通州事件は、何時ものねずさんなどのお陰でネットでは常識になって来ているのじゃないでしょうか。しかしそれに劣らないことが行われたのが「尼港事件」のようです。
これも、ねずさんが毎年アップしてくれているのでネットではかなり広がって来ているのじゃないでしょうか。
大和心を語る ねずさんのひとりごとより 2018年05月24日
日本人を二度と犠牲にさせてはならない
日本人たちは、生きたまま両目を抉り取られ、5本の指をバラバラに切り落とされ、死ぬまで何度も刺されていました。そして金歯があるものは、生きたまま、あごから顔面を切り裂かれて、金歯を抜き取られました。女は裸にされ凌辱された上で、股を裂かれ、乳房や陰部を抉り取られて殺されました。獄舎の壁には、血痕、毛のついた皮膚などがこびりついていました。
犠牲となってお亡くなりになった方々に、深く哀悼の意を捧げたいと思います。私たちは決意する必要があります。
二度と日本人を犠牲にさせないと。
毎年この日あるいはその前後に、尼港事件(にこうじけん)のことを書いています。
尼港事件とは、大正9(1920)年1月から5月にかけて、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(ニコラエフスク)で、約4300人の共産主義パルチザンが引き起こした大規模な住民虐殺事件です。
期間に幅があるのに、なぜこの日にアップしているかというと、下の写真があるからです。
「大正9年5月24日午後12時を忘れるな」と壁に鉛筆で書いてある写真です。
この日、やっと日本の援軍が尼港に到着しました。
しかし獄舎にいたこの字を記した日本人は、日本軍の到着前に、逃げ出そうとする共産パルチザンによって殺されています。…以下略
ところが、やはり現実にはまだまだ知られてないようです。水間さんが、【頑固亭異 聞】で、その現実を報告してくれています。
何と、100年も経ったのだそうです。戦前は、慰霊碑なども全国に建てられて知られていたようですが、戦後のCHQ等の企みで消されてしまったようです。とは言いながら、未だに慰霊を続けてくれているところもあるようです。
やはり、こうした歴史を掘り返す必要がありますね。反日売国左翼・在日共にとっては、絶対に表に出したくない事件なのでしょう。それだけに日本人が絶対に忘れてはいけない事件です。