明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昭和四十六年の『禪文化』特集臨済義玄師千百年の〝臨済義玄像図説“を読む。最初に大きく紹介されているのは、やはり私が参考にした一休の賛が描かれた伝曽我蛇足作だが、東福寺の明兆作の義玄像を初めて見た。それは〝怒目憤拳の像ではなく、穏やかな表情である。明兆は室町前期の人物であるが、一千年以上前の人物の実像を知るのには限界がある。その他の義玄像が列挙されていたが、特に新事実を知ることはなかった。 ここでも臨済宗開祖の立体像は出てこず、私が知らないだけで、開祖が我が立体像は作るな、と言い残したかのようである。相変わらず中国の胸像が一つ出て来るが、そこらの児童公園にあるかのような物である。 曽我蛇足作の義玄像は、奇妙な頭髪で、奇妙過ぎて、かえって根拠あり気である。頭髪を描き直す前の義玄像を前に、出来ればこのままにしたい。おそらく想像で描かれているし、本人も剃り上げたことだってあったろう。だがしかし。 千年以上前の人物のヘアースタイルで何をブツブツいっている、という話だが、こんなことでずっとドタバタして来たのが私の渡世である。



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