孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ロシア  メドベージェフ大統領、秩序優先の「プーチン型」経済の転換を主張

2011-06-19 19:54:10 | 国際情勢

(こちらは政府公認(多分)のツーショット写真 前回大統領選挙後の08年9月頃のものです。“flickr”より By mima11vladimir http://www.flickr.com/photos/mima_vladimi_dev/2877424690/

ロシア政府はポスター撤去を命じた
ことあるたびに2トップの親密な関係をアピールするような写真を流すロシア。「今回はテニスルックかよ・・・・」と思ったのですが、ちょっと事情が違ったようです。

****ロシア2トップ、テニスルックのポスターが街に出現*****
ロシアの首都モスクワ中心部の数か所にドミトリー・メドベージェフ大統領とウラジーミル・プーチン首相のロシア政界2トップがテニスルックでポーズをとった制作者不明のポスターが出現し、政府は30日、撤去を命じた。

モスクワ中心部にある高級百貨店ツム周辺に出現したポスターには、テニスラケットを握るメドベージェフ氏と、その横で何も持たずシリアスな表情のプーチン氏が、白いテニスウエア姿でダブルスのペアよろしく並んでいる。シャツの胸にはそれぞれMとPのイニシャルが縫い付けられている。(中略)

ロシア政府は30日中にポスターを撤去するようモスクワ市に命じた。ドミトリー・ペスコフ首相報道官はインタファクス通信に「明らかに商業的な」ポスターで「違法行為に近い」と批判した。
ポスターには「Monolog.tv」というウェブサイト名と、制作者のアーティストのメールアドレスも入っていた。AFPが取材したところ、氏名を明らかにすることを拒んだこのアーティストは電子メールで「ストリートアートだ」と答えた。「この国で最も有名な2人を登場させたんだ。しかも、ファッションやショービジネスとはまったく関係のない2人をね。われわれは普段、プーチンとメドベージェフを堅物だと思っている。彼らをトレンドにも敏感で生き生きとしたライフスタイルの、ファッショナブルでリラックスした人物に見せたかったんだ」(後略)【5月31日 AFP】
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肖像権などの問題はともかく、普段から似たようなシーンを公表しているロシア2トップですから、何も撤去させることもないのに・・・とも思ったりもしますが、来年3月の次期大統領選挙が近づいてきたこの時期、何かまずいことがあるのでしょうか?

来年3月 次期大統領選挙
次期大統領選挙にどちらが出るのか・・・という、いささか手垢のついた話題については、両者とも依然として明言を避けています。下記記事も、要は“わからない”ということのようです。

****露大統領 出馬明言避ける****
ロシアのメドベージェフ大統領は18日、国内外の報道陣を集めた初の大型記者会見を開き、来年3月の大統領選に再選出馬するかについて「決定は全ての前提条件が整い、政治的効果があるときになされるべきだ。近く別の形で表明する」と明言を避けた。注目された出馬問題の先送りはプーチン首相(前大統領)が依然「双頭政権」の実権を握っているとの見方を裏付けるもので、プーチン氏の大統領返り咲きを含めて臆測を呼ぶ展開が続きそうだ。

大統領は最重要課題に掲げる経済「近代化」について「プーチン首相が考えているよりも迅速に達成できる」などと両者の相違を指摘。ただ、プーチン首相とは「同志」の関係であり、「重要な問題では大変近い考え方だ」と一部で報じられる“不和”は否定した。

次期大統領選をめぐっては、プーチン氏が与党「統一ロシア」を核とした国民運動体「全露人民戦線」の創設を発表し、権力基盤の強化に動いている。選挙には「双頭」の一方が合意の上で出馬し当選するとの観測が強いものの、会見でメドベージェフ氏は自らが独自の政治勢力を率いる可能性も排除しなかった。【5月19日 産経】
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【「経済への国家関与の時代は去った」】
メドベージェフ大統領は、ロシア政治・経済の現代化を主なテーマとして掲げており、そこに自分の存在意義をアピールしています。ただ、政治面はプーチン首相の構築している枠組みを大きく踏み出すことは困難なようです。経済面では、これまでも構造変化の必要性を訴えています。

