
(マルコス元大統領の英雄墓地への埋葬に抗議する人々【8月15日 CNN】)
【「マルコスは英雄」か?】
8月15日の終戦の日を迎えると、毎年繰り返されるのが靖国参拝をめぐる騒動。
特に今年は、中国や韓国が「最も右翼的で、軍国主義的傾向のある閣僚」として警戒する稲田朋美防衛相のこともあって、中国は外交ルートを通じて、閣僚の靖国神社への参拝自粛を日本政府に働きかける異例の対応を行ったとか。
そうした世間の注目もあって、稲田防衛相はアフリカのジブチで海賊対処に当たる自衛隊の部隊を視察するため、毎年恒例としてきた終戦の日の靖国神社参拝を今年は見送たようです。
靖国参拝で問題とされるのがいわゆるA級戦犯合祀の問題ですが、個人的にはそれ以前の問題として、靖国が戦前・戦争遂行において果たしてきた役割に関する総括がなされたのか?ということがあるように思っています。
それは単に靖国神社にとどまらず、日本社会全体に言えることで、いわゆる「歴史認識」の問題でもあります。
フィリピンでは、違法薬物犯罪者に対して強硬な取り締まりを公約にして当選したドゥテルテ大統領の就任後の7月1日~8月10日までの期間に、司法手続きを無視して警官が違法薬物容疑者に対して射殺した人数が500人を超えたと言われています。
8月5日ブログ“フィリピン 麻薬犯罪撲滅に「射殺」を奨励するドゥテルテ大統領 「法の支配」無視では中国と同じ”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160805
そのドゥテルテ大統領が、強権支配と汚職から1986年の「ピープルパワー革命」(エドサ政変)で国を追われた故マルコス大統領を国立英雄墓地に埋葬する方針を決めています。
****マルコス元大統領が英雄墓地埋葬へ、抗議デモも フィリピン****
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が故フェルディナンド・マルコス元大統領を国立英雄墓地に埋葬する方針を決めたことに対し、首都マニラ市内の公園で14日、数百人が参加して抗議デモが開かれた。
マルコス元大統領はフィリピンで約20年にわたって独裁政権を築き、戒厳令を敷いて反対派を弾圧した。遺体は現在、出身地である北部イロコスに安置されている。
抗議デモ主催者によると、フィリピン国防軍の規定には、不道徳行為に関与した罪で有罪を言い渡された人物は英雄として埋葬できないという条項があり、マルコス元大統領はこれに当てはまるという。
大雨の中で抗議デモに集まった参加者は、著名活動家や政治家、マルコス政権の下で弾圧された被害者などの演説に耳を傾け、「マルコスは英雄ではない」というスローガンを掲げた。
演説に立った元上院議員のボビー・タナダ氏は、マルコス元大統領を英雄として埋葬する計画について「国家の恥」と切り捨て、元下院議員のウォールデン・ベロ氏は「アル・カポネをアーリントン米国立墓地に葬るようなもの」と形容した。
有力政治家のリサ・ホンティベロス上院議員によれば、ドゥテルテ大統領は一方的に埋葬を強行する構えで、9月18日に埋葬式を予定しているという。
ドゥテルテ大統領は最近、犯罪撲滅の正当性を主張する中で戒厳令に言及。後に冗談だったと釈明したが、大統領にそうした発言は許されないとホンティベロス議員は強調する。
マルコス政権下で政治犯として秘密警察に拷問されたという元女優アイーダ・サントス氏は、ドゥテルテ政権下で行われているとされる司法外殺人を憂慮すると述べ、そうした残忍な犯罪摘発は、マルコス政権当時の暗黒の時代を思い起こさせると指摘した。【8月15日 CNN】
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国を追われたマルコス夫妻でしたが、すでに一族は十二分な復権を果たしています。
先の大統領選挙では、副大統領に立候補した故マルコス元大統領の長男、フェルディナンド・マルコス上院議員は、当選が有力視されていましたが、小差で落選しました。
落選はしたものの、国民のマルコス大統領への怒りは、1986年当時とは比べものにならないほどに薄れていることも感じさせる選挙戦でした。
