明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



錦糸町駅から鎌倉に向かう。先月、鎌倉で食事会があり、その道中でスマホをなくして面倒なことになった。結局スマホは出てこず。 車中つらつら考えるに、現在手掛けている世界では、例えば袖口から金色の龍が現れようと「そんな訳ないだろ。」などとは誰もいわない。それも何百年、千年と伝わって来たエピソードであり、講釈師や戦前の教科書の与太話とは趣きはだいぶ違う。 鎌倉五山第一位の建長寺に到着。門をくぐるだけで歴史の圧力に圧倒された。道端にはあの歌に出てくる〝さざれ石“まであるし。ポケットには開山蘭渓道隆の首。広大な敷地には写真として画になる風景だらけだが、被写体を作って臨んだ私からすれば、写真として画になれば良いという話ではない。戦災、天災で建立当時の物は国宝の鐘と蘭渓道隆手植えのビャクシンの巨樹だけだそうだが、七百数十年経って巨樹に変化したビャクシンの前に蘭渓道隆師を立たせてこそ、被写体制作者冥利に尽きるというものである。本日の目的はビャクシンの巨樹のみ。 火災などの有事の際に投げ込んで寺宝を守ったという池を眺めしばし陶然とす。



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