****秩序優先の「プーチン型」経済からの転換促す ロ大統領****
ロシアのメドベージェフ大統領は17日、サンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで演説し、「我々は国家資本主義はとらない。経済への国家関与の時代は去った」と述べ、自ら提唱する「現代化」路線の推進を訴えた。ソ連崩壊後の1990年代の経済混乱を安定させ、秩序を優先した「プーチン型」経済の転換を事実上促すものだ。

同大統領は、91年末のソ連崩壊で生まれた新生ロシアを「若い20歳」と表現し、「国家の役割強化で発展する段階があった。90年代のカオスを治めるため、それは一定期間は必須だった」と指摘。00年から2期8年間大統領を務めたプーチン氏(現首相)の経済政策をそう位置づけた。
さらに、「汚職や投資の閉鎖性、国家の過剰な経済関与、中央集権主義は将来への負債だ。これらを解消しなければならない」と述べ、欧米との統一経済空間をつくる必要性を説いた。【6月17日 朝日】
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「我々は国家資本主義はとらない。経済への国家関与の時代は去った」との発言は、従来からの“資源依存からの脱却、イノベーション重視”の主張と基本は同じですが、その表現は、秩序を優先した「プーチン型」経済の否定、やや踏み込んだ“自己主張”ともとれますが・・・どうでしょうか。

世界銀行も、プーチン時代にロシアの国際競争力が低下したことを先日報告しています。

****ロシアの国際競争力、プーチン大統領時代に低下 世銀報告****
世界銀行は8日、ウラジーミル・プーチン現ロシア首相が大統領だった時代を中心とする10年間にロシアの国際競争力は低下し、いまではBRICS諸国の中でも影が薄いとする報告を発表した。
旧ソ連国家保安委員会出身のプーチン氏は2000~2008年にロシア大統領を務め、民営化されていたさまざまな産業の再国営化を進めたが、このプーチン政権下の政策に関する批判は珍しい。 

一方で世銀はプーチン氏の後継者、ドミトリー・メドベージェフ大統領が提唱するイノベーション(技術革新)を刺激しようという政策を支持した。
2012年の次期ロシア大統領選にはプーチン氏、メドベージェフ氏ともに出馬が有力視されている。

世銀の報告書はプーチン大統領時代について、石油とガスを中心とする基本的な品目の輸出への依存が膨らんだと指摘し、その原因の1つとして、国内市場が非競争的で労働生産性も低く、先進国への輸出で有利な品目をほとんど生産しなかったことを挙げている。

■輸出の大半は一次産品と武器
大統領選を視野に有権者との会合を重ねているプーチン氏も6日、若者たちとの会合で「基本的にわが国は、非軍事分野にはほとんど投資してこなかった」と認めた。
世銀では、2000~08年にロシアの輸出の伸びが失われたと指摘した。この時期はプーチン氏の大統領時代と重なり、ロシアと合わせてBRICSと呼ばれるブラジル、インド、中国、さらにこれに最近加えられた南アフリカ共和国が国際舞台で大きく踏み出していた。
 
プーチン氏が大統領1期目を務める以前から、石油と天然ガスがロシアの輸出の半分以上を占めていたことは世銀も承知している。世銀によるとこの割合は最近ではさらに増え、この2品目だけでロシアの輸出の3分の2を占めるに至り、金属や木材といったほかの天然資源も合わせれば約8割に達する。残る2割の大半は武器だという。
「ロシアではサービス輸出が減退している(99年にGDP比11.4%だったが08年は同7.6%)点が、BRICS諸国の中では特殊」だと世銀は指摘している。

