明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



アンプの設定により凶暴な爆音を奏でる1930年代製スチールギターだが、EやDのオープンチューニングによるブルースであれば多少音程がずれても気にならない。しかしせっかくスチールギターなら、とハワイアンで用いられるAm7というチューニングにしてみたら、まったく音程が定まらない。なにしろフレットは単に目安に過ぎない無段階の音程の楽器である。 そのせいであろう。ネットではハワイアンからカントリー、ブルースと名人上手の映像をいくらでも観られるが、ピアニストのように鍵盤を見ずに、そっぽを向いて演奏する人はいない。全員が手元を見てうつむきながら演奏している。 しかしそう思うと、同じフレットがない無段階の楽器に三味線があるが、弾いている棹の部分を見ながら弾く人はいない。そこでこんな素人の趣味如きに迷惑な話であるが、かつて私の作中に登場いただいた女流義太夫三味線の鶴澤寛也師匠に何かコツのような物があれば、とメールで質問してみた。寛也さんには『貝の穴に河童の居る事』でも笛吹きの女房役を一旦はお願いしたが、義太夫界の“クールビューティー”のイメージを損なってはならぬ、と断念した。 メールの返事はというと案の定、基本は耳であり、稽古で指がそこへ行くようにする。ということであった。もちろん私はそれ以外の、何か抜け道みたいな都合の良いものを期待していたわけだが、そんな物はなさそうである。千里の道も一歩から、ということであろう。 よく思うことであるが、学生のアルバイトは慣れた頃に夏休みは終わってしまう。私の場合、どうやら頭に浮かんだ物が形にできると自信を持ったのは、夏休みも終盤に差し掛かった最近の話である。しかたがない。一緒にスタジオに入る二人のトラックドライバーには、大家の義太夫を聴かされる長屋の店子となって、閉ざされた密室で我慢してもらおう。

過去の雑記

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