孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インド 女性大統領誕生と女性の地位

2007-07-21 13:39:08 | 国際情勢

写真は聖地Vanarasiで沐浴する女性
(“flickr”より By valeriopandolfo)

インドで今月19日に大統領選挙が実施され、与党連合の推すプラティバ・パティル氏(72)がインド史上初の女性大統領に選出されると予想されています。
インド大統領職は、儀礼的な要素が強い職務ですが、それでも大統領は同国軍部最高指令官であり、政治的な危機に陥った際に緊急宣言を発する権限を有しています。

インドには以前女性首相のインデラ・ガンジーがいました。
また、このエリアで見るとこれまで、スリランカのバンダラナイケ大統領、パキスタンのブット首相、更に先日18日に取り上げたバングラデシュのアジ前首相、ハシナ元首相と、他の地域に比べて女性政治家が目立ちます。

ただ、これらは“女性の高い社会的地位の反映”とは言いがたいものがあります。
インデラ・ガンジーはネールの娘、バングラデシュの二人はそれぞれ元大統領の配偶者であったり娘であったりという具合にその家系が重要なケースが多く、更にそのときの政治情勢の結果でもあります。

この地域、インドの女性の地位はむしろ相当に問題があるというのが実情のようです。
“インド”“女性の地位”という二つのキーワードで検索すると、たちどころに2千件を超える情報がヒットし、その最初の2、3件を見ただけでもその現状が推察されます。

インドの貧しい家庭では、女性はその誕生のときから“借金のようなもの”と考えられることが多く、“呪い”というふうにみなす家庭もあるとか。
これは女性が結婚する際に莫大な持参金「ダウリー」が必要とされることによるものです。
両親は女児が生まれたときから、どうやってそのダウリーを工面するかという問題に直面します。
60年代後期にいたるまでは、女児出産時の赤子殺しが一般的で慣習的に行われていたとも言われています。

多少なりと貯蓄できる家庭であれば、将来の娘の結婚のために自分達の生活を犠牲にして貯蓄することになります。
(単に娘の幸せのためというだけでなく、どれだけのダウリーを払えたかが、その実家の世間的評価に直結しているので、自分のプライドのためにという面も強くあるようです。)

娘の父親が花婿候補の家を訪ねると、先ずはその花婿の社会的地位に応じたダウリーの物品リストが渡され、それが払えるか否かから話からスタートするとか。
電化製品、家財道具、あるいは車まで。
大学卒業資格をもつ男性(医学、工学部卒を除く)の初任給が6000円あまりであるインドで、ダウリーは25万円から500万円ないしそれ以上の額にのぼるそうです。
日本の貨幣価値に換算すると、数百万から数千万円、場合によっては億・・・というような額でしょうか。
“結婚は本人同士の愛情が一番重要”という考えが建前にせよ一般的になってきた日本社会から見ると、なんとも即物的な印象です。
ただ、問題はここから先の話です。

「多くの場合、ダウリーの追加要求は結婚後も長い間続く。毎年、6千人から7千人の女性が、要求を満たされなかった夫や義理の両親によって殺されている。多くの被害者は、「台所での事故」として偽装するために火にかけられる。その他は、毒殺されたり、バルコニーから突き落とされたり、走行中の乗り物から押し出されたりなどして殺害されている。」
(「インドの女性とダウリー制」 ICUアジア文化研究所 : カマヤニ・シン 
http://subsite.icu.ac.jp/cgs/article/0408008j.html

その数字の真偽を確認するすべはありませんが、このような現象が社会に蔓延していることは他の多くの方が指摘しているところです。
法律上はダウリー廃止法によって、ダウリーの授受は禁止されています。
しかし、カースト制だって法律上は廃止されている訳で、現実は全く別物のようです。

インドには古くからのヒンドゥーの習慣として“サティー”もあります。
夫が死んだとき、荼毘の火にその妻が身を投じる「寡婦殉死」の風習です。
自爆テロや特攻隊のように、本人が死ぬことに何ら崇高なものを見ているケースもあるでしょうが、伝統社会で陰に陽に周囲から圧力をかけられることも容易に想像できます。
(燃え盛る火に飛び込むのは、自爆テロや特攻攻撃よりも難しそうに私には思えますが・・・)
法的には、すでに1892年の段階でイギリスが禁止していますが、これも現実はなかなかのようです。

なお、いったん男子の母となれば家庭内での女性の地位は一気に上昇するそうです。
特に、インド男性は家庭内で甘やかされたマザコンが多いそうで、母親の力は相当に強いとか。
しかし、強いのは“母”であって“女性”ではありません。
寡婦や子供のいない女性は不吉な存在とみなされたり、また未婚の女性は都会以外では居場所を見出すことすら難しいとも言われます。

今回の女性大統領誕生を伝えるニュースに次のような一文が添えられていました。
「インドの庶民女性は一般に教育がおろそかにされ、病気になっても十分な治療を家族が与えないなどの低い社会的評価を受けていることで国際社会に知られてきた。このような中、今回与党連合が女性大統領候補を選出したことで、インドの国際社会への政治的な進展を示すことにもつながることなどが期待されている。」
本当に“わずかでも”そのような方向に進むとよいのですが。

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ネパール 解任されたクマリ、存続の危機に瀕した王室

2007-07-20 13:27:14 | 国際情勢

(写真は“flickr”より By sujathafan)

ニュースの賞味期限が短い昨今ではいささか旧聞に属することになりますが、今月初旬にネパールのクマリがドキュメンタリー番組のプロモーション活動のため無断でアメリカに渡り、生き神様としての地位を解任されたというニュースが流れました。
写真は、そのクマリのアメリカでの様子です。
随分リッラクスして楽しそうなのが印象的です。

ネパールでは一定の資格(出身カーストや個人的資質など)にかなった初潮前の女児を“クマリ”と称する一種の“生き神様”として敬う風習があります。
特に首都カトマンズのクマリはロイヤルクマリとも呼ばれ、儀式のときは国王すらその前に膝まずく権威があり、家族と離れ、クマリの館と称される建物から儀式のとき以外は一歩も出ることなく生活しています。
当然学校も行けませんので家庭教師がつくようです。
観光客がかなりのお布施を出すと、館の窓からそのご尊顔をチラッと覗かせてくださるそうですが、私はロイヤルクマリには拝顔していません。