夫妻の亡命後に宮殿に残された3,000足の靴と6,000着のドレスが世界的に注目されたイメルダ夫人も帰国して今は下院議員、娘は北イロコス州知事です。
14日の抗議デモも、悪天候のせいもあってか“数百人”ということで、社会を動かすようなものにはなっていないようにも見えます。
1986年のマニラ首都圏のエピファニオ・デ・ロス・サントス大通り(エドサ)には100万人の群衆が集まりました。
歴史の風化は早いスピードで進んでいるようにも。
【故マルコス氏とドゥテルテ氏の関係】
ドゥテルテ大統領と故マルコス大統領との繋がりも指摘されています。
****【埋葬】ドゥテルテ大統領の検事時代は マルコスの戒厳令と重なる****
違法薬物犯罪者に対して強硬な取り締まりを公約にし、当選したドゥテルテ大統領だが、就任後の7月1日~8月10日までの期間に、司法手続きを無視して警官が違法薬物容疑者に対して射殺した人数が500人を超えた。
こういった強硬な背景はドゥテルテの検事時代と密接な関係があるのではないかと見られている。ドゥテルテは1972年に司法試験に合格。その後1977年から1986年までダヴァオ市で検事生活を送っている。
1986年のエドサ政変によってダヴァオ市の副市長代理に任命されたのを皮切りにダヴァオ市の最高権力者として君臨し、2016年の大統領選で代理立候補という姑息な手を使って当選した。
ドゥテルテの父親はセブ州中部のダナオ市の市長を務め、1959年~1965年には分割前のダヴァオ州知事を務めている。知事の後、1965年~1968年までマルコス政権の閣僚を一期務めている。
このため、ドゥテルテはマルコス家に対して『恩義』があると発言し、2016年の副大統領選で落選したマルコスの息子に対して、同情を表明している。
エドサ政変時にフィリピンを追われハワイに逃亡したマルコスは、1989年、72歳で当地にて憤死。その後、マルコス一族はなし崩し的に復権を果たし、副大統領選には落選したものの息子は上院議員、娘は北イロコス州知事、マルコスの妻イメルダは下院議員と北イロコスに王国を築いている。
このマルコス一族の悲願が、現在故郷で冷凍保存されているマルコスの遺体の『英雄墓地』【写真】への埋葬で、これに対して、マルコス以降の歴代大統領はマルコス側の画策はあっても認めず、ここに来てドゥテルテは英雄墓地への埋葬を認め、埋葬への動きが活発となっている。
マルコスは1972年~1981年までフィリピン全土に戒厳令を布いて独裁政権を強化したが、その戒厳令時期とドゥテルテの検事時代は重なり、ドゥテルテはマルコス政権の意向に沿って反マルコス派を法律という名で弾圧を加えていたのではないかとの指摘が出ているが、まだ実証的な研究は表に出ていない。
ちなみに、戒厳令時代にマルコスの片腕として警察部門を指揮したのが後の大統領、ラモスであった。
マルコスの英雄墓地埋葬の動きに対して、8月14日、各地で埋葬反対集会が開かれ、マニラではリサール公園、セブでは観光場所と知られるサンペドロ要塞のある独立広場で行われた。
特に戒厳令時代に拘束され拷問などを受けた体験者の舌鋒は鋭く、マルコスの英雄墓地阻止の訴えを次々と行った。
英雄墓地は国に尽くした英雄、とりわけ軍事で栄誉を挙げた故人を埋葬する国立施設で、今年初めにフィリピンを訪れた天皇もこの墓地へ表敬している。
マルコスは対日ゲリラの指導者として戦功があり、それによって勲章を得ているが、ゲリラ時代の戦功は客観的な資料が残っていなくて、マルコスが政界に進出するための捏造とまで言われている。
今回のマルコスの英雄墓地を巡って、いかなる世論であってもドゥテルテは埋葬方針を貫くようだが、検事時代のマルコス協力者としての立場が暴露される恐れも出ている。【8月15日 PHILIPPINES INSIDE NEWS】
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マルコス協力者だったかどうかはわかりませんが、仮にそうだったとしても、今のフィリピンではさほど問題にもならないのでは。
体質的にも、人権などへの関心が低く、力で物事を推し進めていこうとする点で、ドゥテルテ大統領と故マルコス大統領は近いものがあるようにも思えます。
