第 5279回の「日本語を世界共通語に」で日本語のような素晴らしい言葉こそ世界共通語にすべきと書 きましたが、その日本語を満足に使えない日本人が英語を話そうとすることに異論を唱える人は特に実際に英語を使 いこなしている人に多いようです。
この部屋でも何時もお世話になっている「新宿少数民族の声」 の前田 正晶さんが低学年からの英語教育に警鐘をならしています。
渡部渡部昇一も同じように感じておられるようです。単に反対だけというわけでもな く日本の英語教育の意義にも言及しています。
「宮 崎正弘の国際ニュース・早読み」 より 平成26(2014)年3月12日(水曜日)
通巻第4181号 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
幼児からの英語教育はナンセンスである
英語教育の基礎は知力の向上と語彙力の豊かさ
渡部昇一『英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし』(徳間書店)
英語を中学高校そして大学で十年間ならっても平均的日本人は実に英語が苦手であ る。
それは書く英語、文法重視だからヒアリングが不得手となり、喋るのが苦手、したがっ て公の場で喋りたがらない。
その上、日本人には間違うと恥ずかしいという意識が強いために人前で英語を使うこと をためらう。中国人やアジアの華僑は文法無視、ともかく少しでも通じたら良いという発想だから実利的である。ピジ ン・イングリッシュの登場である。(ピジン・イングリシュとはBUSINESS ENGLISHの中国語的な発 音)。
日本ではユニクロとか楽天のように会社の会議を英語にしている面妖な企業がある。お かしな風潮である。(日本語がまともでない人が英語で喋る?)。
「英語教育とい う妖怪が日本を徘徊している」という現実を憂慮する筆者は、体験的な英語学習法を通じて、いまひとつは平泉渉議員と の英語教育論争を踏み台にして、英語教育の本来のあり方に迫る。
著者の教え子には大学で英語を教えているひとも何人かいるし、通訳のベテランたちの 体験談も参考になる。つまり幼児から英語なんぞ教えても「時間の無駄」ということだ。
第一義的に英語教育とは知力を高める目的がある。数学で役に立つの足し算引き算かけ 算であり、難しい幾何学なんぞなぜやるかといえば「知力」を鍛え、応用力をとませるからである。
つまり実用一点張りの教育に渡部氏は明確に反対しておられる。
しかし同時に大学入試に英語が必要とする意味は他の学問との関連性が高く、智力をは ぐぐむ基本となるからだ。
海外へ留学した 日本人が、(わけても優秀な学生が)アメリカ人に指摘される。
第一は自分の英語が通じない驚き。
第二は、しばらくすると本場の先生を驚かせる英語力を発揮する。すぐれた論文を物に して、なかにはノーベル賞もでる。英文法を重視したうえで、語彙力が豊富だからである。
というわけで過去にも繰り返されてきた英語教育論争が、いま蘇生したのは「国際企 業」が社内会議を英語にするという面妖な雰囲気が間違いであるという基本の姿勢が込められている。
評者から言えば、語彙力を云々する前に、まともな日本語ができない人がなんで英語や るの、という基本的疑問である。それこそ日本語の完全習得のあとで、英語を学ぶ方が、かつての福沢諭吉、夏目漱石、 そして岡倉天心、新渡戸稲造のように立派な英語を表現するようになるからである。
ユニクロや楽天の英語で会議なんてどう考えてもおかしいですね。きっと、経営陣は 外人にしたいのでしょう。このあたりも、日本の企業とは言えないかも。外人をトップにして、見事に凋落したソニーを 思い浮かべてしまいます。尤も、無くなってもそれほど惜しいとも思えない企業です。
海外で英語を使って活躍している方が多いようですが、自虐史観に染まって日本の誇 りを持てない人が、中・韓に日本の悪口を言われて何の反論もできないという様子を聞くと、わざわざ日本を貶めるため に英語が喋れるだけで海外に行って欲しくないと思うのは私だけでしょうか。
折角英語を物にするのなら世界を相手に誇れる本当の日本を広めてほしいものです。 それができないのなら、無暗に海外へ出ないで欲しい。
尤も、その代表が外務省なのですから情けない限りですね。優秀な学生が短期間で英 語力を発揮するという渡部さんの言葉をかみしめて欲しいですね。