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弘前城の現存天守閣や国重要文化財など、貴重な城郭資産をまとめる(2019.9.20)
映像:弘前城天守閣から眺望した桜満開時の下乗条橋景観
(下記アンダーラインを🖱クリックすると、本ブログの探訪記録参照可)
① 大手門(弘前城正門:国重要文化財・・・南西面には弘前市役所庁舎)
② 内濠観光舟(三の丸石橋桟橋~辰巳櫓~杉の大橋~羊申櫓・・・往復)
③ 杉の大橋(内堀架橋:二の丸への橋・・・南内門の前面桝に位置する)
➃ 南内門(二の丸南門:国重要文化財・・・紅葉の撮影名所、羊申櫓側)
⑤ 桜ハート(二の丸:羊申櫓前・・・新しい観光スポットSNS人気発信)
⑥ 羊申櫓(二の丸南西:国重要文化財・・・西側眼下には弘前工業高校)
⑦ 辰巳櫓(二の丸北東:国重要文化財・・・東側眼下には弘前城植物園)
⑧ 二ノ丸 御高覧所(騎馬武士団馬術の技量を城主が高覧する場所跡 )
⑨ 下乗橋(内堀木架橋:天守閣への橋・・・天守閣借景の撮影スポット)
⑩ 下乗橋擬宝珠(下乗橋欄干飾・・・伝統的建造物に見られる魔除け飾)
⑪ 亀 石 (本丸虎口巨石:弘前城攻略の最後の難関となる本丸天守閣)
⑫ 鶴ノ松 (本丸虎口名木:弘前城随一の名木として天守ロードを飾る)
⑬ 天守閣(御 三 階 櫓:国重要文化財・・・国内現存十二天守閣のお城)
⑭ 旧天守台(大天守閣:本丸南西部五層御櫓・・・落雷で炎上崩落した)
⑮ 最長寿桜(東内門前:二の丸与力番所並び・・・推定年齢143年樹)
⑯ 与力番所(移築復元:東内門前・・・桜祭り茶会会場・日本最古の桜)
⑰ 東内門(二の丸東門:国重要文化財・・・ピクニック広場の城側入口)
⑱ 石 橋(東内門外橋:弘前城内で唯一の石橋・・・文化財級の古石橋)
⑲ 薬草園(弘前城植物園:藩政時代の薬草園・・・三の丸植物園とした)
⑳ 東 門(三の丸東門:国重要文化財・・・東前面に弘前文化センター)
㉑ 丑寅櫓(二の丸北東:国重要文化財・・・東側外堀前に弘前中央高校)
㉒ 鷹丘橋(内堀木架橋:本丸から内北郭・・・藩主プライベートゾーン)
㉓ 波弥橋 (北の郭から殿様が忍びで・城下に出かける時の跳ね橋伝説)
㉔ 賀田橋 (二の丸から四の丸に下った所・お化け屋敷手前の小さな橋)
㉕ 青森県護国神社 (護国神社は全国各地に設置され公的殉職者を祀る)
㉖ 北 門(四の丸北門:国重要文化財・・・四の丸レクレーション広場)
㉗ 亀甲橋(外堀木架橋:四の丸へ・・・北側城下町には武家屋敷が現存)
㉘ 春陽橋(西濠木架橋:西濠ボート乗り場・・・桜のトンネル・遅咲桜)
㉙ 西濠ボート乗り場(桜のトンネルと西堀・・・桟橋から春陽橋超景観)
㉚ 一陽橋 (外濠木架橋:紺屋町から護国神社・四の丸へ抜けるに便利)
㉛ 藩祖像(津軽為信公:弘前文化センター・・・正門エントランス設置)
㉜ 高照神社(津軽藩中興の祖と尊敬された、名君津軽信政を祀る神社)
㉝ 御仮屋御殿(碇ヶ関温泉郷:「関の庄温泉」西本陣・藩主湯浴みの地)
㉞ 御湯殿 (浅虫温泉郷: 「柳の湯」津軽藩 本陣の宿にある殿様用浴殿)
㉟ 弘前城 トレッキング2021:弘前城一周GPS経路図 (大手門発着)
