明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

聖性  


禅の世界の広さ深さの表現のため、寒山と拾得は聖俗併せ持つ存在として描かれてきた。痩せていると書かれている寒山拾得の多くが肥満体だったり、無邪気な唐子調なのが不可解であったが、今はそれが聖性の表現なのだと思い至った。また痩せた乞食坊主の場合も、世を捨てた隠遁者の姿に、また聖性を見ていたのだろう。 人物像制作者とすると、最終的究極のモチーフは『羅漢図』になるような気がしないでもない。あまり違いがない、というと語弊があるが、同じように興味深いのが『乞食図』である。人間の種々相がリアルに描かれ見飽きない。 私の寒山拾得は、ちょっとイカれてはいるが、星の数ほど描かれて来た二人とは一味違う表情になった、と思うが、果たして聖性という意味ではどうだろうか。山奥のボロボロな隠遁者に聖性を見た時代とは違う。



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