明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



我が家に臨済宗の宗祖があるとなると、禅宗の開祖、達磨大師を、と思うが、どこまでやって良いのか?そんなことでは何も作れない。曾我蕭白を見よ。 一度は作った。様々修行してみたものの、納得がいかない慧可が雪積もる中、少林寺で面壁する達磨大師に、弟子入りを願い出る。ここまでは『慧可達磨対面図』として描かれたが、雪舟の独創なのかは知らないが、雪舟は『慧可断臂図』として、弟子入りを断られた慧可が覚悟を示すために、左腕を切断し差し出す、緊張感に溢れる作品がある。その慧可が、あまりに悲しげな様子に、私は達磨大師に、慧可の想いに気付いて振り向いてもらった。であれば『見返り達磨図』としようと思った。思ったのだが、面壁九年で手足がなくなった、という厳しい修行をした達磨大師を、振り向かせて良いものだろうか?しかしこの作品のテーマは達磨大師より慧可の覚悟であろう。という私の解釈で『見返り達磨図』にしたい。 一説によると、慧可にはそれ以前に左腕がなかったともいわれるが、達磨大師の教えを継いで第二祖となる。

 雪舟作『慧可断臂図



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 線路は続く 『芝生』 谷川... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。