孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

EU  北アフリカからの難民増大に、国境審査の復活承認の方針

2011-06-20 21:54:25 | 世相

(ヨーロッパにたどりついた北アフリカ難民 受難は更に続きます “flickr” By Pan-African News Wire File Photos http://www.flickr.com/photos/53911892@N00/5717810280/

【「ただ、働くための、自由を手にするための安全な場所が欲しいだけなのだ」】
きょう20日は「世界難民の日」だそうです。
****世界の難民・避難民4370万人、過去15年で最多****
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、「世界難民の日」にあたる20日、「グローバル・トレンド(世界の傾向)2010」と題する報告書を発表した。2010年末現在、紛争などで強制的に移動させられた難民・避難民は約4370万人で、過去15年で最多となった。

19日には、グテレス難民高等弁務官とUNHCR親善大使の米女優アンジェリーナ・ジョリーさんが、イタリア南部ランペドゥーサ島と島国マルタを訪れ、難民たちと面会した。
今年に入ってからチュニジアやリビアなどから4万人以上が流れついており、ジョリーさんは「どこの国に行きたいという人たちではない。ただ、働くための、自由を手にするための安全な場所が欲しいだけなのだ」と話した。【6月20日 朝日】
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【「飢えた分別のないアフリカ人が大量に流入してきても、ヨーロッパは進歩的で統一された大陸のままでいられるだろうか」】
北アフリカの民主化運動に伴う騒乱や政変で、対岸のイタリア・ランペドゥーサ島に多くの難民が命がけで押し寄せていること、その受入れを巡ってイタリアとフランスなど周辺国の間で“厄介者の押し付け合い”がなされたことは記憶に新しいところです。(4月18日ブログ「イタリアに押し寄せるチュニジアからの不法移民、フランスはイタリアからの受入れを拒否」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110418)でも取り上げています)

こうした北アフリカからの難民には、リビア・カダフィ政権によって銃で脅され強制的に海上に追いやられた人々も少なくないようです。
下記は北アフリカ難民の置かれた状況を伝えるNewsweek記事の抜粋です。

****革命難民」を待つ地中海の受難****
北アフリカの貧困と騒乱を逃れ、命.懸けで海を渡りヨーロヅパを目指す難民たち たどり着いた彼らを待つ新たな苦悩とは

・・・・北アフリカからヨーロッパに渡ろうとして命を落とす人がどれだけいるのか、正確な数は誰も知らない。密航船に乗客名簿はなく、当局にできるのは船の規模から人数を推測することぐらいだ。それでも今年が最悪の
年になりそうなのは確かだという。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、過去2ヵ月だけで少なくとも1600人の難民が地中海で命を落としたと推定している。

ランペドゥーザ島の岸辺は打ち上げられた難破船の残骸で埋まっている。よほど死亡者が多いのだろう、遺体が漁船の網にかかることもたびたびだ。しかし当局に報告すると面倒な手続きが必要なため、漁師たちは遺体をそのまま海に戻すことが多い。(中略)

実を言えば、こうした移民(とそれに伴う死者)の大幅な増大は予見できた。ヨーロッパを目指すアフリカの人たちにとって、リビアは主要な中継地だ。そしてヨーロッパの指導者たちは最近まで、同国の最高指導者ムアマル・カダフィを支援してきた。カダフィが、ヨーロッパヘのアフリカ難民の流入を「調整」していたからだ。
昨年ローマを訪問したカダフィは、このことで露骨に脅しをかけてきた。「飢えた分別のないアフリカ人が大量に流入してきても、ヨーロッパは進歩的で統一された大陸のままでいられるだろうか。(かつてのローマ帝国のように)蛮族の侵入で滅んでしまうのではないか」

カダフィの復讐の犠牲に
NATOによるリビア空爆が始まると、カダフィはヨーロッパに「かつてない数の不法移民を解き放つ」と宣言。以後、リビアからの密航船が押し寄せ始めた。
今年の1~5月だけで、昨年の10倍以上にあたる約4万5000人がランペドゥーザ島に漂着。近くのシチリア島、サルデーニヤ島にも大勢の難民が流れ着いている。(中略)今のリビア内戦が長引けば、さらに何十万人もが絶望的な船旅に出ることだろう。

