孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アフガニスタン、空爆で民間人犠牲者 命の重さ

2007-06-23 10:57:43 | 国際情勢

写真:アフガニスタン 米軍の誤爆により結婚式のパーティ出席者に犠牲者 墓前で悲しむ男性
   “flickr”より(By nataliebehring.com)

アフガニスタンにおいて、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)が22日未明、南部へルマンド州を空爆し、女性と幼児を含む住民25人が死亡したと現地の警察当局が発表しました。
イスラム原理主義勢力タリバンが村の居住区域から行ったISAFの車列への攻撃後、空爆が実施されたとのこと。
警察当局によると、ISAFの空爆で住宅2、3棟が爆破され女性9人と生後6か月から2歳の子ども3人を含む25人が死亡しており、また村のモスクの指導者も犠牲になったそうです。
ISAFは“「少数」の民間人が犠牲になったとの報告については調査中だ”としています。

戦闘のなかにあっては“よくあること”のひとつなのでしょうが、ニューヨーク、ロンドンあるいは東京で幼児を含む25人の死者がでる自爆テロでもあれば“少数の民間人が犠牲”ではすまない事態になります。
生まれた場所で命の重さには深刻な格差があるという現実にやりきれないものを感じます。

しかし、命の重さが軽いアフガニスタンといえども、このようなことが度重なれば人々の心は次第に離れていきます。
ひいては戦闘行動自体の遂行を困難にしていくことも考えられます。
地元の人々の支持を失った戦いに身を置く兵士は「一体この戦いは何のためなのか?」という疑問に悩むことにもなります。

攻撃を受ける側はどうしても住民を盾にとるような作戦になりがちですが、戦闘といえども住民を巻き込んだ“皆殺し”が許されなくなった今日、また、その実態が逐一即座に世界中に報道される今日、このような住民が生活する場における戦闘行為は、非常に難しいものになっているように思われます。


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