第2450回などで毎年取り上げていた自殺が3万人以上という話題去年は何故か取り上げていません。余りのことにもう書くのがいやになったような気がします。今年も又3万人を越えて、これで10年連続だそうです。今年も書くつもりは無かったのですが、「まあいい」の言葉に反応してしまいました。
〈まあいい、 俺(おれ)の一生を何かの役にたてて見せる ころぶ時があっても〉――武者小路実篤の〈まあいい〉という詩である◆人生いつも順調にはいかない。病気、過労、仕事の失敗……さまざまな理由で失意に沈む。そんな時に「まあいい」と考えると、そのうち心が軽くもなる。「そのうち何かの役に」と再挑戦の気力も出るというものだ◆「死にたい、死にたい」と言っていた人がそれを言わなくなった。なぜと尋ねると「堅い自分が死んで、少し柔軟性が出てきた」と答えた◆「崖(がけ)の途中で草にしがみつき、何とか上へ登ろうともがいていたが、思い切って手を離すと草地に軟着陸、そこには新しい世界が広がっていた」◆これは河合隼雄著「こころの処方箋(せん)」にある。だれもが「まあいい」の人、軟着陸できる人になれればいいが、難しい。昨年1年間の全国の自殺者は3万3093人。3万人以上が10年連続という現実は深刻だ◆病気、貧困、過重な仕事……そのストレス退治、あるいは共生を工夫しよう。
マアいいか小父さんとしては「まあいい」に反応して読んでいたら最後に自殺の話題でした。
こうしてみると、私の「マアいいか」も物事を楽観的に考えるということでは効用もあるようです。頭が悪いのか面倒くさがりやなのか、物事を突き詰めて考えようとしても途中で嫌になって「マアいいか、考えても事態が変わるわけじゃ無し、やってみてから考えよう」と考えるより行動に移してしまうのが欠点なのですが、そのお陰で考えれば結構悲惨な立場にあっても物事を深刻に捉えることができずに自殺まで行かないのかもしれません。
尤も、よく考えても死ぬほどの悲惨な目にはあってこなかったというのが本当のところでしょう。それが証拠に、今までそんなことがあったかどうかも思い出せません。きっと無かったのでしょう。物事、真剣に考えるのはやめましょう。考えたところで何も変わる訳じゃなし。
「マアいいか」も意外と良いのかも!