こうした難民の中には、経済的なチャンスを求めてヨーロッパを目指す「経済難民」もいる。チュニジアやエジプト、そしてリビアの政変や動乱を逃れて脱出してきた人もいる。だが複数の人権団体の報告によれば、カ
ダフィ派の兵士たちは住民を銃で脅して無理やり密航船に乗せ、大量に送り出している。

UNHCRと民間援助団体セーブ・ザ・チルドレンの担当者が生き残った難民たちから間いた話によれば、兵士たちは無作為に選んだ人々に航海の指示書を渡し、船を海へと放り出す。人道上の大惨事を引き起こして、ヨーロッパの「かつての友好国」にさらなる圧力をかけることが狙いだろう。(中略)

フランスの冷淡な対応
ランペドゥーザ島は昔からアフリカとヨーロッパをつなぐ中継地として利用されてきた。しかし、今年に入ってこの島に押し寄せる難民が急増した。昨年12月に始まったチュニジアの騒乱が第1波の流入の引き金となった。騒乱はエジプトに飛び火、2月末頃から第2波の流入が始まった。エジプトにいたサハラ砂漠以南の国々の出稼ぎ労働者がどっと逃れてきたのだ。さらに3月にはNATOがリビア空爆を開始、第3波の大量流入が始まった。

ジュネーブ条約では、政治難民はたどり着いた国の庇流下に置かれることになっているが、経済難民は本国に送還できる。イタリアはチュニジアと交渉し、3月に経済難民の流出を阻止するという約束を取り付けた。以後、チュニジアからの難民の半数以上が本国に送還された。
残りの難民には半年間の短期滞在ビザが与えられた。この査証があれば、イタリア国内を自由に移動できる。イタリアやフランスを含むEUの大半の国々は、域内での国境を越える移動の自由を認めたシェングン協定を結んでいるので、建前上はそれらの国々へも行けるはずだ。

フランス語圈のチュニジアからの移民は、大半がフランスを目指す。そのためフランスは難民の急増を警戒し、イタリアとの国境の警備を強化し始めた。これについて、シェングン協定違反ではないかと激しい議論が起きている。
セシリア・マルムストローム欧州委員(内務担当)は、「(EU)域外との国境に想定外の大きな圧力がかかるなど、極めて例外的な状況」では、EU各国は自国の国境管理権を回復できるとの解釈を示した。
これに対して、イタリアが猛反発。ロベルト・マローニ内相は「こんな友人なら、独りぼっちのほうがいい」と、EU離脱まではのめかした。難民危機への対応をイタリアだけに押し付けるなというメッセージだ。

ランペドゥーザ島の難民は一時期1万人を超え、島は難民であふれ返った。定員800人の収容施設には約3000人がすし詰めになり、建物からあふれた人たちはトラックの下にビニールシートを敷いて雨をしのぎ、そこを寝場所にしていた。(中略)

今では、島に長く滞在する難民はほとんどいない。島の施設に残っているのは女性と子供だけだ。そのほかは島に到着後24時間以内にフェリーでイタリア本土に送られ、各地の収容施設に入れられる。収容施設と言ってもにわか仕立てのキャンプや軍の基地を利用した場所が多く、どこも満杯で、お世辞にも住みやすいとは言えない。

活路はここにしかない
難民たちは鉄条網のフェンスに囲まれた収容施設で、難民認定の審査結果を持つ。政治難民と認定されなければ短期滞在のビザを与えられるか、強制送還かだ。

ランペドゥーザ島から本土に渡った難民の多くが、まずはフランスとの国境の町ベンティミリャを目指す。23歳のファケル・ガゼルもそのI人。チュニジアの騒乱で兄が亡くなり、2月にランペドゥーザ島に渡って、そこから1000キロ以上北のベンティミリャまで、2ヵ月近くかけてたどり着いた。

短期滞在のビザがあればフランスに入国できるはずだが、いまだにベンティミリャで足止めされている。毎晩ニース行きの夜行列車に乗り込むが、そのたびに警棒を手にしたフランス人警官につまみ出されるという。北アフリカからの難民の入国を防ぐため、警官が列車内を巡回しているのだ。(中略)

