明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



室町時代の人物なら好き勝手に出来るはずが、宗教の決め事となると、いい加減には出来ない。私が作った鍵盤の数がいい加減なピアノも、ピアノ経験者からすれば、そんなピアノはピアノではない、ということなのだろう。しかし数えなければ判らないなら、いいじゃないか、と言いたくもあったが、今回はそうもいかない。それに同じ宗派だとしても、現在とは違ったりするだろう。という訳で、残された一休像を参考にするのが間違いないだろう。 来年某宗派の開祖を作ることになるかもしれない。しかし残された肖像画は解像度に難がある。詳細な先達の肖像を残すのは禅宗でも臨済宗の特徴である。それを知らなかった私は、この人物を作りたい、と思うと臨済宗関連で寒山拾得と縁があるな、と勘違いしていた。 私が作るに必要な資料として解像度が足りなければいつものように私が想像を加えるしかない。それで構わなければ、ということになろう。



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