映像:弘前さくらまつり31(平成最後)の会場弘前公園の西濠の景観(2019.4.20)
2019年平成最後の弘前桜まつりが開幕した。今年も岩木川川原の無料駐車場に車を
停めて西濠入口から入園した。10連休という大型連休の前の静寂な弘前公園を散策。
例年遅咲きの西堀の桜も五分咲き。押しあいで揉みくちゃになる春陽橋もゆったり
参照#満開時の夜桜の景観(西の郭:西濠夜桜さくらまつり30)
広大な弘前城を警備する与力の番所は藩政時代に城内の要所におよそ12箇所あったという。
主な設置場所は大手門(正門)与力番所、三の丸東門与力番所など。その多くは明治以降
取り壊されたが、公園管理人宿舎や作業員詰所として使用され残ったのがこの与力番所だ。
記録:1979年から3年をかけて、文化庁の指導協力を得て元の場所に移築復元された。
天守閣がこの仮座に位置してもう三年を経過。この景観も慣れたが、やはり
石垣の上に聳え、水面に映る天守閣が最も相応しい。後七年の我慢だが長い。
この地に生まれ青春を過ごしたものとして指を数えて元の姿を待ち焦がれる。
参照:①お濠の水面に写る天守閣 ②七年後の修復工事完了時の天守閣位置
≪Mémoire(メモワール):岩木山絶景(弘前城北の濠) 2016.4.24≫
弘前城を語る時、借景となっている岩木山抜きにしては語れない。
それは本丸から眺めた茫洋とした岩木山。天守閣から見渡す額縁
岩木山・・・しかし北の濠越しの岩木山・桜・濠土手もまた格別。
参照:①本丸から眺めた岩木山 ②天守閣から眺めた岩木山
弘前藩歴史館は津軽藩の賢君ともいわれる津軽信政公(第四代)が使用した武具など
を中心に凡そ5千の宝物歴史料が収蔵されている。その信政公を窺がい知るのがこの
肖像画。石田三成の娘(辰子)と津軽為信の三男(信枚)の間に生まれた信義の子供。
考察:津軽信政公は堅君として名高いが、その血は戦国時代の知将石田三成から引き
継いだものに相違ない。大阪から逃れた石田三成の娘辰子は津軽信建の手引き
で名前を変え、曽野として二代目信枚の正室(徳川の姫の輿入れで後に側室)
となり、信政公の父上信義の生母(後に家康養女満天姫が輿入後満天姫が継母)。
参照:信政公の曽祖父津軽為信の銅像(弘前文化センタ∸前庭)
(2018春/さくら~ 弘前城物語 完)
2018年夜桜見物のクライマックスは、やはり桜のトンネルを有する西堀逍遥。
ここで川面にボートを浮かべて涼んでも良し。頭上の桜を愛でながら腕を組
んで歩いても良し。気ままなスタイルで、この観桜会を楽しもうではないか。
参照:晴天の満開濠の様子・西の郭西濠ボート乗り場
(2018年4月24日 弘前さくらまつり鑑賞 完)
夜桜見物や出店漁りをしてふと空を見上げれば、半欠けお月さんが空の上から
弘前城の桜を見降ろしていた。人は見上げ月は見降ろす。さくらは上下どちら
からでも鑑賞できるのだ。地上の喧騒とは掛け離れた、桜と宵待ち月のコラボ。
三の丸を隔てて中堀があり内北之郭を守る様に二の丸にあるのが丑寅櫓。
三の丸、四の丸に睨みを聞かせる位置。この櫓は余り目立たないが、四
の丸から上がってくると立ちはだかる様に姿を現す。桜と堀に華やぐ姿。
参考:江戸期に四の丸は北の郭と称し通り口の賀田橋を渡りクランクに
賀田門があった。観光物産販売所(プレハブ)手前二の丸は堀で防御。
参照#弘前城(津軽藩)探訪紀行
亀甲門から弘前城を半周する形で、大手門を目指し東側外堀を辿るとやがて
津軽為信公の銅像がある弘前文化センターが見えてくる。その真ん前にある
のが東門。ここからは、大手門より早くに本丸天守閣に辿り付く事ができる。
参照:津軽為信公銅像(弘前文化センター)
弘前城の岩木川側にある堀。ここの桜が一番遅く満開となるが今年はもう満開。
創建時は川幅28間から18間の岩木川そのものであった。岩木川は氾濫を繰返し
西側に後退し現在の西堀が形成された。筆者も学生時代ボートで遊んだものだ。
参照:西堀夜景(さくらまつり29)
満開の本丸から北の廓方面を望むと眼下に鷹匠橋が観える。この景観もまた
隠れた城美観スポットである。堀と橋、石垣と桜が真ん中の水面にみごとに
照らし出される。津軽藩四百年の夢が垣間見れる筆者お勧めの撮影ポイント。
参照:正面から眺めた「鷹匠橋」
鷹揚城下という言葉がある。筆者は本丸から岩木山を眺めると
この言葉を思い起す。大空を鷹がゆっくり舞う姿から思い起す
「ゆったりとしてこせこせしないさま。おっとりとして上品」
城郭がそのまま保存された弘前城はこの表現がピッタリの空間。
参考:大手門左にこのお城を指して「鷹揚園」という石碑設置。
弘前市都市公園条例名称は「鷹揚園」となっているのだ。
参照:紅葉の時期の岩木山遠望(菊と紅葉まつり28)
約2600本の桜の中で、天守閣を仰ぐ桜は極わずかだ。その景観がこれ。
400年の歴史と100年木桜の景観のコラボレーションはこの地に生きる
人々に憩と癒しを与えている。この桜の下で今日も人の輪が笑い躍る。
参照:天守閣から桜越し眼下の下乗橋
2018年春の弘前城も仮天守台上だ。展望台からは文字通り弘前城の雄大な景観。
満開の桜が天守閣越しの秀峰岩木山の残雪に呼応する様はいつ観ても飽きない。
しかし、やはり濠と石垣と桜と天守閣が心の底に残る。修復完成が待ち遠しい。
参照:本来あるべき場所の弘前城天守閣(晩秋景観)