クマリはカトマンズだけでなく、他の主な都市にもいて、こちらはローカルクマリと呼ばれています。
ネパールに行ったときに聞いたところでは、ローカルクマリは普段は家族と一緒に生活していて、儀式のときだけクマリとして参加する(全員かどうかはわかりません。)ことが多いそうです。
下の写真はカトマンズ近郊の古都パタンのローカルクマリです。
6年前の旅行中偶然お祭りに出くわし、お会いする機会を得ました。
大人達に囲まれて、ちょっと退屈そうなお顔でした。



最初ニュースを聞いたとき、カトマンズのクマリの館に“幽閉・軟禁”されているロイヤルクマリを先ず想像しましたので、「無断で訪米・・・なんでそんなことができるの?」と思ったのですが、問題が起きたのは同じくカトマンズ郊外のバクタプルのローカルクマリだったようです。
2歳のときから8年間クマリとして生活しているそうです。

多くの方が思うところでしょうが、特にロイヤルクマリのように、幼くして家族と別れ少数のお供の者にかしずかれて、生き神様として外出もせずに館で暮らすことの精神的・身体的影響はいかばかりかと心配します。
“元クマリと結婚すると不幸になる”とも言われているそうで、退役後の彼女等の人生は険しいものがありそうです。
(よその国の伝統・文化について軽々に口を出すな!とのお叱りもありますが)
それを償うためでもないでしょうが、初潮や大量の出血があってクマリを退役した後は、相当(公務員の最低給与の2倍程度)の年金は支払われるそうですが・・・。
今回解任されたクマリにも年金は支払われる方向で検討されているとのことです。

今回のニュース・関連ブログを見ていて一番興味深かったのは、「ネパール最高裁判所はクマリの伝統が子供の人権侵害にならないか、報告書を出すように政府に命じている」ということです。
やはり、現地でも同様の不安を感じる向きも少なくないということでしょうか。

考えてみると、世の中のロイヤルファミリーなどはそのような制約を受けた暮らしをされているところですが、特に日本の皇族の方々は、自分の思い通りの言動が難しい立場にあるという意味ではネパールの生き神様クマリとかなり似たお立場にあるようにも思えます。
クマリは初潮を迎えると退役できますが、皇族は一生です。
なかなか大変なことだと思います。
自分の国の伝統・文化についても軽々に口にできないところがありますので、この件はこれで。

よその国、ネパールに話をもどすと、ネパールの王室は今存続の危機にあるそうです。
今月12日にネパール暫定政府は王室予算をゼロにする旨発表しました。
(企業株式を保有しているので、生活には困らないそうです。)
国民から深く慕われていた前国王が王宮乱射事件で王族10名以上とともに何者かに殺害されたのは2001年6月1日。
(ネパール旅行から帰国した直後で、ニュースに驚いた記憶があります。)

犯人については自殺したとも言われる皇太子の名前も上がりましたが、よくわりません。
国民の間では、後を襲った現国王親子が犯人では・・・との根深い疑念があるとか。
そのくらい不人気な現国王で、直接統治を強行しましたが昨年民主化要求デモに屈して政治的権限を剥奪されていました。
ながく反政府運動を展開して地方をおさえている共産党毛沢東主義派も加わった暫定政府が組織され、今年11月実施予定の制憲会議選挙で、王室・王制の存続が焦点になるそうです。


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治安悪化が続くソマリア 弱肉強食の世界に展望は開けるか?

2007-07-19 14:39:13 | 国際情勢

アメリカ・エチオピアの介入への抗議集会へ銃を持ち参加するソマリア女性
2006.11.28
(“flickr”より By farkassarah)

昨日18日の南日本新聞から。
「治安悪化が続くソマリアから数百キロ離れた対岸イエメンへ船で脱出しようとして死亡する難民が急増している。
今年前半だけで死者367人、行方不明118人。
死亡した難民の多くは50ドル程度を払って密航船に乗った後、業者に海に突き落とされたり殴り殺されたりしたもの。
なお、無事イエメンに到着したのは8600人以上」

ソマリア・・・あまり馴染みがない国です。
東アフリカの“アフリカの角”と呼ばれる地域、西をエチオピア、南をケニアに接する国。
恐らく、映画「ブッラクホーク・ダウン」の舞台となったところと言えば、「ああー、あの滅茶苦茶なところね・・・」と思い出される方もおられるかも。


もともと部族対立、隣国エチオピアとの紛争の絶えない国でしたが、それまで政権をバックアップしてきたアメリカが東西冷戦終結を受けて手を引いたこともあって、91年バーレ政権が崩壊、氏族間の内戦状態に入りました。

このソマリア内戦で30万人が餓死するという惨状に国連がPKO活動で介入、アメリカを中心とする多国籍軍を派遣します。
当時一番勢力の強かった氏族のアイディード将軍は国連に宣戦布告。
92年、アイディード将軍側近を拉致しようという作戦中のアメリカ軍ヘリが撃墜され、その兵士を救援すべく展開されたアイディード将軍派とアメリカの間で行われた市街戦(モガディッシュの戦闘)を映画したのが「ブッラクホーク・ダウン」。
(映画の評価については、“アメリカのプロパガンダ映画ではないか”という批判もあります。確かにプロパガンダと見るかどうかはともかく、ソマリア側からの視点は一切ない映画ではあります。
プロパガンダと言うより、兵士の遺体を回収すべくいかに頑張ったかというエクスキューズ映画とも思えますが。)

市街戦後、アメリカ軍兵士の死骸が市民によって街を引き回されるというショッキングな映像が世界に配信され、アメリカ国民に厭戦気分がひろがりクリントン大統領は結局ソマリアから撤退します。
アメリカを欠いては国連活動ができないのが現状で、国連活動も撤収するところとなりました。

その後は文字どおりの“無政府状態”が続いていましたが、近年イスラム原理主義勢力「イスラム法廷会議」が、治安の悪化した市街地などでイスラム法にのっとった自警団的な役割を果たす集団として国民の支持を拡大、人気と武力を持ってソマリア南部を制圧。
06年6月には首都モガディシュを占拠しました。

ソマリア国境で民族紛争を抱えるキリスト教国エチオピアは、自国内部族がイスラム急進派によって刺激されるのをきらい、「イスラム法廷会議」に対し「暫定政府」を支援するかたちで軍事介入します。
「イスラム法廷会議」はアルカイダとも関係があると見られているため、エチオピアの介入をアメリカも支持。

