弘前城 四の丸 青森県 護国神社 【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09】
弘前城の大半の公的施設は移転し、江戸期の面影を取り戻したが、ここ四の丸の一隅
の護国神社は明治政府時代に創建されたまま今に残る。賛否はともかく静かな環境下
、戦争・事故などの公職の殉死者を祀る青森県唯一の場所として残されたと推測する。
社格:別表神社 祭神:青森県出身の英霊29,184柱(2019年現在)
変遷:弘前招魂社~青森招魂社~ 護国神社 (昭和14年内務大臣指定)
解説:12代藩主承昭によって箱舘戦争の戦没者慰霊のため1870年(明治3年)に創建
され、 1910年 (明治43年)3月に弘前招魂社として現在地に移築されたとある。
記憶:弘前城をここまで辿ると景観は一変し、四の丸右側(北東)には陸上グランド
があって、中体連でよく応援に来た。筆者は弘前市立第三中学校という当時で
はマンモス校(約千五百人)といわれ、全校応援に駆り出された。一方左側の
護国神社は大きな鳥居が記憶にあり、観桜会に幼少期は爺やにお化け屋敷など
に連れられてきたものだった。この門前に今でも有名な津軽百年食堂の三忠の
蕎麦屋の屋台小屋などが幾つも建つ懐かしの場所である。古き良き時代の面影。
参照#弘前城トレッキング 2024