影像:嘗てのまんま、神社は残るが、内部は人気もなく往時を偲ぶよすがも無い。
苦悩の末終に有島武郎は地主として保有する農地を解放する。
その農場解放宣言の場所が農場内にある『弥照神社』の中だ。
小作人は神社に集められ、有島武郎の決意を聴いて驚愕した。
解説:このように実生活、小説世界と一致する理想主義を掲げたのが『 白樺派 』
と言われ同じような理想を持った文学者に武者小路実篤がいる。武者小路
実篤の創った『新しい村』は今も、宮崎県と埼玉県の両県で持続している。
参照 #① 有島武郎(白樺派作家)探訪紀行
② 弥照神社農地解放宣言(北海道 ニセコ町 理想の村集会場)
影像:理想の村の背後に聳える羊蹄山(マッカヌプリ) 2019.9.6映像再掲
今では羊蹄山という名が定着しているが、開拓時代はマッカヌプリと呼ばれていた。
だから麓の村が『真狩(マッカリ)村』、地主の息子として小作人の開拓の苦しみを
切ない思いで観ていた作家:有島武郎にこの蝦夷富士はどのように観えたのだろう。
小説『カインの末裔』冒頭の一文:
『・・・見上げると八合目まで雪になったマッカヌプリ(羊蹄山)は少し頭を前
にこごめて風に歯向かいながら黙ったまま突っ立っていた。昆布岳の斜面
に小さく集った雪の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一
本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直ぐな一筋道を、彼と彼の妻
だけがよろよろと歩く二本の立木のように動いて行った・・・』