昨年末には「暫定政府」・エチオピア軍は首都を奪還し、その後も「イスラム法廷会議」勢力を国外へ追い出しますが、国内に反政府勢力が残存し、治安は回復していません。
アフリカ連合(AU)の平和維持軍は結成さましたが、各国財政難のため、事実上はあまり機能していません。
以前から対立するエチオピアに対するソマリアの国民感情は悪く、エチオピアとしても泥沼化する介入・増大する犠牲者に困惑しているとも伝えられています。

簡単に経緯・状況をみると以上のようなところですが、こうした混乱状態のなかで冒頭ニュースのような悲劇が起きています。
“密航船に乗った後、業者に海に突き落とされたり殴り殺されたり・・・”
もはや言葉を失います。
人権とか民主主義とか、そんな言葉とは全く無縁の世界、弱肉強食の世界、ジャングルの掟が支配する世界です。

映画「ブッラクホーク・ダウン」で、群がる住民に乱射して国際支援物資を強奪する武装勢力のシーンが思い出されます。
実際、国際支援物資の相当部分が強奪されたようです。

以下は、現地で(ソマリアは治安が悪すぎるので、ケニア領内の難民キャンプで)難民の支援活動をされている佐野治助教授のページからのソマリア国内の様子に関する抜粋です。
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001994/0/kouza/section3.html

「当時の新聞の報道でいうと、70%の援助物資が強奪されたということです。その強奪された援助物資はどうなるかというと、武器を買う資金にするわけですね。だから、援助すればするほど武器が出回るという悪循環が起こっていました。援助物資を輸送する車は、絶対に途中で止まらないのです。僕が見ていたときも、二人くらい轢かれているのですが、絶対に止まらない。止まると全部強奪されてしまうからです。何百万人と飢餓状態にありましたから、それをまず助けるため、その援助物資がしっかり送られるための平和維持活動なのです。」

どのように対応すればいいのか立ち尽くすような状況ですが、ソマリア国内では治安回復・和平への取組みも行われています。
ソマリア暫定政府のユスフ大統領のもとで、これまで数回延期されてきたソマリアの国民和解会議が各部族代表者を集めて今月15日首都モガディシオで開幕しましたが、会場付近に迫撃砲7発が着弾したため再度今日19日に延期されました。

迫撃砲は大統領が開会の演説をしている最中に会場から500メートルの地点に着弾しましたが、大統領は演説を続行し、「武装勢力がたとえ原子爆弾を落としてもわれわれは動じない。武力による支配はもう通用しない」と述べたそうです。

会議の延期は、海外からの関係者を乗せて到着する飛行機の安全がはかれないから・・・ということもあると聞きます。
「ソマリアでそんなこと言ったら永久に会議は開けないよ・・・」との声も。
今日の国民和解会議がなんらかの実りある結果に結びつくといいのですが。

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バングラデシュ 選挙によらない内閣によって進む政治改革

2007-07-18 13:36:44 | 国際情勢

(写真はバングラデシュの首都ダッカ、港も近いオールドダッカの歩道橋から眺めた街の喧騒。2006年9月撮影。フェリーのストライキ期間のため、これでも普段より格段にリキシャの数は少ないそうです。)

バングラデシュの総選挙は、与党政権がいったん退陣して選挙管理内閣としての暫定政府のもとで行われます。
選挙での与党の不正、介入を防ぐのがその目的です。
逆に言えば、過去それだけいろいろな問題があったということでしょう。

今年1月に行われる予定だった総選挙については、この選挙管理内閣の組閣が難航しました。
憲法では最高裁長官が首相になることになっていますが、最高裁長官のハサン氏が与党寄りの人物であるということで野党が拒否して混乱、結局軍の圧力があったようで昨年10月にようやくアーメド氏を首班とする選挙管理内閣が成立しました。

混乱する政党対立の状況で総選挙は今年に延期されたのですが、まだ実施されておらず、「来年後半実施の見通し」とも伝えられています。
現在、この軍の支持を受けた“選挙管理内閣”のもとで、与野党それぞれの党首が逮捕されるという劇的な政治改革が進んでいます。

バングラデシュの二大政党は与党のバングラデシュ民族主義党(BNP)と野党のアワミ連盟(AL)。
印象的なのは、この二大政党の党首がいずれも女性で、似たような経歴で、かつ非常に仲が悪いということです。
与党BNP党首は前首相のカレダ・ジア。
彼女はジアウル・ラーマン元大統領(軍部出身で、軍政から民政に移行させた。)の未亡人で、夫ジウル・ラーマン元大統領は軍部のクーデターで暗殺されました。
野党AL党首は元首相のハシナ・ワゼド。
彼女はバングラデシュ独立時の初代大統領ムジブル・ラーマンの長女で、父ムジブル・ラーマン元大統領も軍部クーデターで殺害されています。

民政移管後はBLPとALが交互に政権を担うかたちで、ジア前首相とハシナ元首相を軸にまわってきました。
女性の権利保護に問題があると指摘されるイスラム教国家(バングラデシュはもともとパキスタンと同一国を形成していたようにイスラム国家です。)にあって与野党とも女性党首というのは奇異な感じがしますが、日本でも権力者がなくなった場合、未亡人とか娘が急遽身代わりに選挙に出てくるのはときどき目にすることです。
身内の誰かを立てないと陣営がまとまらない、自分たちの既得権益が守れないということでしょう。
こういう現象が政治のトップで見られるあたりが、バングラデシュの民主主義の現状を反映していると想像できます。

バングラデシュに限った話ではないでしょうが、政権=利権であり、汚職と腐敗が蔓延しているとも言われます。
与党が独占するこの甘い汁を求めて、野党はハルタル(ホッタール)と呼ばれる一種のゼネストを仕掛けて政権を揺さぶります。
ハルタルには一部野党熱烈支持者のほか、日雇いで動員された群集、特に日頃の鬱憤を晴らそうと暴れる若者が参加し、人々はシャッターを閉めて家で息をひそめます。
このハルタル、元来はインド独立の指導者ガンジーの提唱した非暴力抵抗運動だったようですが、バングラデシュでは政争の具となっているようです。
昨年9月にバングラデシュを旅行しましたが、ハルタルではありませんが、ダッカ市内で大規模な政治集会があるとかで市内に入るのは危ないと、急遽旅行のスケジュールを変更しました。
TVでは群集と警察の衝突の様子などが流れていました。
(当時は事情が飲み込めず、「何で集会があるぐらいで市内にはいれないんだよ・・・」と思っていましたが。)

