家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

92歳の太鼓判

2012-09-20 06:54:42 | Weblog
92歳のオバアサンを見舞った。

今は無くなった妻の実家の隣に住んでいた人だ。

その娘さんと妻が出会い入院していることを知った。

妻の実家の植木の苅込などをしている時に私も話をしたことがある。

オバアサンは一人暮らしをしていて私が虎刈りにした槙の垣根を誉めてくれた。

そのオバアサンは庭師に依頼していたが法外とも思える値段に苛立ちを覚えていて只で行う私のにわか庭師を「それでいいのよ」と認めてくれた。

母親の介護をする妻に「あんたは天国に行けるよ。私が太鼓判押す」と言ったことは記憶に新しい。

当時から耳が遠く大声で話さなくてはいけないので話の内容は隣保一帯に聞かれてしまっていた。

さすがに病院内では大声で話すことは出来ず電話機のような形の携帯補聴器を利用していた。

電話機のように耳に当てていれば音量調整ができて話し声も大きくならず話せる。

初めて普通の音量でオバアサンと話した。

オバアサンが妻に聞く。

「子供さんたちは東京かね?」

「はいそうです」と妻。

「そりゃあ寂しいねぇ」と続けた。

「いいえ。ゼンゼン寂しくないです」と妻は、あっけらかんと答えた。

すると「ホッ」という音と共に口を大きく開けて、そのまま2秒ほど経った。

その後笑い始めて「そりゃあ、あなたたちは仲がいいからねえ」とまた笑い出した。

下の歯が少しだけ残っていて上の歯は無かった。

話が出来ないことが辛いと言う。

「やっぱり昔の人と話をするのがイチバン」だと言う。

病院の中には人が大勢いる。

しかし知り合いはいない。

一人暮らしを長くしていても近所の友達とはよく話をしていた。

食べ物は生きていくうえで欠かすことの出来ない物であるがコミュニケーションも同じように生きていく糧となっているのだ。

雑誌を読むしテレビも見る。

しかし話をしたいというオバアサンの希望は心底からの願いのように感じた。