報告書は、現在メドベージェフ大統領が進めている「競争とイノベーション」政策を生産性改善と組み合わせれば、長期的な成長につながる可能性があると結論付けている。【6月9日 AFP】
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【「ロシアはエリツィン氏に感謝すべきだ」】
ところで、“90年代のカオス”を主導したとしてロシア国内ではすこぶる評判の悪いエリツィン前大統領について、再評価の兆しもあるとか。
2月に行われたエリツィン像の除幕式には、メドベージェフ大統領が参加したそうです。

****エリツィン氏の“再評価*****
【ソ連崩壊20年 解けない呪縛】第3部 強権への序章(上)
ロシアの初代大統領、故ボリス・エリツィン氏(1931~2007年)が故郷ウラル地方・スベルドロフスク州の「名誉州民」になったのは、没後3年近くもたった昨年1月のことだった。州都エカテリンブルクに白い大理石のエリツィン像(高さ10メートル)が完成したのは、生誕80年にあたった今年2月である。

政権末期の1990年代末には支持率が数%にまで落ち込み、不人気だったエリツィン氏にようやく“再評価”の光が当たり始めたようにも見える。
2月のエリツィン像の除幕式にはメドベージェフ大統領が駆けつけ、「最も困難な時期に国の改革が行われ、今日の前進があることについて、ロシアはエリツィン氏に感謝すべきだ」と述べた。(中略)

・・・・「エリツィン氏のおかげで90年代には中小ビジネスが発展し、言論の自由もあった」。(当時を知るエカテリンブルクの新聞記者)ベリャエフ氏はこう語る一方で、「しかし現在のエリツィン再評価は住民に発したものではない。エリツィン関連の記事に寄せられる反響の9割はエリツィン批判だ」と話す。(中略)
 
◆正当化された強権
国民がエリツィン氏を熱く支持したのはしかし、ここまでだった。
モスクワの独立系世論調査機関、レバダ・センターのドゥビン社会・政治研究部長(64)は「92年にはもうエリツィン人気が下がり始めていた」と話す。
ドゥビン氏は支持率急落の理由として、(1)「ショック療法」と呼ばれた急進的経済改革(2)共産党優位だった議会との不断の対立(3)第1次チェチェン戦争-を挙げる。特に「価格の自由化」と国有企業の「民営化」を柱としたショック療法は、ハイパー・インフレや貧富の格差急拡大を招いて強い反発を買った。

98年の金融危機と自身の健康悪化も重なり、エリツィン大統領は99年末、KGB(ソ連国家保安委員会)出身のプーチン氏(前大統領・現首相)を後継者に指名して退任。プーチン氏は「安定」を望む国民心理を逆手にとって強権統治を推し進め、それが多数派の支持も得ることになる。

◆あくまで政治主導
エリツィン氏は「ロシアを大事にしてくれ」と言い残してクレムリンを去った。
エリツィン政権初期のナンバー2だったブルブリス元国務長官(65)は「大事にすべきロシアについて、プーチン氏の考え方は違った」「出来上がったのはプーチンの個人権力体制であり、プーチンを後継者に指名したことは大きな過ちだった」と話す。

政権が今になってエリツィン氏を“再評価”してみせるのは、90年代と2000年代の「断絶」を糊塗(こと)し、民主化を後退させた自らを正当化する思惑からだろう。ブルブリス氏は、一応の「安定」を得た政権が「停滞」を危惧し始めたことが改革者・エリツィンを見直す背景にあるとみる。
ただ、“再評価”はあくまでも上からの政治主導である。(後略)【6月19日 産経】
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ロシア経済の現代化を掲げるメドベージェフ大統領の立ち位置は、国家統制型のプーチン首相より、急進的経済改革を目論んだエリツィン前大統領に近いようにも見えます。
エリツィン像の除幕式に駆け付けたメドベージェフ大統領の胸中は・・・?
どこまで行っても“?”で終わる話ではありますが。

コメント
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