こうした政治の腐敗、政治運動の混乱に対し、今回の選挙管理内閣は「汚職に関わった政治家は立候補させない」という厳しい態度で臨んでいるようです。
もちろん、単なる選挙管理内閣にそんな荒療治はできませんので、推測ですが、選挙管理内閣とは言っても恐らく軍部の傀儡政権ではないでしょうか。

当初はこれまでのバングラデシュ政治の中心にいたジア前首相、ハシナ元首相を国外追放にするつもりだったようですが、それはできず逮捕・拘束に切り替えたとのことです。
今月15日、汚職と殺人の罪でハシナ元首相を逮捕、16日には自宅軟禁下にあったジア前首相に出頭を命じたそうです。
また、ジア前首相の後継者であった長男も恐喝罪で起訴されているとか。

随分劇的な処置ですが、政党側も「現党首抜き」を想定した党改革の動きがすでに出ているそうで、女性党首同士の争いを軸に展開してきたバングラデシュ政界は今後、変化が加速するとみられています。
一時ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行運動の創始者ユヌス氏が総選挙に打って出るという話がありましたが、その後断念。この話はもう復活はないのでしょうか。
いずれにしても、選挙管理内閣(暫定政府)の背後にいる軍部の意向次第というところでしょうか。

この軍の影響下の選挙管理内閣が1月にスタートしてから開発援助プログラムが順調に進みはじめたとの国際協力関係機関の日本人の話もあります。
民主的な選挙では選ばれていない政権(恐らく軍が背後に控える政権)で政治改革が進み、行政もスムーズに機能するという現状は、民主主義・民主化を重視する立場からは“なんとも言い難い”奇妙な感じを受けます。
民主主義の基盤が十分でないところでの形だけの民主化が、混乱と腐敗を生むというこのような現実は、おそらくバングラデシュだけでなく多くの途上国でも見られることかと思います。

軍事政権・強権政治を良しとするわけでもありませんが、また、その“効率のよさ”を過信してもいけませんが、将来的な民主化に向かう方向に沿っているか否かの視点で、現実に即した対応が必要とされるケースもあるのではと感じます。

オールドダッカの雰囲気はこちらの旅行記で
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10095086/
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イラン ガソリン輸入と石打刑

2007-07-17 16:48:32 | 国際情勢

写真はイランでガソリン値上げが発表された夜(6月26日)の殺気立つガソリンスタンド。
(“flickr”より By DD/MM/YYYY)

「イラン政府は6月、ガソリン配給制度を導入した。導入された制度により私有の普通自動車で1か月に100リットル、1日に3リットルのガソリン購入が上限となった。
アフマディネジャド大統領の狙いは、ガソリン輸入量を削減することだ。産油国イランはガソリンの国内需要の40%を輸入に依存している。
これに対して一般市民の間では怒りの声が上がっており、一部では暴動も起きている。」【7月16日 AFP】
(余計なことですが、1日3ℓなのに何故1ヶ月が100ℓ?)

「イラン政府は先月5月にガソリン店頭価格を1リットル当たり800リアルから1000リアル(約13円)へと25%値上げした。6月26日夜には国営テレビを通じ、翌27日午前0時から割当制を導入すると発表した。自家用車は1カ月100リットル、タクシーは800リットルが上限で、これを超えると数倍の料金を払う「二重価格」となる。」(毎日新聞 2007年6月27日)

イランは世界4位とも言われる有数の産油国です。
そのイランがガソリンの40%を輸入?
私は知りませんでしたが、世間では結構知られたことみたいです。

基本的には製油所不足だそうですが、では何故製油所を増設しないのか?
国民サービスにお金が必要で、製油所建設の資金がないとか。

もうひとつの原因は、価格が安すぎること。
上記記事にもあるように、25%上がってなお13円!
ミネラルウォーターの3分の1の値段とか。
これでは無駄遣いが止まりません。
ガソリン・スタンドで垂れ流しになり失われるガソリンの合計量は、1日に25万リットルにも及んでいると言われています。
燃費向上のインセティブがないので、イラン国内で使用されている車の燃費は非常に悪く、ニュースに登場したイラン人経済学者は「英仏製に比べイラン車は8倍の高燃費」と言っていました。
(“8倍”というのはどうでしょうか・・・)
「生活物資」であるガソリンを低価格で流通させるために政府は膨大な補助金を投じているため、これが国家財政を圧迫しているそうです。
このためガソリン消費抑制策の導入はハタミ前大統領時代からの懸案だったようです。
しかし、ガソリン価格引き上げは国民の反発を買うことと(確かに写真でも、みんな殺気だっています。)、インフレを加速させる危険があるため、なかなか是正ができないとか。

不自然な低価格維持は財政負担増加、資源の無駄遣いだけでなく、経済をゆがめて闇市場を発達させます。
一日当たり約1000万リッターが小型船舶や駱駝によってイラク、パキスタン、UAEなどの国へ密輸されていると言われています。
(“ラクダ”で密輸というのが、イランっぽくて楽しいですね。)
今回の措置でも天然ガスを併用するタクシーは走行には天然ガスだけ使い、ガソリンは闇市場へ転売する者が多いとか。
闇市場の発達は、特定のコネや権益を持つ者だけに大きな不当利益を発生させ、格差を拡大します。

そして、このガソリンを輸入に依存していることで、将来経済制裁を課せられたときイランの大きな弱点になるであろうということも多くの方指摘しているところです。

このニュースで私が一番「ヘー・・・そうなんだ・・・」と感じたのは全く別のことです。
価格是正・消費抑制をしたくても国民の反発を懸念してままならないイラン政府の姿は、有権者の支持率低下に悩む安倍総理やブッシュ大統領と基本的に同じです。
イラン政府というとイスラム原理主義に基づく強権的なイメージがありますが、必ずしもそうとも限らないのかも・・・と感じた次第です。
以前、イラン古式体操“ズールハーネ”の話題についても同様の感じがあって、そのことを7月4日のこのブログにも書きました。

しかし、イラン社会が日本や西欧とやっぱり相当に異なる社会であることを伝えるニュースもあります。
今月11日のニュースで「イラン司法当局は10日、不倫行為で有罪判決を受けた男性の石打刑が執行されたと発表した。この男性は11年前、婚姻関係にありながら別の女性と同居していて逮捕された。相手の女性も別の婚姻関係にあったため同時に逮捕され、やはり石打刑の判決を受けている。現在2人の子どもと刑務所に収容されているが、刑は執行されていないと報道官は表明した。」というもの。
ちなみに“石打刑では男性の場合は腰まで、女性の場合は首まで被告の体を地中に埋め、石を投げつける”のだそうです。

