写真はスリランカ東部のBatticaloa(タミル人勢力の強いエリアの都市)の難民避難所と思われます。
“flickr”より (By keithng)
今月初旬、明石康政府代表(スリランカの平和構築および復旧・復興担当)がスリランカに向かいました。
日本政府に“スリランカの平和構築および復旧・復興担当”なんて役職があること、明石氏がそのポストに就いていることは初めて知りました。
スリランカというと仏教遺跡、椰子の木と青い海、赤道直下の島、紅茶の栽培・・・など穏やかなイメージです。
実際、観光的には多くの見所・ポイントがコンパクトな島に収まった素敵な国です。
しかし、この国は激しい民族紛争に苦しむ国でもあります。
人口の74%を占めるシンハラ人(主に仏教)が政治の実権を握っており、これに対し人口の18%を占めるタミル人(南インドにも居住 主にヒンドゥー教)が激しく抵抗しており、多数の犠牲者が今も出続けています。
特に1972年につくられたタミル人組織“タミル・イーラム解放のトラ”(LTTE)は激烈な武装闘争を展開して、今現在も島の北・東部の一部を事実上占拠して政府の権限の及ばない独自の国を形成しています。
この民族紛争の背景・経緯・現状などは、長くなりますし、私には荷が重いので割愛します。
どれだけ“激烈な”闘争かということだけ2,3紹介すると、ここ数年イスラム原理主義の闘争手段として頻繁に自爆テロが行われますが、この自爆テロを実際に戦術として使用したのはLTTEが最初だと言われています。
政権トップの暗殺だけでも次のような事件があります。
1991年 自爆テロにより元インド首相ラジーヴ・ガンディーを暗殺。
(インドはタミル人寄りの立場で軍事介入したが、LTTEはこのインドにも抵抗)
1993年 ラナシングフ・プレマサダ大統領を暗殺。
1999年 コロンボでの集会で爆破、15人が死亡。チャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は失明。
また、捕虜となることを認めず、LTTEメンバーには青酸入りカプセルが渡され、実際に頻繁に使用されるそうです。
「LTTEの兵士は、自分自身の生命も、他人の生命も評価していない」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
更に、世界の人権団体から批判を浴びているのが、タミル人の農村から未成年者を強制的に“徴兵”している“少年兵問題”です。
誘拐・強奪した少年を思想教育し、自爆テロ・青酸自殺をもいとわない兵士に育てるわけです。
私は2回スリランカを観光したことがありますが、1回目は93年で、古都キャンディを訪れていた際にプレマサダ大統領が暗殺される事件があり、外出禁止令が出され一晩ホテルに缶詰めになりました。
2回目は昨年のGWで、2000年から続いていた停戦が崩れ始め、LTTEと政府軍の衝突がニュースで散見されるようになった頃です。帰国後まもなく政府軍による空爆が開始され再び戦闘状態に入っています。
2回の旅行で、シンハラ人のガイド・運転手がタミル人の居住するエリアを車で通り抜けるとき傍目でもわかるぐらい緊張していることが印象的でした。
さて、明石氏のスリランカ訪問に戻ると、この訪問を伝える記事で初めて知ったもうひとつのことがあります。
「日本はスリランカの主要援助国で、同国への全援助金の3分の2を出資している。ただし日本政府はこれまで、スリランカ国内の「暴力の連鎖」を断ち切るため同国に圧力をかけるべきだと訴える国際人権支援団体から求められている、援助と人権および平和の進展との連結については抵抗している。」ということです。
イギリス・ドイツは債務救済措置を凍結したそうですが、これに対し明石氏は「われわれの援助は、戦闘の被害者に対するもの。指導者の行動や方針が原因で他の人々が罰せられるべきではない」と述べているそうです。
正論です。
世論ではありますが、「暴力の連鎖」で犠牲になる“戦闘の被害者”が今現在も増加しつつあることをどのように考えるべきでしょうか。
全援助金の3分の2を出資しているという、他国にない強力な梃子を持っている日本はどのように振舞うべきできしょうか。
これ以上の犠牲者を出さないために、この梃子をうまく使う方策はないものでしょうか。
明石氏が帰国してすでに2週間が経ちます。
スリランカ情勢については何も聞こえてきません。
昨年スリランカを観光した際の旅行記です。
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10065897/
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