㊱ 弘前城 トレッキング2023:晩秋の弘前城一周 (弘前市民会館初着)
㊲ 弘前城 トレッキング2024:晩秋の弘前城一周 (弘前市民会館出発)
⑱ 弘前城 トレッキング2025:弘前城雪燈籠まつり鑑賞 (大手門発着)
規模:総面積385,200㎡(参照年代:1676年11月)東京ドームグランド30個分相当である。
因みに国宝松本城総面積390,000㎡は二の丸、本丸の92,700㎡しか現存していない。
城割:本 丸・北之内郭・西之郭・・・城主居住空間、側室や御母堂などが住んでいたと推定
防御 ー 石垣、内堀、蓮池、水路、岩木川(その後土地改良で現在は西濠)
二之丸・・・親族(津軽大学、津軽平重郎、大道寺隼人(国家老)、杉山勘左衛門(石田三成子孫))
防御 ー 土塁、内堀
三之丸・・・御評定場、縁族・重臣武家屋敷61棟、空家敷6棟、
防御 ー 土塁、外堀、水路
四之丸・・・御普請場、御作事場、御木材置場、幹部家臣団屋敷50棟、空家敷1棟、
防御 ー 土塁、外堀、水路
五之丸・・・現民有地(馬屋、馬場、的場、星座、御紙漉所、幹部家来屋敷30棟,空家2棟)
防御 ー 土塁、水路(北・東)、創建当時は岩木川で現在西濠(西・南・・・)
※弘前城西に付属施設として、馬屋、馬場、的場、星座、紙漉場、30武家が居住、
幕府関連重要人物(柳川調興:家康や秀忠の小姓で流罪を命じられ弘前藩預かり)
なども居留し、城郭に隣接して防御も完璧な一角を筆者は「五之丸」と位置づけた。
大館舘・・・津軽藩の飛領地、信牧公はここに徳川に敗れた石田三成公の娘辰姫を側室とし
てかくまった。当初は正室であったが、徳川家康に養女満天姫を正室に押付けら
れ側室となる。(現在の群馬県太田市である、参勤交代の都度立ち寄ったと推察)
因みに、辰姫の子供信義は満天姫が養子に迎えて三代目となり、名君信政公の父。
更に辰姫の兄は杉山源吾と姓名を変えて仕え代々家老職継承。石田三成の血筋は
北の大地に引き継がれた形となる。歴史ヒストリア摩訶不思議な人間模様である。
経緯:明治政府下では本丸御殿等は破却され、陸軍師団の基地などに転用され、その後も大学,
陸上競技場、図書館、野球場など設置されたが多くは撤去されてほゞ往時の儘の
城割・空間が保存されている全国でも貴重な城郭とし知られている。現在、城内
にある施設は弘前市民会館(管理棟)、弘前市立博物館、テニスコート、弘前城植
物園、レクレーション広場等で市民の健康・文化・憩いの場所として親しまれる。
文芸:作家司馬遼太郎の「街道を行く―北のまほろば」では日本七名城の一つとして記述される。
日本七名城とは、弘前城、丸岡城、備中松山城、松山城、丸亀城、宇和島城、高知城の
ことで、他に国宝五城(松本、犬山、彦根、姫路、松江)で現存天守十二城を構成する。
指定:国重要文化財、国史跡、現存十二天守、日本百名城、日本さくら名所百選、日本の歴史
公園100選、日本の都市公園百選、人と自然が織りなす日本風景百選、日本三大桜名
所、平成百景(お城のある風景)、江戸時代の建築物、ミシュラングリーンガイド 一つ星。
参照#①日本の城郭探訪紀行 ②日本城門(史跡)探訪紀行 ③日本戦国武将(英傑・女傑)探訪紀行