こういう話を聞くと「やっぱりイランという国は・・・」と思ってしまいます。
まとめると、“悪の帝国”と言われるほど社会すべてでオドロオドロしい訳でもないけど、かなり異質な面もない訳でもない・・・ということですかね。
受け取る方が、どこに重点を置くかで印象も変わるかと思います。

“石打刑の執行で住民がこれを拒否し、仕方なく裁判官と警官で執行した”とも伝えれています。
住民が拒否したということで、少しホッとするものがありました。
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イスラム原理主義に揺れるパキスタン

2007-07-16 13:50:01 | 国際情勢

写真は「赤いモスク」事件で投降する女子学生 2007.7.4
(“flivkr”より By BHowdy)

私が住む奄美では台風4号通過のため本土との輸送が止まり、新聞も配達されていませんでした。
台風も去って、昨夜3日分の新聞に目をとおして、パキスタンの「赤いモスク」強行突入事件のその後が相当に大きく取り上げられているのに少々驚きました。

なるべく犠牲者の数を少なく見せたい、残っていた女子学生は強制的に「人間の盾」にされてたと主張する政府側に対し、かなりの数の犠牲者が出ているのではないかという観測がでてきたり、自分の意思で残っていたと述べる女子学生があらわれるなど、思惑とは違う様相も。

一方、先週末だけで3件の警察等にたいする自爆テロが発生して数十名の死者を出しており、強行突入に対する報復が激化しているようです。

また、ろう城していたガジ師との交渉にあたっていた宗教関係者からは「ガジ師は条件付きの投降を認めたが、政府側がこれを完全拒否し、突入はその直後に行われた。」というニュースも昨日伝わってきました。

パキスタンでは、ムシャラフ大統領が陸軍参謀長を兼務することを違法とするチョードリー最高裁長官の職務が差し止められたことを契機に、5月大規模な反政府デモが行われ、最大の都市カラチでは少なくとも33名が死亡したと言われています。
この抗議行動は司法関係者などインテリ層が主導し、その背景には民主化がなかなか進まない現状への不満があるそうです。
ムシャラフ政権は“今回の赤いモスク事件を少ない犠牲でうまく処理(過激派の掃討)することで、政権への求心力を高めようと画策した”とも伝えられます。
そうであれば、かなり危険な賭けに出たということで、事態は期待したようには進んでいないのではないかと思われます。
イスラム原理主義活動が更に高揚する危険も出てきたように危惧されます。

パキスタンとイスラムとの関係は他の国とは異なる面があります。
それは、単にムスリムが多く居住しているというのではなく、この国がまさにムスリムのために作られた国であるということです。
イギリスからの独立の際に、指導者ジンナーが主張する「少数派のムスリムはヒンドゥーのもとでは幸福にはなれない」とする「二民族論」こそが“ムスリムの国”パキスタン成立の基盤であり、その建国の混乱のなかで、パキスタンに向かうムスリムとインドへ出て行くヒンドゥー教徒の間で血で血を洗う惨状が起こり、100万人(!)近い犠牲者が出たとも言われています。

そのようにイスラムを存立の絶対的基盤としながらも、これまで原理主義的な宗教国家にはならない道を目指してきました。
政治と宗教の関係には微妙な難しいものがあります。
ただ、これまで政治の側がその時々の事情で宗教を利用してきたこと、また国際情勢に強く影響されてきたこともうかがわれます。

パキスタンでイスラム色を強めたのは77年の軍事クーデターで実権を握ったアジ・ウル・ハクであったと言われています。
自らの政権の正当性を主張するためイスラム重視を打ち出し、学校でのイスラム学義務化、イスラム教冒涜法の制定など多くのイスラム色の強い法律・制度をつくりました。
今回事件の舞台となったイスラム神学校マドラサも急増したようです。
「貧困がマドラサを養っている」とも言われるそうですが、無料の寄宿舎を提供するマドラサは貧困層にとって唯一の教育手段でした。
しかし、幼くして親元を離れて集団生活のなかで受けるイスラム偏重の教育は、西欧的価値観の否定、女性に対する偏見を増長させ、軍事訓練が行われる学校もありました。
79年のソ連のアフガン侵攻でパキスタンにおしよせた300万人のアフガニスタン難民およびその子弟はこの神学校マドラサで学び、ソ連と戦うアフガンゲリラに、そして後のタリバンとなりました。

イスラム色の強いアジ軍事政権にアメリカは支援を拒否していましたが、ソ連のアフガン侵攻で事態は一変しました。
東西冷戦の最前線となったパキスタンはアメリカの強いバックアップのもとでアフガニスタン難民をムジャヘディンとも呼ばれるゲリラ戦士に訓練し、大量の武器を供給しました。

しかし、ソ連がアフガニスタンから撤退する事態となると、また情勢は一変します。
もはやアメリカにとってパキスタンの利用価値はなくなりました。
イラン同様、イスラムに偏重した危険な国です。
アメリカはパキスタンから手をひき、開放政策を進める宿敵インドへ接近します。
88年アジ大統領は原因不明の飛行機事故で死亡します。
この事件について、用済みとなったアジ大統領をアメリカが“始末”したと言う説もあります。

孤立するパキスタンはその後も訓練したタリバンをアフガニスタンに送り込み、アスガニスタンを実効支配するタリバン政権を支えました。(陸軍参謀長が実質的トップである三軍統合情報部ISIが中心になっていたと言われています。)
パキスタンにとってタリバンは、国家最大の懸案事項であるインドとのカシミール問題に利用価値があったようです。

インド国境のカシミールはムスリムが多い土地ですので“ムスリムの国”パキスタンにとってその併合は国の存立に関わる問題です。
一方、インドにすれば「ムスリムが多いからパキスタンへ」というのであれば“多宗教国家”としてのインドの存在を否定することにもなり譲れないところです。

テロへの国際的風当たりが強まるなかで、パキスタンとしても公然とインド支配のカシミールへゲリラを送りこむことはできません。
しかし、すでに国際的に完全に孤立していたアフガニスタンがやるのであれば、パキスタンとしては批判をかわせます。
パキスタン内にある政府軍の軍事基地やアルカイダのキャンプで訓練されたゲリラが、アフガニスタンを経由してカシミールで戦うという図式があったようです。

政治的にはアジ大統領の死後、民政に移管したパキスタンですが、政治の腐敗・汚職がひどく、政府と軍の対立で、民族運動・反政府運動による治安の混乱に有効に対処できませんでした。
また、アフガニスタンの原理主義勢力タリバンやアルカイダとの関係は、一方でパキスタン国内のイスラム原理主義の拡大をうながし、また、大量の銃や麻薬がアフガニスタンから流入して更に治安は悪化したようです。

このような状況で、汚職追放や治安維持を掲げた99年のムシャラフのクーデターは、国民の間では強い抵抗はなかったそうです。
そして01年の9.11事件で再び国際環境が変わります。
テロとの戦いを掲げるアメリカはパキスタンに強く協力を要請します。
パキスタンにとってこれを拒否することは“テロ支援国家”の烙印をおされることですから、選択肢はひとつです。

ムシャラフ大統領はアメリカに全面協力して、アフガニスタン攻撃への軍事援助、イスラム原理主義勢力一掃に乗り出します。
イスラム組織指導者を軟禁したり、イスラム勢力と関係の強い軍の指導者を排除したり、更に原理主義組織の非合法化、神学校マドラサの登録制などを断行します。
今回の「赤いモスク」事件でガジ師は「我々は変わっていない。変わったのは政府の側だ。」と言ったそうですが、このような背景があるようです。
しかし、タリバン・イスラム原理主義勢力と軍・ISIとのつながりは強固で、どこまでムシャラフがこの関係を絶てるのか、絶つつもりがあるのか疑問視するむきもありました。

今回の事件を受けて、イスラム原理主義勢力の反政府活動が激化することが予想されます。
そのような活動は国民の多くを占める貧困層の政治・社会への不満と容易に結合するでしょう。
“ムスリムの国”にあって、イスラムを前面に押し出す活動に抗することは難しいことも想像されます。(この批判を許さない雰囲気が宗教原理主義の一番の問題です。)

今後のムシャラフ大統領の舵取りは厳しいものがありそうです。
たしかに、ムシャラフ政権は軍事政権であり、民主化も不十分ですが、民主化を掲げる政府批判勢力による民政で、今後のイスラム原理主義運動の高まりを乗り切れるのかには不安があります。

ガジ師は「悪い者も正直者も平等に投票できる『民主主義』を受け入れられないだけだ。近年の経済成長で恩恵を受けたのは特権階級のみ。アフガニスタン国境付近では(対テロ戦争で)多くの民間人が死傷している。国のシステムが間違っている」と語ったそうです。
問題は、誰が“悪いもの”と“正直者”を区別するのか?どんな基準で?というところです。
イスラムの信仰自体は何ら問題ありませんが、その価値観で社会の全てを律し、他の宗教・価値観を認めず、宗教警察的な取り締まりで国民の生活を監視・強制する原理主義的な国家にはどうしても馴染めません。

もし、パキスタンがイスラム原理主義勢力の支配下になれば、おそらく前後してアフガニスタンでもタリバン政権が復活するでしょう。
イラン・アフガニスタン・パキスタンという原理主義国家が連なる事態も想定されます。
宗教勢力が拡大しているトルコにも影響するでしょう。
各地のイスラム反政府勢力も更に過激化するでしょう。
ドミノ倒しのような事態さえ危惧されます。

そのような事態を防ぐためにも、民主化の推進で民心を把握し、公教育の充実によってマドラサに委ねていた貧困層の教育を政府の手で行うように変革していく今後の努力、国際協力が望まれます。

(今回、広瀬崇子氏の「パキスタンの現状と展望」を参考にさせていただきました。文責はazianokazeにあります。
http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou030f.pdf )

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レバノン各派、パリで協議

2007-07-15 17:27:14 | 国際情勢


レバノン北部のパレスチナ難民キャンプに立てこもるイスラム原理主義のスンニ派武装勢力「ファタハ・イスラム」(パレスチナ人はあまり多くないとも言われます。)とレバノン政府軍の戦闘は5月20日に開始、7月12日からは政府軍の総攻撃が始まり、戦いは最終段階にきているようです。
そんななか、レバノンの各派の代表14人がパリで、今日15日から2日間の協議を開始したそうです。
親シリア派のイスラム教シーア派武装組織「ヒズボラ」の代表も参加しているそうです。

ほぼ制圧されそうな「ファタハ・イスラム」は参加していないのでしょう。多分。
アルカイダの思想に共鳴していると言われるスンニ派「ファタハ・イスラム」のレバノン政府軍の制圧に関しては、珍しくヒズボラを含め各派がみな同意しているそうです。
レバノン政府代表は入っているのでしょうか?
レバノンの実情・経緯からすると入っていないのかも。

中東問題というと、民族・宗教・更に宗派が入り乱れ、それを各国がそれぞれの思惑で支援し・・・と非常に分かりづらい面があります。
そこでレバノンについて情報を検索・整理してみました。

イスラエルの北に隣接し、シリアに囲まれる形のこの国は歴史的にはオスマン帝国に支配下にありましたが、第一次大戦以後フランスの委任統治に入ります。
(このため、いまでもフランスの影響が強く、フランス語もかなり通用するそうです。今回フランスが会議を主導するのもそういう経緯です。)
当時、フランスは統治しやすいキリスト教徒を多数ふくむような形でシリアとの国境線を引きました。
このことで、この地域の民族宗派は非常に複雑な様相を呈し、その後の対立・紛争につながっていきます。

キリスト教徒は現在30%程度、残り70%がイスラム教徒とみられています。
「キリスト教」系はマロン派が多数派ですが、東方正教会、プロテスタント、東方典礼のカトリック、ローマンカトリックなどもあり、更にアルメニア人もいて独自の宗教を擁しています。
「イスラム教」系にはスンニ派、シーア派、アラウィー派、ドルーズ教などがあるそうです。

これら宗派が“住み分ける”かたちでそれぞれのコミュニティーを形成して、独自の民兵組織を持ってモザイク状に対立、レバノンの国家としての一体性が十分に形成されていないのが実情のようです。

この宗派バランスの上に立って第二次大戦後独立しますが、政治的実権を握るマロン派に対する増加するイスラム教徒・パレスチナ難民の不満がつのり、75年には内戦が勃発。
以後、シリア軍の侵攻、イスラエル軍の侵攻、多国籍軍の介入等々、国内の戦闘状況は泥沼化し国土は荒廃。
このあたりの詳細は割愛して先を急ぐと、90年アメリカの後ろ盾を得た(!)シリアが介入して内戦を終結させ、15年間ほどは落ち着きをとりもどしました。
05年の元首相暗殺爆破テロ以降シリアは国際社会から非難を浴び、9.11以降反テロの姿勢を強めるアメリカの支持も失い撤退します。

