、冬に咲かせる牡丹。

☆ 寒牡丹と 冬牡丹の違いを一目で区別するには、緑の葉が あれば『冬牡丹』。葉が無く、花だけのも  の『寒牡丹』というそうです。』



コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱雀が降り立った川原寺前広場

2011年12月13日 | ☆ ふるさと・大和

石舞台に行く時にここを通り過ぎて、「あれ! 何か綺麗な色彩があったようだ。」そう思いつつ後続の車があったのでそのままスピードを落とさずに過ぎたが、気がかりだったので、夕方帰りに駐車スペースを見つけて、川原寺方面へ歩いていった。

川原寺の前に朱雀がデント降り立っている。
そこは好奇心旺盛な私のこと、調べておくのだったと後悔しながら、近くまで行ってみた。


幟がはためいて、ここも芸術イベントの会場のようだった。


飛鳥時代の貴人の衣の色のような、オブジェが芝生の上に造ってある。
ライトアップの期間があったのだろう。
今もやっているのかもしれないが、夜にはなかなか出て来れないので、夕暮れのモニュメントを見ながら、綺麗だろうなぁと、夜の川原寺前を想像する。
これもまた楽しい。


道路から遠くてバックが白壁なので、よく見て気がついたのは、ここに船のあることだった。
遷都祭のときの遣唐使船のような形をしているが、何の船なのだろう。


広場全体が飛鳥時代のばを構成しているようだ。
暗闇の中に浮かび上がるものだけが飛鳥人と共に朱雀に、幸せを願いたいような気分で、明日香路を後にした。
 8387歩
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の華

2011年12月12日 | ☆季節

冬の自然の中のあちこちで咲いている、赤、白、ピンク、斑の花といえば「山茶花」をすぐイメージする。
冬の華・音読みで「冬華」
昨年の冬亡くなった、家のお嫁さんの戒名の中にこの「冬華」という文字を入れてつけてくださったお寺さんが、
山茶花のようなイメージの人だったし、山茶花の花の咲く頃に、彼岸に旅立ったので・・・というような命名のお話をしてくださった。



先日大和郡山市の大和民俗公園に行った時、山茶花の大木が、遠くからも花いっぱいに咲かせているのが目立って美しかった。
ピンクの山茶花である。
他にも色の違った山茶花の大木が公園のあちこちで、花をいっぱい咲かせていた。
椿のようにぽとりと花を落とすのでなく、花びらを散り敷くように落とした芝生や枯れ草の上に、花筵を広げていた。




こちらは我が家の今朝の山茶花である。
低木になるように剪定しているので、塀の外には花を見せていないが、家の中からは、今この色だけが華やかさを見せてくれている。
すでに散った花びらもあるが、今年は花の付が多く、蕾が次々に咲いていく。

昨日は1周忌だった。
法事は1周忌を待たずに11月にしていたが、お墓参りをし、仏壇にはいろんなお供えをして、終日灯りを灯し香を手向けた。
夕方、チャイムがなったので出てみると、
「今日は、おばちゃんの1周忌やから、お仏壇にお参りさせて・・・」思いがけなく、孫の中学時代の友達が来てくれた。
「よう おぼえとってくれて おおきに。」
礼を言う前に涙が出てくる。
仏壇に手を合わせてくれる背中を見ながら、この子達にとっても忘れられない温かいものを残していったお嫁さんなのだと思う。
このような青年のお参りが、三組あった。
「いまどきの若い子は~~~」なんてよく聴くが、みんな社会人になって勤務先で頑張っている若者の、こんな温かい面と出会って、中学の時の絆の深さと、優しい心の友を持った孫は大きな宝物に恵まれたことは、私の大きな喜びであり、亡き母親も、どこかで見つめているだろうなぁと思った日であった。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする