史跡津軽氏居城・・・北の都悠久の時を感じさせる城門である。この門は津軽為信が滅ぼした
大光寺城の城門を移築したもので弘前城の建築物ではもっとも古いと推測。建築当時正門
であったが、その後現在の大手門が正門となり裏門扱いである。またの名を亀甲門と称す。
参照#弘前城(津軽藩)探訪紀行
弘前城内で唯一の石橋。他の橋は木造なので往時のままではないが、この橋は1848年の
掛け替えからこのままある貴重なものだ。多くの観光客はこの石橋の存在に気付かない。
二の丸から東内門を抜け、左手に東屋、右手に弘前城植物園を確認できる歴史的な橋だ。
大谷海岸駅(JR・道の駅・海水浴場)の国道向いは小高い丘になっており立派な
民家が津波を逃れ残っていたが丘の中腹には道の駅で休憩していた車だろう、無
残にも津波に叩き付けられ、津波は丘を駆け上がり、民家の一階も襲撃している。
大谷海岸駅の瓦礫の中に動くものを発見。目を凝らして見ると『猫』が一匹。
大津波を生き延びた『猫』は、一層用心深く、全身で警戒心を表現。近づく
と瓦礫の中へ一目散に走って消え、二度と現われなかった。大地震、大津波…
被災猫は片目を失う大怪我をした様だ。元気で生き延びて欲しいと合掌する。
『大谷海岸』駅は気仙沼市本吉地区の砂浜の直ぐ上に立地。文字通り道路『道の駅』と
鉄路JR駅が合体。目の前の海は松原・砂浜で海水浴ができる海の駅である。立派な複合
施設は海辺故に無残に破壊。三陸沿岸では唯一海辺砂浜・海水浴場にある『駅』だった。
JR気仙沼線の海岸部は全滅。普段は景勝地で車窓からの眺めも心地良い場所が一変地獄。
ご覧の垣根状のものが線路。その先のトンネルには口を塞ぐように障害物が覆っている。
又何時かこの軌道を列車が走るのだろうか・・・。驚きと哀しみで又もファインダーが曇る。
JR気仙沼線の景勝地がご覧のとおり、線路もオモチャ見たいに無造作に置かれている。
鉄橋は流され、土手の横に線路が押されたのだ。手前の土台は建物が海に引きづられ
基礎だけが残された状態。まだ真新しい基礎材から新築間もない住宅だったのだろう。
女川町から抜けて気仙沼に向う。途中、何処で休んだか記憶にない。
人間って、極端な恐怖、驚愕に出会うと、それから逃れようと脳が
活動を停止するのかしら?ともかく車中泊から目覚め第三の目的地
に向う。映像はその途中の異様な光景である。田んぼと住宅地が入
り混じる大地には妙な静寂と津波の傷跡が残る。また鼓動が高鳴る。
被害状況:965人死亡、520人行方不明、3660人避難。
いよいよ女川町を離脱する。夢中で調査した。何度涙を拭いたか分らない。不条理
という言葉が有るならば、この地の惨状こそ不条理だ。行きかう車両は自衛隊が圧
倒的に多い。自衛隊、警視庁、消防局は膨大な量の瓦礫をひとつひとつ丁寧に確認
し「捜索終了」の表示をする。5月28日現在で。
被害状況:死者488名、行方不明者450人、避難者1340人を数える。住宅4370棟全壊。
女川町の中心部に入る。鉄筋コンクリート三階建ての庁舎はかろうじて、外郭は
残ったが内部は無残。庁舎周辺の建物は残骸さえ無い。中心部な為、自衛隊によ
り有る程度瓦礫が撤去されたのだ。この惨状は口では伝えられない。映像を見て
いただき、嘗てこの辺りが女川町を支えた中心であったことを思い描いて欲しい。
今更に津波の破戒力に圧倒される。
総合体育館のテニス場に自衛隊四国第十四旅団が運営する共同浴場が設置が設置
男女別の浴場施設は普段、野営時に使われるもので、加温、循環、ろ過など大掛
かり。被災民はこの施設が何よりくつろぎの場。温泉ではないがそれ以上の価値。