もともと「内憂対策はレバノン政府軍、外患(イスラエル)対策はヒズボラが行なう」といわれるぐらい政府軍の影は薄く、対イスラエル問題ではシーア派武装組織「ヒズボラ」が全面に出ていましたが、06年のヒズボラによるイスラエル兵拉致事件でイスラエル軍が再度侵攻。
これにヒズボラは徹底抗戦。

従来イスラエルとイスラム勢力の戦争・紛争では、イスラエルが圧倒的な軍事力の差を見せるのが常でしたが、ヒズボラは“そこそこ”の戦いを行い停戦。
ヒズボラは停戦成立後、勝利宣言を行い、直ちにイスラエルの空爆によって家を失ったレバノン国民に対し1人あたり1万ドルという大金を支援したそうです。
こういう資金がどこから流入するのでしょうか。イランでしょうか?シリアでしょうか?

パレスチナ難民ミャンプに入り込んだ「ファタハ・イスラム」に対するレバノン政府軍の攻撃はアメリカの支援も受けていると言われ、普段影の薄い政府軍の存在を示す機会とも考えられているようです。
戦闘が始まってから難民キャンプのパレスチナ人の多くは避難したようですが、難民キャンプに砲弾を撃ち込めたのは当地でパレスチナ人の権利・地位がないがしろにされていることの現われであるという意見もあるようです。
シリア支配時代もヒズボラなどの勢力は温存されるなか、パレスチナ人の武装勢力は武装解除され、パレスチナ人は無権利状態においやられたとの意見も。

“アラブの大義”などと言いつつも、現実にはまたいろんな事情があるようです。

写真は昨年12月、首都ベイルートで行われたヒズボラの示威行動に参加した女性
(“flickr”より By dxspace)

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奔放な仏ファーストレディ、リビアに乗り込む

2007-07-14 11:59:52 | 世相

写真は大統領就任式でサルコジ氏と抱擁するセシリア夫人
(“flickr”より By aeu1961)

一昨日12日に取り上げたリビア児童集団HIV感染事件(リビアの病院において医療スタッフが行った輸血でリビア人児童426人がエイズに感染、52人が死亡したとされる事件。リビア最高裁判所は今月11日、被告のパレスチナ人医師1人とブルガリア人看護師5人に対し求刑通り死刑判決を宣告)(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070712)の関連ニュース。

フランスのサルコジ新大統領夫人セシリアさんがリビアを訪問、8年にわたり拘束されている被告等と面会、感染児童の家族も訪問し、リビアの実質的指導者カダフィとも会談する予定とか。

このセシリアさん、型破りな“奔放さ”がとても面白い人です。
市長としてセシリアさんの結婚式に立ち会ったサルコジ氏は、花嫁の彼女に一目ぼれ。
「おれのものにする」と固く誓ったサルコジ氏は積極的にセシリアさんにアプローチ。(サルコジ氏も相当に“奔放”です。いかにも“フランス的”なイメージですね。)
お互い配偶者のある不倫愛。
サルコジ氏の努力が実り、二人とも離婚し晴れて96年結婚。

その後「おしどり夫婦」をメディアでアピールし、02年にサルコジ氏が内務大臣に就くと、内務省にセシリアさんのための仕事場も設けられたとか。
サルコジ氏が人気政治家に上り詰めた一因として、セシリアさんとの睦まじい仲が国民から好感を得たことにあるそうです。

しかし、05年セシリアさんは政治活動で家を空けていた夫の留守中に、荷物をまとめて他の男性のもとに駆け落ち。
結局、サルコジ氏の懇願でセシリアさんはサルコジ氏のもとへもどりましたが、大統領選挙中も選挙協力せず、その単独行動がしばしば話題になりました。
大統領選挙第一回投票には夫婦そろって仲良く投票したものの、その後はまた雲隠れ。
かん口令がしかれたフランスメディアは取り上げませんでしたが、外国紙では“再び破局か?”との報道も。
決選投票でもセシリアさんは行方不明で、投票を棄権した模様。
「ファーストレディにはなりたくない。」ともらしているとも伝えられていましたが、大統領就任式には一転、子供達を伴ってにこやかに登場。
その装いはおしゃれや美に対してうるさい巷のフランス国民の間でも好評で、フランス版ジャッキー・ケネディーとも言われているそうです。(ジャッキー・ケネディーって言っても若い人にはわかりませんね。かつてのアメリカ大統領ケネディーの夫人です。)

スペイン系ユダヤ人の祖先を持つセシリアさん、「自分にはフランスの血が一滴も流れていない」と公言していますが、彼女の言動は奔放というかなかなかにユニーク。
選挙運動中「自分のことを“妻”と言うと反感を買うので“家内”と言うように」なんて言われて頭を下げまくる日本の政治家の奥さんとはもちろん違いますし、上昇志向が強く馬鹿亭主の浮気も一応表向き我慢するヒラリーなどとも異なります。

ゴシップネタが長くなりましたが、そんなセシリアさんが単身リビアに乗り込み、カダフィとも会談するということで、何か出てくるのではとちょっぴり期待したものですから。
案外かつての風雲児カダフィと馬が合ったりして。

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温暖化でロンドンが近くなる? 北極海のヒートアップ

2007-07-13 11:39:39 | 国際情勢

(写真は“舗装の佐藤渡辺”ホームページより)

私が住んでいる奄美に風速50mの台風4号が接近しつつあります。
すでに外は暴風雨状態。今晩がピークでしょうか。

今日は自然に関係した話題。
カナダのハーパー首相は今月9日、カナダが領有権を主張する北極海の侵犯防止のために、砕氷巡視船を6-8隻建造する計画であることを発表しました。

このニュースの背景には石油・天然ガス等の資源問題だけでなく、地球温暖化問題もあるようです。 
北極海の平均気温はすでに2度も上がっており、2100年までの間に、6~8度も上昇する可能性もあるそうです。
大西洋から北極海沿いのカナダ群島地帯を抜け太平洋に至る「北西航路」は、この地球温暖化による海水温度の上昇で、現在でも夏場には氷が解けるようになっており、2050年までには1年を通して貨物輸送が可能になると見られているそうです。
東京-ロンドン間は、パナマ運河経由で2万3000キロ、スエズ運河経由で2万1000キロですが、北西航路を使うと1万6000キロに短縮されるとのこと。
なお、北西航路については、カナダ沿岸の国内航路を主張するカナダと、国際航路であると主張するアメリカが対立しているそうです。

