明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



せっかくウチに居るのだから、結局柳田國男の横に河童の三郎を並べた。 実際の風景をスタジオのミニチュアセットにしてしまう、というアイデイアは、どう考えても円谷英二以外には使い道がない。かといって、このフリーペーパーで手掛けることがなかったら、私が円谷を作る機会はおそらくないだろう。できれば東京タワーと円谷を並べてみたい。モスラは東京タワーをくの字にへし折り繭を作った。しかしそれは叶わず、実現したのは『円谷英二と勝鬨を歩く』であった。インパクトは東京タワーほどではないが、ゴジラ第一作で破壊された勝鬨橋だって悪くはない。しかしこの22号の後、25号が終刊号となり、営業的都合から、とにかく東京タワーを入れて欲しいという要望がくることになった。 円谷は明らかにタコ好きである。『ゴジラ』は当初円谷の構想では、巨大なタコが東京を襲うものだったらしいし、巨大ダコを度々扱っている。瀬戸内海から活き締めした新鮮なタコを入手した。撮影終了とともに刺身で食べるはずがウンザリしてしまい、茹でて冷凍にしてしまったのは不甲斐なかった。 スタジオに照明など配するのは当然として、スタッフがいてもいいだろう。当時階下に住んでいたフリーの映画プロデユーサーはゴジラと生年が一緒だといっていたし、小学生の時に円谷に手紙を書いたというのでお願いした。しかし様々な要素を画面に入れたせいでスペースが微妙になってきた。自ら衣装や手拭まで用意してもらい、屋上での熱演を考えるとカットとはいいにくい。入稿時間ギリギリまで悩んだのを思い出した。 文字が入らない分、多少配置を変えてみた。

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