【「適切な時期に中国政府と正式会談したい」】
同様に、「法の支配」を無視し、力で物事を推し進める点でドゥテルテ大統領と近いのが、8月5日ブログでも取り上げた中国。
ドゥテルテ大統領が特使に任命したラモス元大統領が香港を訪れ、中国の外務次官などを歴任した全国人民代表大会外事委員会の傅瑩主任らと非公式に会談、信頼関係の構築が必要だという考えで一致するなど、一定の成果があったことを明らかにしています。
****<中国>フィリピン懐柔工作 南シナ海の現状維持狙う****
南シナ海問題を巡ってフィリピンが申し立てた仲裁裁判の判決が出てから12日で1カ月が過ぎた。
判決は中国の主張を「根拠がない」などと退けたが、中国に受け入れる気配はない。中国側はフィリピンを懐柔して判決の有名無実化を狙う。
一方のフィリピン側も「判決の尊重」を訴えながら中国との対話の道も探る。「判決後」を見据えた駆け引きが本格化し始めた。
12日、中国政府と太いパイプがあるフィリピンのラモス元大統領が香港で記者会見した。ラモス氏は南シナ海問題を巡るフィリピン政府の特使を引き受けており、前日まで香港で中国全国人民代表大会(全人代)外事委員会の傅瑩主任委員らと非公式に会談していた。
会見ではラモス氏が中国側に「適切な時期に中国政府と正式会談したい」と伝えたと表明。ラモス氏は「(具体的時期は)フィリピン大統領が決めることだ」と述べた。
フィリピンのドゥテルテ大統領は、中国との対話姿勢を示して対立を避けつつ、判決をテコに交渉で優位に立ち、一方的な中国の海洋進出に歯止めをかけたい考えだ。
ドゥテルテ氏は7月27日、マニラでのケリー米国務長官との会談で「いかなる協議も判決を前提に行う」と明言。さらに8月11日の岸田文雄外相との会談でも「法の順守」で一致している。
判決は中国にとって大きな打撃だった。しかし、7月下旬にラオスで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会議で、ASEANの分断に成功。ASEAN外相会議の共同声明は判決に言及せず、中国としては一息ついた形となっている。
中国は現在、国際社会の圧力をはねのけて時間稼ぎをしながら、フィリピンと判決を棚上げし、判決の効力を失わせる戦略を描く。ラモス氏の香港訪問は中国にとって前向きな一歩だ。
このまま中国の思惑通りに進むかは不透明だが、中国としては判決を前提とする対話は受け入れがたく、経済支援、海底資源の共同開発をちらつかせて懐柔工作を強めるとみられる。
一方で、中国は判決受け入れを迫る日米にいらだちを募らせている。日本に対しては東シナ海の沖縄県・尖閣諸島周辺海域に中国公船が大量の漁船とともに出現し、ゆさぶりをかけている。
だが、米国には、自国の主張をぶつけながらも緊張緩和のシグナルも送っており、日本と異なる配慮を示す。
米国政府もいたずらに緊張を高めることは望んでおらず、判決後は目立った言動を控えているようだ。8月8日には米太平洋艦隊の軍艦が山東省青島に寄港し、軍レベルでも対話のパイプが機能していることを印象づけた。
南シナ海での軍事拠点化の動きは判決後もとどまる気配がない。米シンクタンクは最近の人工衛星画像から、中国が南沙諸島で軍用機も利用可能な格納庫を建設しているとの分析結果をまとめた。
また、ロイター通信は10日、複数の西側当局者の話として、ベトナムが南沙(英語名スプラトリー)諸島の島に移動式のロケット弾発射台を新たに設置したと伝えた。
ベトナムの新たな動きも表面化し、仲裁裁判の判決が関係国の対立を緩和する役割を果たしていない現実が浮き彫りになった。【8月12日 毎日】
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日本の岸田外務大臣も11日、ドゥテルテ大統領と会談し、南シナ海をめぐる問題で支持する考えを伝えるとともに、沖縄県の尖閣諸島周辺で中国当局の船が領海侵入を繰り返している現状を説明し、日本の立場に理解と協力を求めました。
ただ、どうでしょうか・・・似た者同士の中国とドゥテルテ大統領ですから、早晩話がまとまるのではないでしょうか。