確かに普段見ているメルカトル図法の地図では気づきませんが、北極海を中心にした地図で眺めると、北欧などとの距離感が今までとは全く異なります。
日本人の世界観は恐らく“日本を中心にした世界地図”に相当に影響されていると想像されます。
普段見ている地図を上下逆さまにして大陸を中心にして眺めると、大陸沿いに連なる台湾、沖縄、奄美、日本列島という大きな弧が見えてきます。
これを見ただけで、古代は大陸・朝鮮半島と近い北九州・山陰・北陸が“表日本”だったことが容易に理解できます。
やはり、地球儀を手元においてたまにはグルグル廻して発想の転換をはかる必要があるみたいです。

北極海は、世界の未調査の石油・ガス田のうち約25%が存在する最後のフロンティアのひとつ。
この資源問題について言うと、カナダとデンマークがハンス島という小さな島の領有権をめぐり対立しながら、一方で共同で北極海海底の地形調査を行っているそうです。
なぜ北欧のデンマークが・・・?と言うと、世界最大の島グリーンランドがデンマーク領だからです。
グリーンランドはカナダのお隣、その中間にあるハンス島で揉めているという訳です。
一方で共同調査しているのは、ロシアへの対抗策の面があるようです。
ロシアはシベリアの延長上にある北極海の大部分について、その領有権を主張しているそうです。

もちろん、北極海の温暖化は海面上昇とか気象変動とか大きな問題をもたらしますが、今後温暖化に伴って北極海の利用可能性があがると、様々の問題で国際関係はヒートアップしそうです。

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リビア児童集団HIV感染事件 最高裁死刑判決

2007-07-12 13:31:39 | 国際情勢

写真は今回の事件によりエイズで死亡した子供のひとり
(“flickr”より By Khalid Aljorni  
なお、Khalid Aljorni氏は写真のタイトルや写真への加工により、被告等のウイルス注射によりこの子供が死に至ったこと、及び、被告等の死刑の即時執行を訴えています。)

リビア・ベンガジの病院において医療スタッフが行った輸血でリビア人児童426人がエイズに感染、52人が死亡したとされる事件で、リビア最高裁判所は11日、被告のパレスチナ人医師1人とブルガリア人看護師5人に対し求刑通り死刑判決を宣告しました。

被害者児童の家族・遺族らと、リビア、ブルガリア両政府が設立した特別基金との間で補償協定が成立したことが前日発表されたばかりで、EUの支援に下に進められた和解交渉により、犯罪者引き渡し条約に基づくブルガリアでの服役への減刑が期待されていました。
11日の最高裁判決が、補償と和解に与える影響は明らかでないとされています。

被告らは1999年2月に逮捕されて以来8年間リビアの刑務所に収監されていますが、無罪を主張しています。
6人は最初、罪を「自白」しましたが、後にこれを撤回。
これまでの裁判を通じて6人は容疑を否認し、「自白」は裁判前の拘禁中に拷問によって引き出されたものであると繰り返し証言しています。
彼らは、2004年2月に面会したアムネスティ代表団に対し、電気ショック、殴打、両腕で吊るされるなどの拷問を受けたと語っているそうです。

また、エイズの専門家は、HIVへの大量感染の原因は病院の衛生状態が悪いことと注射器の再利用であると法廷で証言しています。
アムネスティ・インターナショナルは「非常に不公正な裁判によって死刑が言い渡されている。」と死刑判決破棄を求めていました。
一方、容疑者の家宅捜索を行った警察官は「容疑者宅から、アルコール飲料やポルノ雑誌に混じり、HIVウイルスの入ったビンを押収した」と証言しており、被告等が故意にHIVウイルスを児童に投与して殺傷したと主張しています。

鉄格子越しに被告看護師に対する証言を行うリビア人医療従事者
(“flickr”より By Khalid Aljorni  
なお、Khalid Aljorni氏は被告等の死刑の即時執行を訴えています。)

おおまかな事件の概要は以上のようなところです。
リビアは「革命指導者」カダフィのもので長く極端な反米路線をとり、アメリカはリビアのテロ行為の報復にカダフィを狙って首都トリポリを空爆、リビアはこれに対する報復として88年パンアメリカン航空機を爆破(リビア情報機関の人間が爆弾をセット)し乗客・住民270名が死亡、国連は経済制裁を実施・・・など国際社会から孤立していました。
なお、カダフィは阪神淡路大震災が起きた際には「経済力で悪魔に奉仕してきた日本人に天罰がくだった」と声明を出したこともあります。

ここ数年は路線を変更したようで、核開発の全面放棄やパンアメリカン航空機爆破事件の容疑者引渡し応じた結果、国連の経済制裁は解除され、欧米との関係改善も進んでいました。

今回の事件については、もちろん、何が正しくて誰がウソをついているかなど私にはわかりません。
しかし「ひとりの精神異常者の行為ならともかく、6人が共同して故意にウイルスを投与するなんてあるのかしら・・・?」「衛生管理の問題では・・・」と考えてしまうところもあります。
また、偏見を持って判断してはいけない・・・とは言いつつも、これまでのリビアの“実績”がありますので「国の責任になる衛生管理の不備なんて決して認めないだろうな・・・」「拷問もやるかもね・・・」なんて思ってしまいがちです。
やはり“日頃の行い”というものでしょう。

被告等を糾弾するポスター
(“flickr”より By Khalid Aljorni)

しかし、仮に被告に同情するにしても、今無用にリビア側を刺激することは刑の執行を早める結果にしかならないでしょう。
今更リビアが「間違っていました。でっちあげでした。拷問もしていました。」とは絶対言いませんから。
リビアも“特赦”を外交カードにしたい思惑があるのかも。
“うまく”交渉するしかないようです。

看護師5人の母国ブルガリアは国をあげて支援していますが、パレスナチナ人の医師については?
明確な国家が存在しないということは、こういうとき悲しいものがあります。
ただ、パレスチナにしてもそれどころではない・・・というのが本音でしょう。
もっと多くの人命が毎日のように犠牲になっているのが実情でしょうから。
数人の命の問題が国家的な問題になるというのは、そういう意味では、その国が恵まれた状況にあるということでしょう。

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