家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

散歩と孤独

2013-03-02 07:24:58 | Weblog
孤独を感じた。

自宅では感じたことはないが春野で散歩している時に感じた。

最近自分の山の中でカラスの羽が散乱しているのを見たばかりだ。

そしてその時にはイノシシの糞も近くで発見した。

カラスの遺体は無かったが、あの羽の抜け方は生きていない。

またイノシシの糞は小さかったが、まだ真新しく、まるで身近に野生動物の息遣いを感じさせた。

我が家の前にの道路には「通行止め」の看板が立っている。

我が家の前から登り方面は12月の末から3月の中旬まで凍結による通行禁止となるのだ。

そこを歩いて上った。

2軒の民家を過ぎると、もう家は勿論なくなり車も通らなくなる。

山から染み出した水が路面に薄っすら流れ一部が凍っている。

沢から滴り落ちる水の跳ね上がった枝枝は、白く氷の化粧をしている。

ザワザワと騒ぎ立てる杉の林。

幹線道路から少し離れただけで世間と隔絶されたような感覚になる。

木と木が擦れて「ギギッ」とか「ギー」という不気味な音を立てて私を脅す。

「今ここにイノシシが出てきたら、どういう対処がイチバン適切なのだろうか」

舗装道路から少しでも山に入ったら私が極めて不利になるだろうし、そのまま道路に居たら突進されてしまう。

棒切れを振り回したところで敵う相手ではない。

登りやすい木でも探して進むか。

これが鹿だったら問題ないし熊だったら、もうおしまいだろうな。

少し心細くなると風による倒木が直撃してくる気にもなるし落石に当たるような気もしてくる。

いつもは楽観主義者の私も最悪の条件を頭に描きつつ上る。

まったく音のしない空間に入った。

風の音もしないし沢の水音もしない。

私の歩む音だけを私だけが聞く。

小さな鳥が、あわてて草の中にあるらしい巣に戻っていった。

ミソサザイ(三十三才)という鳥だ。

下を流れる気田川が見える場所に到達した。

はるか上空に来たような気がするのだが、ここはまだ山の中腹。

私の足で30分経過していた。

ここまで動物なら山の中を3分で駆け上がってこられるのだろうな。

冷たい空気、暖かい陽の光、木々のぬくもりと体が感じ取る気配。

孤独から脱したい気分にはならず勿論ずっと居たい気持ちにもならなかった。