ラバアリの仲間に、チュニジアのホテルで働いていた33歳のターレ・タビがいる。動乱で観光客の足が途絶え、失業した彼は「家族の貯金を持ち出してこっちに来た。生活のめどが立ったら家族を呼びたい」と話す。「革命前は、ヨーロッパで暮らそうなんて思ってなかった。でも、もう後戻りはできない。ここで踏ん張るしかない」
バービー・ラッツァ・ナドー(ローマ)【6月22日号 Newsweek日本版】
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長い記事のため大分割愛しましたが、本当は、省略した個々の事例にこそ事態の真実が現れているとも言えます。

国境審査「例外的に復活できる」】
5月、EUは北アフリカからの難民流入に対応するため、欧州の25カ国間で各国民の自由移動を認めた「シェンゲン協定」について、一時的に国境での入国審査の復活を認める改定案を基本承認しています。

****シェンゲン協定改定 国境審査の復活承認 EU、難民問題で****
混迷が続く中東・北アフリカからの難民流入に対応するため、欧州連合(EU)は12日、ブリュッセルで開いた内相理事会で、欧州の25カ国間で各国民の自由移動を認めた「シェンゲン協定」について、一時的に国境での入国審査の復活を認める改定案を基本承認した。欧州では反移民政党が台頭する中、欧州統合の象徴である「人の自由移動」を制限する動きに警戒感も出ている。

内相理事会では、大量の難民流入などが起きた場合に限り、「最終手段」として協定加盟国が一時的に国境での入国審査を復活できるとした欧州委員会の改定案を賛成多数で支持した。公共の秩序や安全に深刻な脅威を与える場合に国境審査の実施を認めている同協定の例外規定を拡大した。
ただ、欧州委員会の承認が必要とする多数意見に対し、ドイツやフランスは各国の判断で実施できると主張しており、最終結論は6月24日のEU首脳会議に委ねられた。

シェンゲン協定は、旧西ドイツ、フランスなど5カ国が1985年と90年に、国民の自由移動を認め合うことなどで合意。ルクセンブルクのシェンゲン村近くで署名されたことから命名された。現在はEU加盟27カ国のうち22カ国と、スイス、ノルウェー、アイスランドの計25カ国が実施している。

しかし、チュニジアとエジプトの政変に続き、リビアでは内戦が激化。地中海を渡ってイタリアやマルタに逃れる難民が2万5千~3万人に上った。
さらにイタリアで滞在許可証を得たチュニジア難民が旧宗主国フランスを目指したため、フランスが国境を一時閉鎖する騒ぎも起きた。
このため、サルコジ仏大統領とベルルスコーニ伊首相は4月26日、シェンゲン協定を改定する必要性があるとの認識で一致し、EUに働きかけていた。

一方、シェンゲン協定加盟国のデンマークは11日、密輸対策の一環として、隣国のドイツやスウェーデンとの国境で抜き打ちの税関検査を復活させると発表。デンマークでは移民排斥を唱えるデンマーク国民党が政策決定における影響力を増しており、欧州委員会からは同国の真意をいぶかる声も出ている。
欧州では反移民政党が勢力を拡大、少数民族ロマを多く抱えるブルガリアやルーマニアのシェンゲン協定加盟も予定より大幅に遅れている。【5月14日 産経】
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正式決定は23~24日の首脳会議においてなされますが、上記記事の改定案に沿う形で、域内での国境審査の条件付き復活を容認する方針が確認されています。
****EU、国境審査容認へ 中東政変で移民急増****
欧州連合(EU)は、アラブ諸国での民衆蜂起と政変拡大に伴って出稼ぎ移民がEU加盟国に大量に流入した事態を受け、域内での国境審査の条件付き復活を容認する方針を固めた。
23~24日の首脳会議で加盟27か国の首脳が合意する見通し。
本紙が入手した首脳会議の議長総括案は、域外との境界を抱える加盟国が国境管理に失敗した場合、「シェンゲン協定」(欧州25か国が参加)に基づいて撤廃されている国境での旅券検査などを「例外的に復活できる」としている。【6月19日 読売】
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